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調香師は時を売る  作者: 安井優
王城編

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ディアーナの想い

 歴史の勉強を終えたディアーナは、先日、母親である王妃からプレゼントされたチェリーブロッサムの香りをたっぷりと堪能(たんのう)していた。


 大人っぽい濃厚な甘さであるはずなのに、どこか心を落ち着けるような、優しいフローラルな香り。それでいて森林のようにディアーナを包み込むそれは、ディアーナにとってまさに癒しの瞬間だ。自分がいつもよりも少しだけ、魅力的な女性になったような、そんな気分になる。


 香水なんてどれをつけても同じ。ディアーナはそう思っていた。マリアに出会うまでは。

 ディアーナはこの香りを知ってから、もっといろんな香りを試してみたくなっていた。最近では、母親の使っているものをいくつか貸してもらい、気分によって変えてみたりしているくらいだ。


「ディアーナ王女は、本当にその香りがお好きですね」

 うっとりと庭を見つめるディアーナは、その声に大きく肩を揺らして振り向いた。

「シャルル! いたなら声をかけてちょうだい!」

 ディアーナの後ろに立っていたのは、シャルルだった。


 いつもの騎士団長の服に赤の美しいマント、首元には王家の紋章が入った金色のピン、そしてマントを止めるための金色のタッセルを付けている。いつもの柔和な雰囲気とは少し違い、どこかピリリとした空気をまとっていた。しかし、いつの間に部屋へ入ったのだろう。全く気付かなかった。


 シャルルはディアーナに近づき、そっと手の甲に口づける。忠誠を誓う、という意味のその行為だが、年頃のディアーナにとっては、シャルルを意識させるのに十分だった。顔から湯気が出るのではないか、と思うくらい顔を真っ赤にしたディアーナはシャルルから視線をそむけた。


 シャルルが城を訪れるのには、いくつか理由がある。一つは、王や王妃の(つか)いとして。あるいは、国の戦争や隣国との交易の最高指揮官として。また、あるいは、ディアーナに軍事的な教育を行うため。今日の服装からすると、どうやら軍事的なことで何か会議があったのだろう。


 シャルルは、表向きは国の騎士団長だが、その裏には彼と、そして彼の家柄による様々な秘密が隠されている。それを知っているのは王家の人間だけだ。ディアーナは、自分の前だけではただのシャルルとして接してほしい、と思うのだが、それは叶わぬ望みらしかった。


「さぁ、王女様。お勉強の時間ですよ」

 シャルルの優しい声は、ディアーナにしばしの休息タイムが終わったことを告げる。ディアーナは瓶のフタをしっかりと閉めて、再び分厚い本を開くのであった。


 シャルルは、いくつかの宿題をディアーナに出し、授業を締めくくった。

「それじゃあ、また来週」

 シャルルはにこりと微笑んで、ディアーナの部屋を後にする。今日の授業はこれが最後だ。


 ディアーナは広い部屋に一人ポツンと取り残された。後の楽しみと言えば、城を去っていくシャルルの背中を窓から見送ることと、寝る前にもう一度チェリーブロッサムの香りを楽しむことくらいだ。ディアーナは窓からマントを外したシャルルを見つめて、物憂(ものう)げなため息をついた。


 ディアーナは、物心ついたときから城での生活が中心だった。王家の人間だから当たり前といえば当たり前なのだが、幼いころから王の座を狙うものたちに命を狙われたこともあり、学校には通わせてはもらえなかった。代わりにこうして、両親が選んだ家庭教師に通ってもらう毎日を送っている。外には行けるが、必ず国の騎士団の者がついていなければならず、友達も出来ない。両親について近隣諸国の権力者たちとその家族に会うことはあっても、それは友達とは言い(がた)いだろう。ディアーナの毎日はひどく退屈だった。


 ベッドに入り、ディアーナは香水のフタを開ける。寝る前に少しだけ手首にそれをつければ、ディアーナはどこか夢を見ているような気分になる。乙女な妄想もはかどるというものだ。ディアーナはその甘い香りにうっとりと目を閉じた。


