商人メック
会食後、ディアーナ王女はトーレス王子を連れて、別室へと移動した。その間、自由時間を与えられた三人は各々王城を見て回ることが出来る。もちろん、衛兵が一人、必ずついているので完全な自由、とはいかないが。
そんな中、商人の青年は、帰ります、と今にも泣きだしそうな声で衛兵に伝えた。もともと身分の違いもある。それに加え、ディアーナにはプレゼントを断られ、トーレスと中流貴族の男から馬鹿にされたのだ。今まで裕福な商人の息子として、蝶よ花よと育てられた彼のプライドは当然傷ついている。今にも逃げ出したいという思いでいっぱいだった。
城の外まで衛兵に送られるのでさえ、本当は嫌だった。とにかく今は一人にしてほしい、青年はそう思う。しかし、婚約者候補とはいえ、一人で城内を歩かせ、何かあってはいけないというのもわかる。青年は黙って城の外へと向かっていた。
手入れの行き届いた綺麗な庭が見える。美しく咲き誇ったバラが、青年にはまぶしく見えた。そもそも、プレゼントなんて、一国の王女が欲しがるわけがない。望めばなんでも手に入るだろう。何より、裕福とはいえ庶民の選んだものなど、王女にふさわしくないのだ。考えれば考えるほど、自らのしていることが恥ずかしく思えて、青年はぐっと涙をこらえた。
「きゃっ!」
「わっ!!」
ぼーっとしていたのが良くなかったのだろう。青年は木の陰から出てきた人とぶつかってしまう。後ろを歩いていた衛兵が駆け寄った。
「すみません」
「いえ、俺の方こそ……」
青年が顔を上げると、一人の女性と目があった。
お二人ともお怪我はありませんか、と尋ねた衛兵が、女性の顔を見て
「あれ、マリアさんじゃありませんか。本日は、レッスンの日ではないのでは?」
と不思議そうに言う。マリア、と呼ばれた女性は
「いえ、実は明日のレッスンに備えて、このお庭に咲いているお花をいくつか見ておこうかと思って……」
と柔らかな笑みを浮かべる。
マリアは、自らがぶつかった相手に視線をやった。身なりこそ裕福そうな出で立ちだが、その表情は暗く沈んでいる。ぶつかってしまったことだけが原因ではないだろう。悲壮感さえ漂うその表情は、放っておけばそのままその辺で死んでしまうのではないか、とさえ思わせる。
「あの」
マリアは出来るだけ優しく、落ち着いた声で青年に声をかける。
「もしよろしければ、少しだけ、お時間をいただけませんか」
「え、お、俺ですか……?」
「はい。私の休憩に付き合っていただきたいんです」
半ば強引なその誘いに、青年は
(早く帰りたいのに……)
と内心でため息をつきながらも、女性に頼まれたことを断れるわけもなく、渋々うなずくのであった。
庭の奥に小さなテーブルとイスが置かれており、二人はそこに腰かけた。衛兵は、少し離れたところで立っている。こんなことをしているところを見られてはまずいのではないか、と変な緊張が青年を襲っていたが、周りは高い木々に囲まれており、外からは見えないようだった。
「すみません、急に」
「い、いえ……。どうせ、帰るだけでしたから……」
女性にぺこりと頭を下げられ、青年もつられて頭を下げる。
「私、パルフ・メリエという店で調香師をしております、マリアです」
「あ、えっと……ティエンダ商店のメックといいます」
商人の青年、メックもあわてて自己紹介をし、それから再びマリアを見つめた。
マリアは、ディアーナ王女の専属の調香師として働いている、と言った。そして、改めて先ほど衛兵に話していたような内容をメックにも話した。その柔らかな雰囲気に、メックはずいぶんと心が落ち着いていることに気づく。なんとも不思議な人だ、とメックがマリアを見ると、マリアはにこりと微笑んだ。
「メックさんは、今日はどうしてこちらに?」
「あ、えっと……」
ディアーナ王女との会食から逃げ帰るところです、とも言えず、メックは目を泳がせる。
「すみません、お話しづらいこともありますよね。失礼しました」
マリアはメックの反応に、慌てて頭を下げた。余計な詮索をしてしまった、とマリアは反省する。
(お城でのことだもの。話せないことの一つや二つ、あってもおかしくないわ)
マリアの少し的外れな予想を知る由もないメックは、そっと視線を落とした。
「……少し、立ち入ったことをお伺いしても?」
