最後の仕事
ディアーナとエトワールの婚約が正式に発表され、王国中がお祭りムードに包まれていた。王城の庭も特別に解放され、多くの人で中庭もにぎわっている。緊張で笑顔が張り付いたエトワールと、その隣でにこやかに微笑むディアーナは中庭の見える特等席で国民に手を振っていた。
もちろん、婚約者になったからといって、すぐに結婚するわけではない。少なくとも、ディアーナが法律的に結婚の出来る年齢に達するまでの一年は、エトワールも婚約者として様々なことを学んでいくことになる。基本的な礼儀作法はもちろんのこと、一国の主として政治や経済、他国との交流など。エトワールは多くのことを知っておく必要がある。
ディアーナもそれは同じだった。王女として育っている分、エトワールに比べれば大したことはないが、より一層勉学に励まねばならないことは明白だった。その代わり、婚約準備のために行われていたいくつかのレッスンは終了となる。マリアとの香りについてのレッスンもその一つだった。
「さすがにずっと外に出て、座っているだけというのも疲れるわね」
部屋に戻って大きく伸びをしたディアーナは、小さく息を吐いた。マリアの焚いていた爽やかなハーブの香りが、ディアーナの体には心地よい。
「お疲れ様です、ディアーナ王女。エトワールさん」
マリアはにこりと微笑んで、ディアーナとエトワールの二人に紅茶を注いだ。
マリアの王城での最後の仕事だ。マリアは気合を入れて、先日調香したアロマを焚く。二人を出来る限り癒し、そして、夜の宴に備えて気持ちをリフレッシュさせるよう、マリアが数日考えた香りだ。祝福の意味も込めて、少しだけ華やかに。それでいて、癒しと、元気を与えてくれるような。マリアは二人のこれからの幸せを祈って、そんな香りを作った。
シトラス系のビターオレンジに、ハーブ系のローズマリーの香りが相まって、爽やかな甘みが体まで軽くさせるような気分になる。しばらくするとこれにフローラル系のラベンダーがしっとりと香り、心を落ち着けてくれるはずだ。
エトワールは、ディアーナがまとうフローラルな香りを気に入っているようだったので、ミドルノートはフローラル系に統一した。ラベンダーのほかにも、ディアーナとの思い出の香り、ローズ。それに、ほのかな苦みが心地よいネロリが調香されている。
最後に残るベースノートには、サンダルウッドをメインに据えた。これも、ネロリがつなぎの役割を果たしてくれるので、違和感なく香りの変化を楽しむことが出来るだろう。サンダルウッドはディアーナが気に入っているスパイシー系の香りだ。夜の宴の前に、心を静め、頭をすっきりとさせる。また、ウッディ系でありながら、スパイシーな香りも楽しめるローレルも加え、最後まで十分に香りを楽しむことが出来るよう工夫した。
「マリアの香りは、本当にいつも素敵ね」
アロマの香りに癒されたのか、ディアーナは先ほどよりもすっきりとした顔つきで、柔らかに微笑んだ。初めて会ったときに比べると、ディアーナはずいぶんと物腰も優しくなり、素直になったような印象を受ける。マリアはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。この香りは、アロマキャンドルと、精油の両方をご用意しましたから、これからもぜひ使ってください」
「ほんと、そういう準備の良いところも、相変わらずだわ」
マリアが用意していた紙袋の中をのぞいて、ディアーナはクスクスと微笑んだ。エトワールも興味深そうに、それを隣で覗いている。
「ディアーナ王女の香りは、すべてマリアさんが作ってらっしゃったのですね」
エトワールの問いにマリアが首を縦に振ると、エトワールは納得したようにうなずく。そして、爽やかな笑みを浮かべてこう言った。
「シャルルさんやケイさんが、ずいぶんとマリアさんのことを気にかけている理由が分かった気がします」
マリアは、何のことだか分からず首をかしげる。エトワールの言葉に何かを察したのか、ディアーナはにまにまと笑顔を浮かべた。
「あら、マリアったら。そうだったの?」
「どういうことでしょう?」
マリアは全く意味が分からず、きょとんとした顔で二人を見つめる。ディアーナとエトワールは顔を見合わせて、それからマリアの方へゆっくりと視線をやった。
「……人間、苦手なこともあるわ」
「えぇ、そのようですね……。しばらくは、黙っておきましょう」
二人がこそこそと話している様子を、マリアは黙って見つめる。本当に、一体何を話しているのだろうか。仲睦まじいのは良いことだが、自分のことを話題に挙げられるのはいささか不思議な気分だ。
「あのぅ……」
おずおずとマリアが口を開くと、エトワールが快活な笑みを浮かべて
「なんでもありません。忘れてください」
そう言い切ったのだった。
夜の宴が始まる少し前。マリアは荷物を片付け、ディアーナとエトワールにお祝いの品を手渡した。
「気に入っていただけると、嬉しいのですが……」
ディアーナにはアロマキャンドルを花の形にカットしたもの。エトワールにはお風呂用の精油で、シトラスとハーブの香りがするもの。
これは、仕事ではなく、マリアからの純粋なプレゼントだ。二人は嬉しそうにそれを受け取ると、マリアに感謝の意を述べた。
「とってもかわいらしくて素敵ね」
ディアーナは花の形にカットされたキャンドルをキラキラとした瞳で見つめる。
「ディアーナ王女と一緒に摘んだローズを使っています」
「まぁ。それも素敵だわ。お花の形にぴったり」
見ているだけでも癒されるわね、とディアーナは自らの部屋の一番目立つところにさっそくそれを飾った。
「それにしても、使ったらなくなってしまうなんて、使うのがもったいないですね」
エトワールの言葉に反応したのはディアーナだ。
「使ったらなくなってしまうけれど、この香りはずっと、私たちの思い出の中に残るわ」
「思い出の中に?」
「えぇ。香りは、人の記憶と密接に繋がっているんですもの」
ディアーナは晴れやかにそう言ってた。マリアもディアーナの言葉に笑顔を浮かべる。エトワールは
「なるほど。それなら安心ですね」
とうなずいて、疲れた時に使わせてもらいます、ともう一度お辞儀した。
「マリア。私は、あなたと過ごしたこの期間を忘れません。そして、もしあなたさえよければ……これからも香りをお願いするわ」
もう会うことはないかもしれない。けれど、香りを通じて、二人は今日までの日々を鮮明に思い出すことが出来るだろう。マリアもとびきりの笑顔でうなずいた。
「はい。今度は、パルフ・メリエでお待ちしております」
こうして、マリアの王城での仕事……ディアーナ王女の専属の調香師としての仕事は、無事に幕を閉じた。
「お世話になりました」
マリアは王城に向かって深く一礼する。王城の中では夜の宴が始まっており、あちらこちらの窓から煌びやかな光が漏れている。テラスから手を振るディアーナとエトワールの姿が見えた。マリアも大きく手を振り返して、王城の外、いつもの日常へと足を向ける。
マリアは調香師としての誇りを胸に、王城を去るのであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
20/7/3 ジャンル別日間ランキング 40位、週間ランキング 41位、月間ランキング 84位をいただきました!
6000PVも達成しておりまして、本当に良いこと尽くしの一日となりました。
皆さま、本当にいつもありがとうございます!
さて、本話にて、長かった王城編もおしまいとなります。
お付き合いいただき、本当にありがとうございました!
次回より、新章がスタートします!
ぜひ、調香師として成長したマリアのこれからを一緒に見守っていただけますと幸いです。
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みにます。




