初めての調香
三度目のレッスンともなると、マリアもずいぶんと緊張が解けていた。ディアーナと自然に会話できるようになり、ディアーナもいまだつっけんどんなところはあるものの、ずいぶんとマリアに親しみをもって接してくれるようになった。
「今日は、フローラルの香りですね」
マリアがそう言うと、ディアーナはうなずく。今日は淡いピンクのワンピースに美しい陶器のブローチ。服装が香りに良くマッチしている。初めてのレッスン以来、ディアーナは様々な香りを使い分けてくれているらしい。
先週は、香りの持続する時間——ノートについてレッスンをしたので、今日はいよいよ簡単な香りの調香だ。最初に渡した七種類の瓶をディアーナと一緒に机の上へ並べる。
「この瓶を並べている順番に意味があるのね?」
マリアが瓶を並べ替えている様子を見て、ディアーナは尋ねる。マリアは、ディアーナの言葉にうなずいた。
「隣り合った瓶同士は、相性の良い香りだと一般的に言われています。これを覚えておけば、ディアーナ王女でも簡単な調香が出来るようになるんですよ」
マリアの言葉に、ディアーナはその瓶の並びをメモしていく。ハーブ系の香りを十二時の方向へ置いて、そこから時計回りに、シトラス系、フローラル系、と最初のレッスンで紹介した順番に置いた形だ。
この二週間で、ディアーナには七種類の香りを使い分けてもらったが、これを覚えればその幅は十四種類にまでぐんと広がる。しかも、互いのブレンドする量を調整すれば、さらに幅を広げることも出来る。香りを操れることが立派な女性としての嗜みかどうかは分からないが、少なくとも、いつも良い香りのする女性が嫌われることはないだろう。もちろん、つけすぎるのは良くないが、ディアーナはそのあたりを良く心得ていた。
「二種類の混ぜる分量を変えれば、様々な香りを楽しめるので、ディアーナ王女の好みに合わせて作ってみましょう」
マリアは、カバンから小皿を取り出し、それぞれの瓶と瓶の間に並べる。そして、スポイトをディアーナに手渡した。
「これはどうやって使うものなの?」
ディアーナは初めて見るのか、不思議そうにそのスポイトを眺める。
「これはスポイトといって、精油や香油を適量分、取り出すことのできるものです。このように……」
マリアが実際に、瓶の中にスポイトを差し込み、スポイトの膨らんだ部分を少しだけ抑える。それを解放すると、押し出された空気の代わりに香水が吸い上げられていく。そして、そのスポイトを今度は皿の上で再度握って、ポタポタと一滴ずつ垂らしていった。
ディアーナはまるで魔法でも見たかのように驚いた。
「すごいわ。こんなものまであるのね」
そして、マリアの真似をしてゆっくりと瓶の中から香水を吸い上げる。最初はうまく量を調節出来なかったようで苦戦していたが、何度か繰り返してコツをつかんだようだ。
「調香のコツは、少しずつ香りを混ぜて確認することです」
「一度にたくさん、というわけにはいかないのね」
「はい。香りはその分量で大きく変化します。自分のイメージする香りを作りだすには、面倒でも少しずつ確認しながら作っていくのが大切なんです」
マリアの言葉を素直に聞き入れたディアーナは、その後、ポタポタと丁寧に皿へ香水を移しながら、その香りを楽しんだ。
その作業は、好きな人にとっては何時間でも続けられるものだ。マリアものめりこんだら一日中やっていた、なんてことがある。どうやら、ディアーナも同じらしい。真剣な顔つきで、一滴たらしては香りを確かめ、また隣の一滴を垂らしては何やら考えていた。どこか楽しげな表情に
(もしも、王女様じゃなかったら、良い調香師になっていたかも……)
そんなことを考えるのであった。
一時間ほどたったところで、ディアーナの部屋がノックされる。
「お入りなさい」
ディアーナは調香していた手を止めて、扉の方へ向き直った。どこか緊張感を漂わせ、背筋をピンと伸ばす。マリアもそれにならった。
入ってきたのはメイドで、お茶と焼き菓子ののったサービングカートが後ろに見える。
