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調香師は時を売る  作者: 安井優
王城編

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ミュシャの靴

「そうだ、これ」

 ミュシャは、手に持っていた箱をマリアに差し出す。

「開けてもいいの?」

「うん。こんなに素敵な服に合うかどうか、あんまり自信はないけど……」

 ミュシャの言葉は珍しく弱気だ。それだけこのワンピースが良くできた品だということだろう。マリアはゆっくりと箱を開けた。


「綺麗な靴……」

 白いストラップシューズだが、かかとには淡いブルーのリボンがついている。ストラップの金具は金に塗装されており、それがワンピースの金色のボタンとよく合っていた。

「サイズが合うと良いけど」

 ミュシャはそう言って靴を取り出す。マリアを椅子に座らせると、ミュシャはマリアの前に(ひざまず)いた。


「ミュシャ! 自分で履けるよ?」

「いいの。マリアは黙ってて」

 靴を脱がされ、そして先ほどのストラップシューズを履かされる。まるで童話の中のお姫様と王子様だ。両親とリンネの前だということもあり、マリアは恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。ミュシャは、真剣な手つきでパチンとストラップを留める。


「どう?」

 マリアはミュシャに手を差し出され、促されるままに椅子から立ち上がった。靴も驚くほどピッタリ。ヒールが低いため歩くことはもちろん、少しの運動であれば全く問題なさそうだ。


 ミュシャが店から全身鏡を持ってきて、マリアの前にたてる。マリアは自らの姿に、驚いて目を丸くした。

(こんなことってあるのね……)

 まるでどこかのお嬢様にでもなったような気分だ。普段から身だしなみには気を付けているものの、より品格があり、大人っぽく見える。ミュシャの持ってきた靴もとてもワンピースに合っている。


「悪くないね」

 ミュシャは自ら持ってきた靴と、ワンピースを交互に眺めてからうなずいた。どうやらミュシャの不安も少しは晴れたらしい。

「後はカバンだけど……これは、明日一緒に買いに行こう。大きさもどれくらいが良いとかあるだろうし」

 ミュシャの言葉にマリアがうなずくと、ミュシャは満足そうに目を細めた。


 写真を撮りたいとせがむ両親と、カバンのイメージをつかみたいというミュシャ。そしてとにかくマリアの姿を褒めちぎるリンネに囲まれ、マリアはなんとも言えない気持ちで数十分、そのままの姿でいる羽目になった。


 夕食を終え、ガーデン・パレスへと帰っていくリンネの後ろ姿を見送ったマリアは、お風呂を済ませて一息ついていた。パジャマに着替えて、やっぱりこれくらいの方が落ち着く、とマリアは紅茶を口に運ぶ。実家に戻ってきた、というのに、今日はなんだかこうしてゆっくりする暇もなかったな、とマリアは思う。改めて、王城で働くということの重大さを実感させられた。


「マリア、明日のことだけど」

 お風呂を済ませたミュシャが、頭からぽたぽたと水を滴らせながらマリアに話しかける。

「カバンのこと?」

「うん。少し遠いけど、城下町の方まで出てみようかと思うんだ」

 マリアは立ち上がって、洗面所へ向かう。ドライヤーを取って、ミュシャの座った椅子の後ろへ回った。ミュシャの髪を乾かしながら、マリアは答える。

「城下町!? 久しぶり! そうしましょうよ」

「じゃあ、決まり。朝、起こしてね」

「ふふ、了解」


「ねぇ、ミュシャ。あの靴はどうしたの?」

 ミュシャの髪を乾かし、ミュシャの前に腰かけたマリアは尋ねた。ずっと聞くタイミングを逃していた。ミュシャは、どこか懐かしそうな顔をした。

「あれは、父さんが、母さんに送った最後のプレゼントだよ」


 ミュシャの父親は靴職人だ。マリアも何度か会ったことがあるが、いつもオシャレな靴を履いていた記憶がある。そして、ミュシャの母親は、ミュシャを産んですぐ亡くなった。もともと病気がちだったそうだが、それも父親から聞いた話だけだ。ミュシャは、母親の顔を写真でしか知らない。写真の中の母親は、いつも優しく微笑んでいた。


「そんな大切なもの、もらっちゃっていいの?」

 マリアの問いに、ミュシャは静かにうなずいた。

(むしろ、マリアにこそもらってほしい)

 ずっとそう思っていた。


 ミュシャを産んだとき、父親が母親に送ったプレゼントだというあの靴は、ミュシャが学校を卒業した時に父親からもらったものだ。就職祝いも兼ねていたのかもしれない。


 ミュシャもはじめは断った。そんなものをもらえない。そう言ったが、父親は(かたく)なに譲らなかった。大切な人を思って作った靴が、大切な息子に渡せるチャンスは今しかない、と父親は言った。

「大切な人を思う気持ちが、ずっとこうして大切な人を通じてつながっていく。それをお前の母さんは望んでいたし、俺にとっても幸せなことだ」

 靴職人である父親にとって、自らの作品が後世の人を幸せにできるということは、何よりの喜びなのだろう。ミュシャもデザイナーのはしくれだ。その思いは手に取るように分かった。


 そして、

「今度は、お前が一番大切な人にあげると良い」

 父親はミュシャにそう言った。だからこそ、ミュシャはこの靴をいつかマリアにあげようと思っていた。父が母を生涯愛しているように、ミュシャにとってもマリアを思う気持ちはずっと変わらないだろう。


 ミュシャの強い気持ちを汲み取ったのだろう。

「それじゃぁ、大切にするね」

 マリアはそう言って、美しく、まるで花が開くように柔らかな笑みを浮かべた。


 ミュシャは、いつもその笑みに胸が苦しくなる。切ない痛みが、チリチリとミュシャの心に住み着いている。

(いつか、この思いを伝えられる日がくるんだろうか……)

 少しずつ、マリアが自分から遠ざかっていくような気がして、ミュシャはぎゅっと唇をかみしめた。


 マリアは、ミュシャの気持ちには気づかないまま、しばらく明日の話を続ける。

「城下町って何年振りかしら。学校の時に、ミュシャと行ったのが最後? お店からだと遠くてあんまり行けないから、楽しみね」

 マリアの言葉に、ミュシャは小さく相槌(あいづち)をうつ。

「王城で働くようになったら、毎日通るんじゃないの?」

「それもそうだね。王城かぁ……」

 ミュシャの言葉にマリアは、不安げな表情を浮かべる。まだ、その重責に対して、どこか考えるところがあるのだろう。


「大丈夫だよ。マリアなら」

 ミュシャがそう言うと、マリアはお決まりのセリフを言う。

「ミュシャがそういうなら、間違いなしね」

 マリアを元気づけたつもりが、ミュシャの方がこの言葉に元気づけられている。


 ミュシャは、そんなマリアの魅力に、王城の人や城に出入りする貴族の人たちが気づかないことを祈るばかりだった。


いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。

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20/6/21 段落を修正しました。

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