初出勤
マリアは、ワンピースに靴、そして昨日買ったカバンを身にまとい、洋裁店の扉を開けた。
「気を付けていってくるのよ」
「忘れ物はないかい?」
「マリア、帰りにお土産よろしく」
両親とミュシャに見送られ、マリアは王城へと向かう。時刻は十時を過ぎており、出勤のピークは過ぎている。町の広場から出ている路面電車もすいているだろう。
マリアは、城下町の景色に再び心を躍らせながら、王城での勤めについて考える。
(ディアーナ王女の専属の調香師かぁ……。引き受けたのは良いけれど、一体どういったことをお教えするべきなのかしら……)
今日は顔合わせということになっている。王様と王妃様に謁見した後、ディアーナ王女を紹介するとのことだった。最も、マリアは偶然にもディアーナ王女とは一度会っているので、紹介も何もないと思うのだが。
王城までは、路面電車に揺られること三十分。週に一度とはいえ、今後マリアの店から通うにはあまりにも遠い。仕方がないので、店の定休日を水曜日から金曜日までの三日間とした。そして、実家である洋裁店から木曜日だけ王城へ通う。この生活にもしばらくすれば慣れるだろう。今はまだ、想像できない。
昨日下りた駅よりもさらに三駅いったところ。王城を目の前にした大きなターミナルでマリアは降車した。中には、マリアのように王城勤めの人もいるようで、心なしか上品な身なりの人が多く見える。
(王妃様の計らいだったのね。この恰好で良かったわ)
マリアは着るのがもったいない、と言っていた自分を恥じる。
この先は王城なのだ。マリアはディアーナ王女の専属の調香師として勤めることになる。それ相応の恰好でなければ、王女様の品格までも疑われてしまう可能性があるだろう。マリアは出来るだけピンと背筋を伸ばし、いつもより少しだけゆっくりと、そして堂々と王城へ続く美しいテラコッタタイルを踏みしめた。
見れば見るほど美しい。
それが王城というものだ。白くそびえたつ高い塔に、手入れの行き届いた庭。王国の旗が風に揺れ、右側には時を告げる大きな鐘が金色に光り輝いている。ガーデン・パレスも素晴らしいところだったが、王城はやはり風格がある。隅々まで洗練されたデザインに、歴史を感じさせる趣。それでいて、古臭さはなく、伝統と格式がそこには存在している。
マリアは思わずほぉっとため息をつく。まさか自分が、この場所に足を踏み入れることになるとは。あまりにも現実離れしているせいか、いまだに実感がわかない。
(しっかりしなさい、マリア。私は調香師として、出来る限りのことをするの……)
マリアは自らに言い聞かせ、両手で軽く頬を叩く。覚悟は決まった。よし、とマリアは一歩踏み出した。
門の隣に備え付けられている小さな扉。普段はここから出入りするらしい。騎士団の服を着た衛兵に声をかけると、すでに話が通っているのか、マリアはすんなり中へ通された。
門をくぐると、美しい庭園が続いている。奥には豪華な噴水が見える。マリアは手紙と一緒に同封されていた地図を広げ、庭を抜けた。
城の入り口には、さらに大きな扉がある。そこにも衛兵が立っており、マリアの姿を見て一礼した。
「マリア様ですね?」
マリア様、などと呼ばれたのは初めてのことで、マリアはぎこちなく微笑んだ。
「はい。パルフ・メリエから来ました。調香師のマリアです」
一応名乗った方が良いだろう、とマリアも丁寧にお辞儀する。恰幅の良い男は
「お待ちしておりました。案内の者を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
そう言って、大きな扉をゆっくりと開けた。
「お待たせして申し訳ありません」
扉の奥から、メイド服を着た若い女性が深々とお辞儀した。マリアとさほど年齢も変わらないように見えるが、さすがはメイド。その所作には気品がある。マリアがつられてお辞儀をすると、メイドは優しく微笑んだ。互いに自己紹介を簡単にしたが、メイドが言うには今後ほとんど顔を合わせることはないらしく、マリアは少し残念に思った。どうせなら、こういう作法を身につけて帰りたいくらいだが、それは別の機会にとっておくしかなさそうだ。
