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調香師は時を売る  作者: 安井優
王城編

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秘められた思い

 ディアーナは少し疲れた様子だった。マリアのレッスンで、そういう姿は珍しい。マリアは資料をめくる手をとめた。

「ディアーナ王女?」

 マリアに呼びかけられ、ディアーナはハッと我に返る。

「お疲れのようですし、今日のレッスンの続きは来週にしましょうか」

 マリアの提案に、ディアーナは、ごめんなさい、と小さく謝った。何かあったのだろうか。


 今日のレッスンは、香りとその作用について。確かに、学術的なものであり、普段の実際に香りを使ったレッスンに比べると退屈もするだろう。それでも真面目にディアーナは聞いていたつもりだったが、先日の婚約者候補との会食パーティー以降、その時のことが頭によぎってしまう。


「何かありましたか?」

 マリアに尋ねられ、ディアーナは

「実は……先日、婚約者候補の方たちにお会いしましたの」

 そう話し始めた。


 政治のため、私利私欲のために自らを利用しようとしている者がいる現実は、嫌というほどわかる。そのために、幼いころに自分を殺そうとした者さえいるのだから。けれど、改めてそれを突き付けられれば、ディアーナも辟易(へきえき)するというものだ。いくら王女とはいえ、まだ成人すらしていない一人の女の子である。


「好きでもない人と婚約なんて、本当はそれだけでも……」

 嫌なのに、と言いかけたところでディアーナはハッと口をつぐんだ。マリアといえど、一国の王女であるディアーナがそんなことを言っては、どう思うだろうか。そのような弱音を吐いてはいけない、と幼いころ教育されてきたではないか。

「なんでもありませんわ」

 ディアーナはそう言ったが、マリアが悲しげな顔をしていることに気づいて、顔をそむけた。


 マリアは、誰かを好きになったことがないので、色恋沙汰というのには(うと)いところがある。それでも、子供のうちから婚約者を決められるうえ、選べと言われてもなお、国のために、と気丈(きじょう)に振舞おうとするディアーナの痛みは、手に取るように分かった。


「出過ぎた真似だとは思います。ですが、ディアーナ王女。私は調香師。香りで人を癒すのが私のお仕事です。どうか、私にだけは、悲しみを隠さないでください」

 マリアはディアーナの前に(ひざまず)いた。ディアーナ王女を幸せにしたい。マリアはその一心だった。


 マリアの気持ちが伝わったのか、

「顔を上げなさい、マリア。わかったわ……。あなたに嘘をついてもしょうがないものね」

 ディアーナは小さくため息をついた。


 マリアがオレンジとカルダモンのアロマキャンドルを焚くと、ふわりと甘い香りが漂った。ディアーナが好きだと言っていたシトラスとスパイスの香りをブレンドしたものだ。しばらくすると、ディアーナはそれらの香りで少し落ち着いたのか、ぽつり、ぽつりと話し始めた。結婚への不安や、婚約者候補に対する不満など、それは年相応の女の子らしい悩みだった。


 最後に、ディアーナは、これは秘密にしてほしいのだけど、とそう前置きした。

「本当は、その……私、気になっている方がいるのよ」

 マリアは目を見開く。ディアーナ王女に見初められるとは、いったいどんな男性なのだろう。

「それは、好き、ということですか?」

 マリアの問いに、ディアーナは顔を真っ赤にして慌てふためく。

「そ、そんなんじゃないわ! べ、別に! でも、その……」

 その反応がすでに肯定を表している、と思うのだが、マリアはあえてそれを口には出さない。代わりに小さく微笑むと、ディアーナにからかわないで、と怒られた。


 その好きな人は婚約者候補にはなっていないという。ディアーナが直々に両親へ進言すれば何か変わるのかもしれないが、相手がそれを望んでいなければ拒否されるだけだ。そして、ディアーナは、直接言われたわけではないにせよ、今回の婚約者候補の顔ぶれから悟っていた。同じ騎士団に所属する者が、すでに婚約者候補の中にいるからだ。きっと、声はかかっていたに違いない。辞退する代わりに、別の者を推薦したのだろう、ということは、世間知らずのディアーナでもわかることだった。


