七つの香り
翌週、マリアは王城の門をくぐると、そのままディアーナの部屋へと案内された。先日とは違うメイドだったので、先日のメイドがもう会うことはないだろう、と言っていたのはどうやら本当らしい。働いている人の数も知れず、こう敷地面積も大きくては当たり前のことなのだろう。勝手にそのあたりを散策するつもりはないが、一人では迷うだろうな、とマリアは考えた。
「お入りなさい」
メイドがディアーナの部屋の扉をノックすると、中からディアーナの凛とした声がする。メイドが扉を開き、マリアは頭を下げた。
「調香師、マリアです」
ディアーナは待っていた、といわんばかりにソファから立ち上がった。
今日のディアーナは、濃いブルーにパールがあしらわれたドレスで、髪をまとめて流している。ずいぶんと大人っぽい恰好だ。
「どうかしら?」
マリアの視線に気づいたのか、ディアーナは少し不安げな瞳でマリアに尋ねる。
「とても良くお似合いですよ。ディアーナ王女のお美しい一面が出ていて素敵だと思います」
マリアが素直にそう答えると、ディアーナは安心したように微笑んだ。
「そうだ! せっかくですから、今日のディアーナ王女にぴったりな香水をつけてもよろしいですか?」
マリアは自らのカバンに入っていた香水の瓶を一つ取り出す。今日のレッスンで使う予定だったが、少しくらいならかまわないだろう。マリアの提案に、ディアーナは大きくうなずいた。
マリアはディアーナの両手首に香水を一滴たらし、優しく塗り広げた。その瞬間、ペパーミントの爽やかな香りが鼻を抜ける。後を追うあたたかみのある苦みは、クラリセージだ。
「すっきりした良い香りね」
「これはハーブ系の香りをブレンドしたものです。爽やかな香りが特徴で、集中力を高めると言われています。洗練された雰囲気も出ますし、今日のディアーナ王女には良いかと」
マリアの言葉を聞きながら、ディアーナは嬉しそうに香りを楽しんでいる。
「それじゃぁ、一緒に香りのレッスンを始めましょうか」
つかみはばっちり。実際に香りを嗅いだことで、ディアーナのやる気も上がったようだ。椅子に腰かけると、ディアーナは羽ペンにインク、そして紙束を広げた。
マリアはカバンから瓶を七つ取り出して、ディアーナの前に並べる。今日は、精油の基本である香りの分類をディアーナに学んでもらう。
「香りは、大きく分けて七種類あります。それらをブレンドして私たち調香師は様々な香りを作るのですが、まずは基本をおさえておけば、ディアーナ王女でもその日の気分に合わせた香りを選べると思いますよ」
マリアがそう言うと、ディアーナは目の前に並べられた七種類の瓶を見つめた。
「まずは、先ほどディアーナ王女にご紹介したハーブ系の香りです」
「爽やかな香りで、集中力を高めるのよね」
ディアーナは紙に一生懸命に書き記しながら、もう一度香水の瓶に鼻を近づけた。
「はい。ハーブは古くから薬草としても使われているので、消毒なんかの意味合いを込められる方もいらっしゃいます。心を落ち着けたり、頭をすっきりさせたりする時なんかにもぴったりですよ」
マリアの言葉を一語一句聞き逃さないように、ディアーナはしっかりとメモを取っていく。
マリアは次に、ハーブの香水瓶の隣に並べていた瓶を持ち上げた。
「この香りは何だと思いますか?」
マリアがフタを開けると、ディアーナはゆっくりとその香りを確かめる。
「……この香り、とっても好きだわ。レモンかしら」
ディアーナは答えてからも瓶をしっかりと握りしめて、何度もその香りを楽しんでいる。
「正解です。この香りは、シトラス系の香りをブレンドしたものです。レモンやオレンジ、ライムなどがこれに当たります」
「とってもいい香りね。これはどんな時に使うの?」
「明るい気持ちにさせるので、私は少し落ち込んだときに使ったりしています。リフレッシュしたりしたい時にも良いと思いますよ」