メイドに案内され、城内を歩く。どこまでも長く続く廊下。大理石の階段。高い天井の端々にまで美しく彩られた装飾。どこもかしこもきらびやかで、まさしく想像通りだ。マリアは一歩進むごとにその素晴らしい造りに感動する。これだけ広いのに、塵一つ落ちていないのは、城に仕える人たちがとても優秀なのだろう。マリアは前を歩くメイドを見習い、再度姿勢を正す。
「こちらで、王様と王妃様がお待ちです」
メイドがそう言って立ち止まったのは、ひときわ目を引く美しい金の装飾が施された扉の前だった。
謁見の間。歴史の教科書くらいでしか見たことがない。白塗りの扉には一切の損傷や汚れはなく、金色のドアノブに蝶番、装飾のどれもが日々丁寧に磨かれていることがうかがえた。両サイドに立っている衛兵が敬礼する。メイドとマリアは小さく会釈した。
メイドが扉をノックすると、しばらくして
「入れ」
と中から声がした。ゆっくりと扉が開く。マリアにはその一瞬が、ずいぶんと長いことのように思えた。
「パルフ・メリエの調香師、マリア様をお連れいたしました」
「ありがとう。もう下がっても良いぞ」
「では、失礼いたします」
メイドがそう言って下がると、扉はパタンと閉められる。
「マリアも頭を上げてくれ。堅苦しいのは嫌いでな」
頭を下げていたマリアに、王様はそう言った。
マリアがゆっくりと顔を上げると、王様と王妃様が正面に見えた。赤い絨毯が続いている階段の先に、二人は座っている。ただそこにいるだけなのに、圧倒的な存在感。
(これが一国の主……)
マリアの瞳は自然と二人に吸い込まれ、そして離すことが出来なかった。
「マリア、遠路はるばるよく来てくれた」
王様はにこりと微笑んだ。威厳はあるが、優しく穏やかな雰囲気。落ち着きのある物腰に、マリアの緊張も少し和らぐ。さすがは国民から多くの支持を集めただけのことはある。賢帝だと聞いているが、人当たりの良さというのはこの国の王には必要な素質だ。
「パルフ・メリエより参りました。マリアです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「何、気にするでない。こちらこそ、突然の依頼にも関わらず引き受けてくれたこと、感謝する」
「えぇ。あなたの調香は素晴らしいわ。私も気に入っています。あなたがディアーナの面倒を見てくれれば、私たちも安心できます。ありがとう、マリア」
二人から礼を言われ、マリアは深々と頭を下げた。
「そのように言っていただけて、大変光栄です。痛み入ります」
調香師冥利につきるとはまさにこのこと。マリアはすでに感動から涙が出そうだ。なんとかそれを堪えて、顔を上げる。
「今日は、あなたにディアーナを紹介します。もっとも、ディアーナはなぜか、あなたのことを知っているようでしたが」
王妃様はクスクスとそう言って笑った。子供のようないたずらっぽい笑みには、優しさと慈愛が含まれている。娘をとがめるつもりはないらしい。親というのは、存外子供のことをよく見ているものだ。
「そろそろ来るだろう。すまないが、少々待っていてくれ」
王様がそう言った時だった。マリアの後ろから扉をノックする音が聞こえる。
「ほっほっほ。噂をすればなんとやら、だな。入れ」
王様の笑い声と同時にゆっくりと扉が開く。
美しいピンクのワンピースを身にまとい、ブロンドの髪をなびかせたディアーナがマリアの姿を見つめた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
ようやく王城編らしくなってきました。(どうでしょうか?)
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20/6/21 段落を修正しました。




