帰り道にて
「ディアーナ王女の命により、貴殿をお送りさせていただきます」
「……ケイさん?」
マリアを家まで送ることになったのは、どうやらケイだったらしい。マリアが門をくぐった今朝の時点では、門の衛兵は違う人だったような気がするのだが、それを伝えると
「二十四時間、城を万全の状態で守るために、交代で務めているんだ」
とのことだった。
ケイはどうやら夜からの番だったらしく、ちょうど交代の時間だったそうだ。そして、その直前にディアーナ王女から、家まで送り届けてほしい人がいる、との命が下ったため、別の者と交代してケイがそれを引き受けることになったのだ。
まさかの偶然に、ケイもマリアも驚く他ない。全く運命というのはどうにも不思議なものだ。城下町をゆっくりと通り抜ける馬車に揺られながら、二人はそんなことを思う。
夜だというのに、城下町にはたくさんの明かりが灯され、多くの人でにぎわっている。そして、眩い光が通り過ぎていく様は、どこか幻想的でさえあった。ケイは外の光に淡く照らされたマリアの横顔を見つめる。なぜか目が離せなかった。
「すみません、ケイさん。馬車なのに、わざわざお送りいただくなんて」
ケイの視線に気づいたのか、マリアはそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、これも仕事のうちだ。気にするな」
それに、馬車と言っても、途中の広場まで。その先は少し歩くという。それであればなおのこと、暗くなってから女性一人で歩くのも危ないのではないだろうか。
「それにしても、マリアがディアーナ王女の専属の調香師だったとは」
ケイは何か話題を変えようと、そう言った。マリア自身も驚いたのだろう。クスクスと微笑んでうなずく。
「私もはじめは、とてもびっくりしました」
今は光栄に思っています、とマリアは付け足して柔らかな笑みを浮かべる。
(そういえば最近、騎士団のやつらが、ディアーナ王女が魅力的になった、と言っていたな……)
ケイは騎士団の仲間が噂していたのを思い出す。城での勤務中に何を考えているんだ、と思ったものだが、今考えると、それはマリアの調香のレッスンを受けたからかもしれない。香りというのは、皆が思っている以上に、その人の印象を変えるようだ。
例にもれず、目の前に座っているマリアも、いつもとは少し違って見えた。服装のせいかもしれないな、と思ったが、どうやらそれだけではなさそうだ。マリアがふわりと耳元に髪をかける。その瞬間、微かだがケイの鼻をスパイシーな甘さが抜けていく。刺激的な香りと、外の輝き。ケイの心臓が、トクン、と脈打った。
「マリア」
つい、その名を呼んでしまう。何か話題があるわけでもないのに、なぜかケイは彼女の名前を口にしてしまった。マリアがゆっくりとケイの方へ視線を移す。
「なんでしょう?」
「いや、その……」
ケイには珍しく、曖昧な答えだ。マリアも不思議そうに首をかしげる。
「いつもと、つけている香りが違うのか?」
ケイが何とか言葉をひねり出すと、マリアは、あ、と声をあげた。
「すみません。調香のレッスンで、ディアーナ王女と香りを作っていましたから。それが残っているのかもしれませんね」
「いや、謝る必要はない」
ケイは慌てて首を横に振った。言いたいことが、うまく言葉にできない自分に少しばかりの苛立ちを覚えながら。
(こういう時、騎士団長なら気の利いたことの一つや二つ、言えてしまうのだろうな)
ケイはそんなことを思いながら、どうにか自分の言葉を探す。
「その……そういう香りも、たまには良いと思っただけだ……」
もっと良い言葉はなかったのか、と思うが口に出してしまっては後の祭りというものだ。
マリアは一瞬驚いたような顔をしたが、普段の柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうござます。普段あまりつけない香りですけど、そう言っていただけると嬉しいですね。今度から挑戦してみようかしら」
ふわりと微笑むその姿から、ケイはやはり目を離せない。マリアに会うたびに、少しずつだが、ケイの心の中で何かが変化している。ケイ自身はまだ、そのことには気づいていない。
街の広場で馬車が止まり、マリアとケイは馬車を下りる。レストランや酒場からは明かりが漏れているが、やはり城下町に比べると人通りは少ない。
「この先か?」
「えぇ。実は、ケイさんがいらしてくださった洋裁店が実家なんです」
ケイの問いに、マリアがそう答えると、ケイは驚いたような顔をした。
「それで、あの洋裁店のデザイナーと仲が良かったのか」
ケイは心のどこかでほっとした気持ちになっている自分に気が付いた。それがなぜなのかは分からない。深く考えてもしようのないことだ、とケイは自らの気持ちに知らぬふりをする。
「そういえば、先日はすみませんでした。普段はもっと優しいんですけど……」
「いや、かまわない」
俺にはいつもあんな感じだが、とは口には出さず、ケイは小さく首を振る。
「長い付き合いなのか?」
「ミュシャとは学生時代からの友人なんです」
(あのデザイナーは、ミュシャというのか)
マリアの答えにケイは、そうか、と相槌をうつ。洋裁店が見え、話の区切りにはちょうど良かった。
「それじゃあ、ケイさん。ありがとうございました」
マリアは店の前で深々と頭を下げた。
「あぁ」
ケイは少し名残惜しくなり、立ち止まる。普段であれば、そのまま何も考えずにまっすぐ王城へと戻るだろう。これでも勤務中の身だ。しかし、ケイは店に入っていくマリアを最後まで見送りたい、という気持ちになっていた。
次の瞬間、
「マリア! 遅かったね」
マリアに気づいたであろう、ミュシャが中から店の扉を開けた。マリアは
「大丈夫よ、ケイさんに送っていただいたから」
と柔らかな笑みを浮かべる。それと同時にミュシャからは鋭い視線を向けられる。
ケイは、反射的にマリアの名前を呼んだ。マリアはきょとんとした顔で振り返る。
「おやすみ、マリア」
ケイがそう言って小さく笑うと、マリアも目を細める。
「はい、おやすみなさい。ケイさん」
次は振り返らなかった。ケイはそのまま背を向けて歩き出す。背中にちくりと感じたのは、ミュシャの視線だろう。しかし、そんなことは全く気にならない。
(ずいぶんと、自分らしくない……)
ケイはそんなことを考えながら、軽い足取りで王城へと戻るのであった。
この日以来、ケイが洋裁店へ顔を出すたび、ミュシャが恐ろしい程の殺気を放ってくるようになったのは言うまでもない。
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