マリアがそう言うと、ディアーナは何か心当たりがあるのか、
「今度から、そういう時にはこの香りを思い出すわ」
そう言って、少し切なげに微笑んだ。
それから、華やかな香りのフローラル系、エキゾチックな香りのオリエンタル系、木の樹脂を使った重たく甘い香りのバルサム系、とマリアはディアーナにそれぞれの香りを紹介する。ディアーナはどの香りも素敵、面白い、とその違いを楽しんでいる。
「これは、シナモンかしら?」
ディアーナがそう言ったのは、最後から二つ目の瓶を持ち上げた時だった。鼻に近づけなくとも、豊かに香るスパイシーな香り。刺激的で、心を強く突き動かしてくれるような。
「正解です。この香りはスパイス系と言われるブレンドです。シナモンが多く入っていますが、ジンジャーなんかも混ざっているんですよ」
マリアが言うと、ディアーナは興味深そうにもう一度その瓶の香りを確認する。
ディアーナは、この香りをとりわけ気に入ったようだ。マリアには、それが少し意外だった。好みの分かれやすい香りだし、ディアーナはシトラスやフローラルな香りといった、いわゆる女の子らしい香りが好きなのでは、と予想していたのだ。雰囲気や見た目、年齢などからそう推測していたが、どうやらマリアの知らない面がまだまだあるらしい。
「不思議ね。この香りにはとても勇気づけられるわ」
ディアーナはあたたかな瞳でそう言った。安堵ともとれるその表情に、マリアも心があたたかくなる。
「気に入っていただけて良かったです。この香りは、体を温める作用がある、なんて言いますから、そういう意味でもいいかもしれませんね」
マリアが言うと、ディアーナは大切そうにその瓶を両手で握りしめて、うなずいた。
最後の瓶はグリーン系。木の枝や樹皮から取り出される香りで、森林の香りがする。マリアにとってはとても馴染みの深い香りだが、ディアーナは新鮮だったようだ。王城で暮らしていては、森に立ち入ることはほとんどないのだろう。
「これも良い香りね。お母さまが時々焚いてる香りに似ているわ」
確かに先日ケイが買い物へ来た際にも、グリーン系のアロマがあったはずだ。
「お母さまは、眠る前に焚いてることが多いの。落ち着く香りだからかしら」
ディアーナの言葉にマリアもうなずいた。強力な癒しの効果をもたらす木々の深い香りは、お忙しい王妃様の心身を和らげているのだろう。そう思うと、調香師としての役目を果たせているようで嬉しい。
それぞれ七種類の香りを楽しんで、ディアーナはもう一度気に入った香りをいくつか選んだ。シトラス系とスパイス系。最終的にはその二つを気に入ったようだ。
「この七種類は差し上げます。今日勉強したことを活かしながら、使ってみてください」
マリアがそういうと、ディアーナの瞳が輝く。
「いいの?!」
「えぇ、もちろんです。香りは実際に使って覚えるものですから」
マリアの言葉にディアーナは年相応の笑顔を浮かべて、それらの瓶を嬉しそうに眺めた。
「スパイス系だけは、刺激が強いのでお体に直接触れないようにしてください。皮膚が炎症をおこしてしまうこともありますから……」
マリアの香水は薄めてあるので大丈夫だと思うのだが、一応念のためにつけ足しておく。気に入っている香りなだけに、ディアーナも少し寂しそうな顔をしたが、
「わかったわ。香りを楽しむ分にはかまわないんでしょう?」
そう言ってうなずいた。
初日は思った以上にはかどり、マリアはディアーナと二人でお茶とお茶菓子をつついて王城を出た。城を出る頃にはマリアの緊張もずいぶんと和らいでおり、帰りに城下町にでも寄ってみようかしら、と考えるのであった。
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20/6/21 段落を修正しました。




