ディアーナとエトワール
「大変お待たせして申し訳ありません、エトワール様。どうぞこちらへ」
エトワールが別室へ呼ばれたのは、夕暮れ時のことだった。
会食後、まずトーレス王子が呼ばれ、その次に中流貴族の男が呼ばれた。その時点ですでに一時間程度が経過していただろうか。
(この感じなら、さらに後一時間といったところか……)
エトワールはそう考えていたのだが、残念ながらその予想は大きく外れた。中流貴族の男は二時間ほどたっぷりと話し込んだのだ。エトワールは特にすることもなく、同じく騎士団に所属する衛兵(もっとも、今はエトワールの監視役を任されているが)と他愛もない話をしていた。
唯一仲良くなれそうな商人の青年が帰ってしまったのは残念だが、あの様子では無理もない。もっと早く助けてやるべきだった、とエトワールは自らの不甲斐なさを感じる。エトワールから見ても、トーレス王子と中流貴族の男は、どうにもディアーナ王女のことを心から愛しているようには思えなかった。商人の青年は、そのあたり、ディアーナ王女自身を愛し、そして深く思っているように感じる。
そんなことを考えていた矢先、エトワールはディアーナ王女のお付きである衛兵に呼ばれたのだ。エトワールはゆっくりと立ち上がり、ディアーナがいる部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
美しい、凛とした声に、エトワールは姿勢を正してゆっくりと扉を開ける。ディアーナは椅子に腰かけて、ティーカップに口をつけていた。
「お座りになって、エトワール」
にこりと微笑むディアーナにも、少しばかり疲れの色が見える。よっぽど、先ほどの長い話が堪えたのだろう。そうでなくても、色々と気を使っているに違いない。エトワールの姿に少しばかり緊張が解けたのか、ディアーナはふぅ、と小さく息を吐いた。
「失礼します、ディアーナ王女」
エトワールはディアーナの言葉に従い、目の前の椅子に腰かける。改めてみると、彼女は自分が思っている以上に華奢で小さな女の子だ。もちろん、婚礼に早すぎることはないだろうが、気丈に振舞っている分、もっと大人びて見えていた。周りの環境が彼女をそうさせてきたのだろう、とエトワールは察する。
ディアーナはティーカップを置き、エトワールをじっと見つめた。美しいブルーの瞳が、エトワールを射抜く。彼女の強い意志を感じさせるそのまなざしが、どれほど国を思っているのか、エトワールには分かる。
(……シャルル団長も、時折、同じような瞳をされている)
真に国を思い、この国を守り通すと心に決めている覚悟のようなものが、その瞳には宿っている。
「ディアーナ王女は、本当にこの国を思っていらっしゃるのですね」
不躾なのはわかっているが、エトワールはそう口にした。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、少なくともトーレス王子には、そのような雰囲気が微塵も感じられなかった。エトワールはそのことも気になっていたのだ。あの第三王子には何か違和感があった。そのことをわざわざ言う必要はないだろう。エトワールはあえてそこまで言わずに、ディアーナを見つめる。
「そう言ってくださったのは、あなただけです。エトワール」
「僕は、そのような瞳を持っている方を近くで見ておりますから」
エトワールがそう言うと、ディアーナは静かに、えぇ、とうなずいた。誰の事を言っているのか、ディアーナには分かったらしい。
「私も、その方に守られて生きてきました」
そう言ったディアーナの表情は、どこか切なく、胸を締め付けるものだった。エトワールは、ズキン、と自らの胸が痛むのを感じる。自分ではない、他の人を思うディアーナの気持ちが伝わり、エトワールの心の中には嫉妬に似たような感情が芽生える。エトワールはそれを自覚して、視線をそらした。
「エトワール……私は、あなたに伝えなければならないことがあります」
ディアーナはそっと視線を手元に落として、そう言った。
「あなたのことを信頼して、私の正直な気持ちをお伝えしたいのです」
不思議なことに、ディアーナの言いたいことが手に取るように分かる。エトワールは小さくうなずいた。