「なんでしょう?」
マリアの問いに、メックが首をかしげると
「最近、あまりよく眠れてないのではないですか?」
マリアはそう尋ねた。メックはその言葉にドキリとする。確かに、ここ数日はこの会食のこと……いや、正確にはディアーナ王女のことを考えるだけで胸がドキドキしてうまく寝付けなかったのだ。
「どうして、分かったのです?!」
メックは思わずそう尋ねてしまう。すると、マリアはトントン、と目の下をおさえた。
「少し、クマが出来てますから。それに、どことなくお疲れのようでしたので」
「そう、ですか……」
気づかなかった、とメックは思わず自らの目の下に軽く触れる。そんな顔をディアーナ王女に見せていたのか、と思うと、再び気が重くなった。
しばらくして、メックはゆっくりと口を開いた。なんとなく、話を聞いてほしくなったのだ。知り合ったばかりの女性に、こんな話をするなんてどうかしている。そう思うのだが、メックはどうしても今の気持ちを、誰かに聞いてほしかった。
「実は……俺は、ディアーナ王女の婚約者候補なんです」
マリアは少し驚いた様子だった。しかし、すぐに真剣な顔つきになる。
「その、今日は……二回目の会食で……。二度目も呼んでもらえたので、少し、自分にもチャンスがあるのでは、と期待してしまったんです。でも、考えれば身分も違うし、持ってきたプレゼントだって……」
自らの言葉に、メックはだんだんと情けなくなってくる。
メックの言葉を聞いていたマリアが、あの、と切り出す。
「ディアーナ王女は、人を身分で判断されるような方ではないと思います」
マリアの言葉に、メックは顔を上げる。
「それに、メックさんのプレゼントも……。気に入らなかったから受け取らなかった、というわけではないと思いますよ」
メックがマリアを見つめる。その瞳には涙がたまっている。今にもこぼれてしまいそうなほどに。マリアは慎重に言葉を選び、そしてゆっくりと口にする。
「ある一人の方からの贈り物を受け取れば、他の方も同じように様々な贈り物を持ってくるでしょう。一度そうしてしまったら、そのあとはもう、際限がなくなってしまいますから。ディアーナ王女は、それを危惧されたのではないでしょうか」
マリアの言葉に、メックはハッと顔を上げた。
「物の価値で、その人自身の価値は決まりません。ディアーナ王女は、その人自身と、きちんと向き合いたいとお考えになられているのだと思います」
メックは涙を流していた。自らがどれほど浅はかな人間か、気づいてしまったのだ。メックは幼いころから望むものを手に入れてきた。それが幸せだと思っていた。でも、本当はそうじゃない。どれだけ自らを豪華な物で着飾ったとしても、メック自身は、何もない、空っぽな人間だった。
「メックさんが、ディアーナ王女のことを真剣に思っているのだと、私にはわかります。だから、これからは贈り物ではなく、メックさん自身のことを……素直な気持ちを、言葉にしてディアーナ王女に伝えてみれば良いんです」
マリアはそう言って優しく微笑む。
「嫌われて、ないでしょうか……」
「はい。絶対に。ディアーナ王女はそんなことで人を嫌ったりしませんよ」
マリアの言葉に、メックは再びボロボロと涙をこぼすのであった。
メックがしばらくして落ち着くと、マリアはカバンから小さな瓶を取り出した。
「もしよろしければ、これを。ラベンダーの精油です。寝る前に数滴、お湯に垂らしてみてください。少し楽になると思いますから」
マリアの言葉に、メックは小さくうなずく。マリアはメックの少し和らいだ表情に、ほっと胸をなでおろした。
(もう、大丈夫そう……)
そして、心の中で、頑張ってくださいね、とメックを応援するのだった。
それじゃぁ、とマリアが手を振って庭に消えていくのを、メックはどこか晴れやかな気持ちで見送った。
「贈り物ではなく、自分自身のことを」
そう言ったマリアの言葉を、メックは心の中で何度も反芻するのであった。
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20/6/22 週間ランキング ヒューマンドラマ部門 56位をいただきました!
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