恋とローズ
庭に咲いているバラをいくつか摘みながら、時折、手を止めてはため息をつくディアーナをマリアは見つめていた。
(昨日も会食だったようだし、お疲れなのかしら……)
マリアはそんなことを考えながら、ディアーナを盗み見る。ディアーナは気づいていないのか、再び小さくため息をついた。
「少し休憩にしましょうか」
マリアは、ディアーナの持っているカゴがいっぱいになったのを確認して、そう声をかけた。ディアーナは聞こえていないのか、どこか上の空でいまだバラを摘み取っている。
「ディアーナ王女、それ以上はカゴからあふれてしまいますよ」
マリアがそう言って、ディアーナの手をやんわりと止める。ディアーナはパチパチと瞬きを繰り返し、いっぱいになったカゴを見つめた。
「た、たくさんあった方が良いでしょ?」
強がりなセリフも、もはやマリアの前では通用しない。マリアはクスクスと微笑んで、
「えぇ。たくさん摘んでいただきましたから、休憩にしましょう」
とディアーナに優しくそう言った。
庭の真ん中に置かれたテーブルの上には、紅茶とクッキーが用意されている。バラの咲き誇る庭園のど真ん中で、こんな贅沢が許されるのだろうか、とマリアはいつも思いながらも、ディアーナ王女のおこぼれにあずかっているのだ、と自らに言い聞かせている。
「このバラも精油にするの?」
「はい。あまり多くは作れませんが、せっかくなので一緒に作ってみましょう。とっても簡単なので」
一枚目のクッキーをペロリとたいらげたディアーナは二枚目に手を伸ばしながら、マリアの答えに目を輝かせる。
「簡単とはいっても、火を使うので、ディアーナ王女のため息が解決してからですが」
マリアの付け足した言葉に、ディアーナは口に運ぶ手を止めた。
「好きな人がいるのに、他にも気になる方が出来た?」
「か、かもしれないってだけよ!」
マリアの言葉に、ディアーナは大きな声で付け加える。そう、気になる、かも。ディアーナは自らの心に言い聞かせるように大きくうなずく。
ディアーナは、はしたないことでしょう、と視線を落とした。正直、恋愛沙汰にうといマリアには分からないのだが、ディアーナが真剣に悩んでいるのだ。なんとか力になりたい、とマリアも考える。
「そうですね……。私は、そういうことも、あるのではないかと思うのですが……」
マリアはクッキーの最後のひとかけらを口に放り込んでそう言った。ディアーナは、そうかしら、とマリアを見つめる。
「一人の人を思い続けることが、本当の愛なのではなくて?」
そう言われると、そういう気もする。マリアはうぅん、と頭を抱えた。
「……マリア、あなたって……」
ディアーナがマリアをじっと見つめ、それから、何かをあきらめたようにため息をついた。
「あなたに聞いたのが間違いだったかも。人には、苦手なものもあるものね」
「すみません。あまり、そういう経験がなくって」
マリアはしょんぼりと肩を落とした。
異性にモテそうな雰囲気のあるマリアなら、何かアドバイスがもらえるかも、と思ったが、どうやらそれはディアーナの見当違いだったようだ。マリアが自らのことにどれほど疎いか、この時のディアーナはまだ知らなかった。
有用な回答は得られなかったものの、ディアーナはマリアに話をしたことで、少し楽になったようだった。休憩を終えた後は、マリアが用意したという実験道具……氷水の張ったボウルやら、大きめの鍋やらをディアーナは興味深げに眺めて、しっかりとノートをとった。実際に香りを抽出することが、より、香りを身近に楽しんでもらえるのでは、とマリアが考えた末にこのような形になったのだが、それは効果てきめんだった。
「このバラをこの鍋に敷き詰めるのね?」
「はい、一緒にやりましょう」
二人は、先ほど積んだバラを鍋に入れていく。鍋にはすでに少量の水と網が入っており、ディアーナがそのことを尋ねると、マリアは、こうすることで蒸されてバラの香りが水蒸気とともに取り出せるのだ、と説明した。以前、チェリーの花や葉から香りを取り出した時と同じ方法である。
何やら変な形……真ん中にチューブのようなものが刺さったフタをして、チューブの先に瓶を置く。瓶は氷水につかっており、それらの説明もディアーナは真剣にマリアから聞いてメモを取る。そうこうしているうちに、ポタリ、ポタリ、とチューブの中に水滴が落ちていく。ディアーナはそれをうっとりと眺めていた。
瓶にたまった液体を揺らして見せると、ディアーナは感嘆の声を上げた。
「後もう少しですから、ちょっと待っててくださいね」
ディアーナは待ちきれない、という表情でマリアを見つめる。マリアは瓶に入った液体を透明な容器に再度移し替え、上澄みをゆっくりとすくい取った。
すくい取った上澄みは小瓶に入れ、アルコールを加えて希釈する。残った透明な液体は別の大きめの瓶に移し替えた。
「こちらの小さい方が、バラの精油です。まだ、アルコールを加えたばかりなので、二、三日してアルコールが馴染んでからお使いください」
自分が初めて作った精油を前に、ディアーナの瞳は輝く。大切そうに、丁寧にその瓶を握り締め、ディアーナはマリアに感謝を述べた。
「それから、こちらはローズウォーターです」
マリアが差し出した大きめの瓶からも、うっすらとバラの良い香りがする。
「これは何に使うのかしら」
「砂糖を加えれば、ローズシロップとしても使えますし、そのままでも、肌になじませて使えます。保湿効果があるので、肌が美しくなる、なんて言われてるんですよ」
マリアがバラを選んだにも理由がある。バラは女性らしさを高めると言われており、婚礼準備真っただ中のディアーナにもちょうど良い。精油だけでなく、ローズウォーターとしても使える優れもので、保湿効果が高いのも、女性には嬉しいポイントだ。
ディアーナは嬉しそうに目を細め、そして、再びマリアに礼を言う。ようやくディアーナに元気が戻り、マリアも微笑んだ。バラの香りには、心を癒し、元気づける作用があるというが、どうやらそれは本当らしい。ディアーナはローズウォーターの香りを楽しみ、うっとりと目を閉じた。
レッスンを終えたマリアは、実家である洋裁店へ帰りながら、ディアーナの言っていたことを思い返していた。明確な答えなどでないのだろうとは分かっていても、力になれなかったことが悔やまれる。
(たくさんの人を愛せる、というのは素晴らしいことのような気がするけれど……)
マリアは、うぅん、と首をかしげる。しかし、一人の人を思い続けることは、当然立派なことだ。あまりにもたくさんの人を好きになりすぎる、というのもどうだろうか、と思う。
結局、その答えを出せないまま、洋裁店の前へとついてしまったマリアは
(ディアーナ王女の方が、よっぽど大人だわ……)
と小さくため息をついて、店の扉を開けるのだった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
20/6/24 ジャンル別週間ランキング 75位、日間ランキング 69位 にのせていただきました!
本当にいつもありがとうございます。
次は、月間にのせていただけるような素敵な作品を目指して頑張りたいと思いますので、これからも応援よろしくお願いします。
くどいようですが……
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以下、余談になりますが……
今回は、久しぶりにじっくりと調香回になりました。
バラの香りは、女性らしい華やかさにどこか洗練された香りが同居している気がします。
日本では、5月から梅雨の時期に見ごろを迎えるため、意外とバラの香りをじっくり味わったことがない方もいらっしゃるかもしれませんね。
有名なお花ですが、見つけた際は、その見た目の美しさだけでなく、豊潤な香りもぜひ、楽しんでみてください。