「私は、まだ……」
「何事も、すぐに決める必要はありません」
ディアーナの言葉を遮るように、エトワールはそう言った。直接彼女に言われるよりも、自らそう言った方が、傷は浅くすむ。情けないが、自己防衛本能がそう働いたのだ。
エトワールの言葉に、ディアーナは目を丸くした。
「僕は、いくらでも待ちます。待つことだけは得意ですから」
にこりと微笑むと、ディアーナはゆっくりと視線をさまよわせた。何と言うべきか、良い言葉を探しているのだろう。一国の王女相手に失礼な振舞いであることは百も承知で、エトワールは言葉を続ける。
「僕は、この国を、ディアーナ王女と……あなたとともに守りたいと考えています。ですが、あなたのこともまた、この国と同じくらい大切に守りたいと、そう思っている自分もいるのです」
ディアーナは、一世一代のプロポーズともとれるこの言葉に返す言葉もなく、ただぼうぜんと目の前に立つ騎士団の青年を見つめた。まさか、ここまで自分のことを思ってくれているとは思わなかった。ディアーナは自らの顔が真っ赤に染まっていくのを感じ、慌てて両手で頬を冷やす。心臓の音がうるさい。ディアーナはエトワールの方を見ることが出来ず、
「お、お礼だけは、言っておきますわ。ありがとう、エトワール」
とそっぽを向いた。
(エトワールにだけは、きちんと伝えたかったのに……)
本当は好きな人がいて、まだ婚約のことは正直考えられない。そう言うつもりだった。エトワールには、ディアーナも少しばかりの好意を寄せていたからだ。自らの気持ちを偽り、相手に婚約者になってくれなどという失礼なことは、どうしても避けたかった。しかし、エトワールはそのことに気づいたのだ。そのうえで、ずっと待っているといった。なんと聡明で、優しい青年だろうか。
ディアーナは、パタパタと顔を手で仰いで、心を落ち着けるためにティーカップに口をつける。エトワールは、今までよりもずいぶんと年相応なディアーナの姿に、ドキドキしていた。冷静になると、先ほどの言葉もまるでプロポーズじゃないか、とエトワールも顔を赤く染める。しばらく頬を染めたまま、無言で二人は視線をそむけていた。
数分ほどたっただろうか。少し落ち着いたエトワールは、ちらりとディアーナを盗み見る。その姿がとてもかわいらしく映る。美しい、という最初の印象はもちろんのこと、今では可憐な印象がそこに加わり、一層愛情が芽生えた。
ディアーナがそっと髪を耳にかきあげる。ふわり、と爽やかな香りが漂って、エトワールに届く。
「……オレンジの香り?」
ぼそりと呟いたエトワールの言葉に、ディアーナがパッと顔を上げた。目が合うのは、久しぶりな気がする。エトワールが見つめると、ディアーナは再び頬を少し染めて、視線を外した。
「王城はいつも良い香りがしますね」
爽やかにエトワールがそう言って微笑むと、ディアーナはキッとエトワールの方へ視線を向ける。
「べ、別に! これくらい、あ、当たり前なんだから!」
ディアーナはそう言い切って、プイっと視線を外す。
何かが気に入らなかったのだろうか。どこかいじけたようなその姿があまりにもかわいらしく、エトワールは思わずクスリと笑ってしまう。
「何よ!」
「いえ、なんでもありません」
エトワールは笑いをこらえきれず、ディアーナがプンプンと怒るのを見つめる。
「僕は、好きですよ」
この香りも、どんなディアーナ王女でも。エトワールがそう言うと、ディアーナは顔を真っ赤にして、再びエトワールをにらみつけるのであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
20/6/23 週間ランキング ヒューマンドラマ部門 69位をいただいております。
一週間を超えて、ランキングにのせていただけているのは本当にありがたい限りです……!
これからも何卒よろしくお願いします!
久しぶりに、前のお話と含めて、暗雲立ち込めていた雰囲気から脱しました。(笑)
ですが、まだまだディアーナ王女とその周囲には事件が……?
続きをお楽しみにいただけると幸いです!
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みにます。




