表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
調香師は時を売る  作者: 安井優
ガーデン・パレス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/232

王女ディアーナ

 マリアは所長室の扉をノックした。

「おはいりなさい」

 若い、というよりは幼いの方が正しいであろう女の子の声に、マリアは首をかしげる。

「失礼します」

 そっと扉をあけたマリアは、所長室にいたその人の姿に目を見開いた。


 さかのぼること、二十分前。

 食堂で朝食を食べていたマリアとリンネのもとに、一人の男が駆け寄ってきた。

「あなたがマリアさんですね?」

 ひどく焦った様子の男は、息も絶え絶えにマリアを見つめる。あの長い距離を走ってきたのだろうか。

「えぇ、そうですけど……」

「すぐに所長室に来てくれ、と。所長がおよびです」


(チェリーブロッサムの香りのことかしら)

 マリアはフレンチトーストの最後のひとかけらを無理やり口に押し込んでうなずいた。

(それにしても……)

 確かに、王妃様の依頼とはいえ、こんな朝早くから呼び出すほどのことなのか。マリアは不思議に思いながらも、所長室へと急いだのだった。


 所長室にいたのは、現国王と王妃の一人娘——王女ディアーナだった。マリアは慌てて膝をつき、頭を下げる。先ほどの男があれほど焦っていたのはこのせいか、とマリアは思う。

「失礼いたしました、ディアーナ王女」

「良くってよ。頭を上げなさい、マリア」

 マリアがゆっくりと顔を上げると、ディアーナは美しく微笑んだ。


 美しく輝くブロンドの髪。透き通るような青い瞳。陶器のような肌に、新緑を思わせるドレスがよく映えている。まるで人形のような整った姿に、マリアはつい見惚れてしまう。確か、歳はマリアより十ほど下だったと思うが、唇にひかれた鮮やかなルージュが彼女を本来の年齢よりもぐっと大人びて見せていた。気品あふれるオーラを身にまとっており、さすがは王家の娘、としか言いようがない。王女ディアーナには生まれ持って人を引き付ける、そんなカリスマ性があった。


「あなたのこと、聞いたわ。お母さまが気に入っている香水も、あなたが作ってくださってるんですってね」

 ディアーナはそういうと、ちらりと隣に立つ人物へ目をやった。マリアもつられて彼女の視線を追う。


 そこには、いつものように柔和な笑みを浮かべたシャルルと、緊張からか眉間にしわを寄せるケイが立っていた。ディアーナに気を取られて気づかなかったのだ。しかし、慣れ親しんだ顔が並んでいたことで、ようやくマリアの気も少し緩んだ。


「所長から昨日の夜に連絡をもらってね。チェリーブロッサムの香りを受け取りにきたんだ。本当は僕一人で受け取りに行くつもりだったんだけど、ディアーナ王女様に聞かれてしまってね。連れて行けとうるさいものだから」

 シャルルが肩をすくめて苦笑すると、ディアーナはすました顔で紅茶をすする。

「どうしてもマリアちゃんに会いたいっていうんで、こうしてマリアちゃんに所長室まで来てもらったというわけさ」

「なっ! わたくしは一言もそのようなことは!」

「そうでしたか? それは失礼いたしました」


 シャルルはずいぶんとこの状況を楽しんでいるようだ。王女相手にもまったく緊張の色を見せないのは、騎士団長という肩書のせいか、それともこの男の性格なのか。どちらにせよ、ディアーナも、シャルルの言葉に本気で怒っている様子はなく、むしろ年相応の女の子の顔をしている。


「それで、チェリーブロッサムの香りが出来たっていうのは本当なの?」

 ディアーナは、こほん、と咳払いして改める。マリアは持っていた箱を開き、ディアーナの前に差し出した。

「こちらでございます」

 中にはチェリーブロッサムの香りを閉じ込めた小瓶が入っている。ディアーナはそれを手に取って、ゆっくりと光に透かして見せた。

「ふぅん……別に、普通ね」

 ディアーナはつまらなそうにそう言うと、その瓶をケイへと渡した。


「確認してちょうだい」

 毒でないことを確かめろ、という意味だろう。シャルルではなくケイへ手渡したのはそのためだ。マリアに限ってそれはありえないのだが、王家の血筋を狙うものは多い。香水に毒を混ぜるものもいると聞く。ケイはゆっくりと瓶のフタをあけた。


(これは……)

 ケイはその不思議な香りに目を見開いた。目の前に立つマリアを思わず見つめる。

(これが、調香師マリアの実力……)


 異国情緒漂う優雅で甘美な香り。しかし、鮮烈なその香りは徐々に柔らかな花と草の香りへと遷移(せんい)し、やがて落ち着いた深い樹木のようなほろ苦く、渋い香りが包む。それでもなお繊細で豊潤(ほうじゅん)な甘さが尾をひいており、ケイはなんともいえぬ気持ちに包まれた。


 隣にいたシャルルのもとにも香りが流れたのだろう。シャルルも口角をあげる。そして、しばらく無言の男に怪訝(けげん)な目をむけたディアーナに気づいたのだろう。シャルルはケイを肘でつついた。

「問題ないかと」

 ケイが慌てていうと、ディアーナはうなずいて、ケイから瓶を受け取る。


 その瞬間、ディアーナは、パッとマリアの方へ視線を向けた。


 マリアはまるでガラス玉のような瞳に見つめられ、思わず背筋を伸ばす。いくら王妃様からの依頼とはいえ、王女であるディアーナに気に入ってもらえなければ、作り直し……いや、下手をすればもう二度と依頼してもらえない可能性もある。ディアーナは再び瓶に鼻を近づけて香りを嗅ぐと、何も言わずにケイへ瓶を渡した。ケイは瓶のフタを閉める。


 そして、ディアーナはプルプルと小さな体を震わせ、マリアを見つめた。マリアに緊張がはしる。次の瞬間、ディアーナはぼそりとつぶやいた。


「素晴らしいわ……」

 香りの余韻にひたるように、うっとりとディアーナは目を細める。


「マリア、さすがはお母さまが認めた調香師ね。……合格よ」

 ディアーナの言葉に、マリアはパッと目を輝かせた。ディアーナも顔に笑みを浮かべ、マリアに手を差し出す。マリアがその手にどう答えようか、と迷っていると

「手を取ってあげて。お友達になりたいんだって」

 とシャルルがマリアに耳打ちする。

「ち、違いますわ! これは別にそういうんじゃ!」

 ディアーナに聞こえたのか、彼女は頬を赤く染めて慌てふためいた。

「本当にディアーナ様は素直でない」

 シャルルの言葉にディアーナは、ふん、と顔をそむけた。


(意外と、普通の女の子なのね)

 マリアがその様子にクスクスと微笑むと、ディアーナがさらに眉を吊り上げる。

「何笑ってるのよ! ほら、はやく手をとりなさい! 腕が疲れたわ!」

「はい、ディアーナ王女」

 マリアが握った手は、小さく、けれど温かった。


 ディアーナは大事そうに瓶の入った箱を抱えたまま、シャルルとケイを連れてガーデン・パレスを後にした。


 マリアは三人の後ろ姿を門の衛兵たちと見送り、自分もそろそろここを去る準備をしなければ、と思うのであった。


いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。


ガーデン・パレス編もいよいよクライマックスです。

最後までお楽しみいただければ、幸いです。

少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!


20/6/21 段落を修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