 幼いころからディアーナを側で守ってくれているシャルル。どんな時も柔らかな笑みを浮かべ、忠誠を誓ってくれている。決して邪険(じゃけん)に扱わず、両親に取り入るために優しくしているわけでもない。勇敢で、学があり、それでいてもなお、満足することはない。シャルルが婚約者だったらどんなに良かっただろう。ディアーナは、はぁ、と息をもらす。もっとも、婚約者にシャルルは含まれていない。ディアーナの婚礼時期が近づき、両親は何人か候補者をあげた。どの人も当然魅力的ではあると思うのだが、今一つディアーナの心はときめかなかった。


 ディアーナが再びシャルルとの妄想にふけっていると、トントン、と部屋をノックする音が聞こえた。

「ディアーナ。もう寝てしまったかしら」

 母親の声だ。ディアーナはいいえ、と返事をした。


「ごめんね、遅い時間に」

「大丈夫ですわ。お母さまはお忙しい身ですもの。無理はなさらないで」

 ディアーナがそう言うと、母親は優しく微笑む。こんな美しい母親のような女性に、自分はなれるのだろうか。母親から香る優しい花の香りを、ディアーナはそっと吸い込んだ。


「あなたに話があるの。そろそろ婚礼の準備をした方が良いかと思って」

 母親の言葉に、ディアーナは目を伏せる。シャルルへの想いも告げぬままに、別の人と結婚せねばならない、という事実をいまだ素直に受け入れることが出来ないでいた。国のためだとは分かっているが、それならなおのこと、シャルル以上の適任がいるとは思えなかった。


 ディアーナは自らの気持ちをぐっと押し殺して、なんとか笑顔を作る。ここで両親を心配させてはいけない。私は、次期王妃なのだから。

「えぇ。お裁縫(さいほう)? お料理? テーブルマナーにダンス……。どれも楽しそうね」

 ディアーナがそう言うと、母親はにこりと微笑んでうなずく。

「それも、もちろんだわ。でもね、もっとあなたが好きそうなことよ」


「何かしら」

 ディアーナは母親の言葉に、純粋に興味を示した。母親がこのようにもったいぶって話すことは珍しい。まるで、おとぎ話を聞かせてもらった時のようだ。早く続きを、とディアーナは瞳を輝かせて母親を見つめる。


 母親は、ディアーナのベッドサイドに置かれた香水の瓶を手に取って、わざとらしくディアーナに見せる。

「これを作った調香師が、あなたの専属の調香師として来てくれるそうよ」

 ディアーナは目を丸くした。


(まさか、マリアにまた会えるなんて)

 母親はそんな娘の反応を見逃さない。瓶を再びベッドサイドに置きなおすと、ディアーナの頭を優しくなでた。

「楽しみ?」

「べ、別に! そんなことないわ! ただ、最近香水に興味があるからちょうど良かっただけよ!」

 素直になれないディアーナの姿に、母親はクスクスと微笑んだ。


「おやすみ、私の愛しいディアーナ」

 母親はディアーナのおでこに優しく口づけると、ディアーナの部屋を出た。


(私にぴったりの香りを、他にも作ってもらえるのかしら……)

 一人きりの部屋で、ディアーナはベッドにもぐりこんでマリアのことを思い出していた。

(どうやって作っているのかしら……)

 ディアーナは、次から次へとわいてくる期待に胸を(ふく)らませる。言葉こそつっけんどんなディアーナだが、本心はやはり楽しみなのだ。ディアーナはシャルルとの妄想をしていたことなど忘れて、すっかりマリアと香りのことばかり考えていた。


 その頃、マリアは今日何度目かのくしゃみをした。

(また風邪がぶり返したのかしら……)

 まさかディアーナ王女が自分のことを考えているなどと夢にも思わないマリアは、いつもより少し厚手の毛布を一枚かけて眠るのだった。


いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。

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20/6/21 段落を修正しました。

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