「ディアーナ王女?」

 マリアの慌てたような声に、ディアーナは自らの頬に涙が伝っていることに気づいた。

「ごめんなさい、なんでもないわ」

 少し目にゴミが入っただけよ、と強がってゴシゴシと目をこする。マリアは何も言わなかった。ただ、ディアーナが落ち着くのを、隣でずっと待ってくれていた。


「ねぇ、聞いてくださる?」

 ディアーナが言うと、マリアはもちろん、と優しく微笑んでうなずいた。


「私は、幼いころに何度か命を狙われたことがあるの」

 ディアーナは再び話し始めた。泣いたことで、少し落ち着いたのかもしれない。

「その時に助けてくださったのが、私の気になっている方よ。優しくて、勇敢(ゆうかん)で、とても賢い方なの」

 とても好意を寄せているのだろう。マリアは、ディアーナの柔らかな表情にそう思う。


(でも……そんな方って……)

 マリアは考えて、一人だけ思い当たる人物にたどり着く。まさか、とは思うがつじつまが合うのだ。王城に出入りする可能性があり、王女様を助けられるだけの力がある人物。とてもお似合いだと思うのだが、ディアーナの話を聞いている限りは婚約者候補にはなっていないようだ。マリアの考えが間違っていなければ、あれだけの人物だ。何の問題もないように思える。しかし、なぜ候補ではないのか、ということをディアーナに聞くのはためらわれた。


「その方のことを思うと、とても心が温かくなるの。でも……現実はうまくいかないものね」

 ディアーナの声は切なさを帯びていた。どこか諦めを含んだ物言いに、マリアの胸も締め付けられる。しかし、マリアにはどうすることも出来ず、なんと声をかけるべきか分からない。


 口を開いたのはディアーナだった。

「でも、悪いことばかりではなかったわ。私のことを本当に思ってくれている方もいらしたし、それに……」

 ディアーナは何かを思い出したのか、言葉をそこで切ってから、少しだけ笑みを浮かべる。

「香りに気づいてくださった方もいらしたわ。誠実そうな方よ」


 ディアーナの様子に、マリアも微笑んだ。

「それは、私も調香のレッスンをしたかいがありました」

 少しはディアーナの役に立っているらしい。

「素敵な方は、きっと、他にもいらっしゃるわ」

「えぇ、そうですね。ディアーナ王女はとても素敵な女性ですから」

 マリアがそう言ってうなずくと、ディアーナは話して楽になったのか、ようやくディアーナらしい笑みを浮かべた。

「もちろんよ。私は、この国の王女、ディアーナだもの」


 その言葉は、ディアーナの精いっぱいの強がりだったのかもしれない。けれど、どんなに苦しくても気丈(きじょう)に振舞うその姿に、マリアは強い希望を感じた。これから先、ディアーナ王女が作る未来には、きっと素晴らしいものが待っているのだろう。


「いつか、私の夫にならなかったことを一緒に後悔させてやりましょう。ね、マリア」

 ディアーナの言葉に、マリアは苦笑を浮かべる。思っていたよりもずいぶんと、大変なことになってしまった、とマリアは内心思うのであった。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

おかげさまで、連日ランキングに掲載していただいております。本当に皆様の応援のおかげです。

20/6/19 日間ランキング ヒューマンドラマ部門 32位

     週間ランキング ヒューマンドラマ部門 49位

をいただきました、ありがとうございます!

しばらくディアーナ王女の恋物語が続きそうですが、あたたかく応援してくださいますと幸いです。

少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みにます。


20/8/12 誤字報告ありがとうございます!(めちゃめちゃ恥ずかしい間違いをしていてすみません……!)

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