いつもはレッスンが終わる頃に持ってくるのだが、どうやら今日は二人とも集中していて時間を忘れていた。
「お茶をお持ちしました」
メイドは丁寧に頭を下げると、そういってサービングカートを部屋の中へ持ってくる。
「すみませんが、この机から出来るだけ離れたところに置いておいてもらますか?」
マリアが調香中の机を指さすと、メイドは快くうなずいた。
メイドが部屋を出たところで、マリアとディアーナは休憩をとることにした。
「もうこんな時間なのね、気づかなかったわ」
ディアーナはそう言ってティーカップに口をつける。今日はセイロンだ。
「どうして、あの机から離すように言ったの?」
「香りが混ざってしまいますから。出過ぎた真似を、申し訳ありません」
「いいのよ。香りが混ざると、良くないのね」
ディアーナは休憩中も勉強に余念がない。マリアの言葉を確かめるようにつぶやいて、手近にあった紙にペンを走らせた。
「食事の場でも、あまり香りのきつい香水などは喜ばれません。お料理の香りと混ざってしまうこともありますし、逆に、香水の香りが味覚に影響を及ぼすこともあるかもしれませんから」
マリアが補足すると、ディアーナはそれらを紙に書き記していく。
「へぇ……。なんでもつければ良いってわけじゃないのね」
「香りを楽しむことも、お食事を楽しむことの大切な一部分ですから、特に気を使うのでしょうね」
ディアーナは、なるほどね、とうなずいて、紅茶の香りをたっぷりと嗅いだ。
「何事も過不足なく、バランスをとることも大切だと、祖母から教えられました」
マリアがそう言うと、ディアーナは不思議そうな顔をする。
「どういう意味?」
「食事で言えば、お肉だけでなく、お野菜も食べなさいと言われたことはありませんか?」
「あるわ。お菓子ばかり食べていてはダメだとよく叱られるもの」
ディアーナはしかめ面をしながらそう言った。怒られた時のことを思い出しているのだろう。マリアはそんなディアーナの姿を見て、やはり年相応の女の子なのだ、と思う。
休憩を終えた二人は、調香のレッスンを再開した。ディアーナの納得がいくまで、マリアも付き合おう、と心に決めていた。
「香りは、私たちの記憶と深く結びついているそうですよ。ですから、ディアーナ王女に少しでも香りとともに良い思い出が出来るように、納得のいく香りを作るまで、お手伝いします」
マリアがそう言うと、ディアーナは
「記憶と、香りが……」
そう呟いてから、嬉しそうにうなずいた。
「できたわ!」
ディアーナがそう言って声をあげたのは、日も傾き、空が明るく染まった夕暮れのことだった。スパイス系とグリーン系を混ぜた、刺激的だが温かみのある良い香りが漂っている。マリアもその香りに、とても良い香りです、とディアーナをほめる。ディアーナは満足げな笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、すっかり遅くなってしまったわね」
片付けを終えたマリアに、ディアーナはそう言った。気丈に振舞おうとしているものの、眉は下がり切っている。
「いえ、お気になさらないでください。ディアーナ王女が素敵な香りを作られたことが、私にとっては何よりの幸せですから」
マリアの言葉に嘘はない。ディアーナはそんなマリアに安心したのか、柔らかく微笑んだ。
「せめて、門の衛兵に家まで送らせるわ」
「そんな。お気を使わないでください。広場の方から通ってますし……」
「私がそうしたいのよ。素直に受け取りなさい」
ディアーナに強くそう言われては断れない。マリアは仕方なくディアーナの好意を受け取ることにした。
マリアが庭へ出ると、外は暗くなり始めており、一番星が輝いていた。庭から振り返り、ディアーナの部屋に向かって頭を下げる。
(騎士団の方には申し訳ないけれど……)
マリアはそんなことを考えながら、門の方へと歩いていくのだった。
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