友達
「出来た!!」
マリアが実験室の外に響き渡るほど大きな声をあげたのは、ガーデン・パレスへ来てから、二週間が経とうか、という夕方のことだった。
「早くみんなに知らせなくちゃ!」
マリアは瓶のフタをしっかりとしめ、実験室を飛び出した。
珍しくリンネは、マリアに手を引かれて実験室までの道のりを走る。後ろ姿でも、マリアが満面の笑みを浮かべているのがわかる。なんといっても、ここしばらくは眠る間も惜しんで作り続けてきたチェリーブロッサムの香りが完成したのだ。マリアにとってはこの上なく幸せなことだろう。
しかし、リンネの気持ちは複雑だった。
香りが出来たことは純粋にリンネにとっても嬉しいし、喜ばしい。けれど、香りが完成したら、マリアはガーデン・パレスを去ってしまう。マリアの店は国の外れの方にあるというし、あまり会うことは出来なくなるだろう。せっかく仲良くなれたというのに、寂しい気持ちがぬぐえない。本音を言えば、ずっとマリアにはガーデン・パレスにいてほしかった。
そんなリンネをよそに、マリアは実験室の扉を開けた。中にはすでに、多くの人が集まっており、マリアはその真ん中にリンネを立たせる。
マリアは実験室に集まった全員の顔を見渡して、それから、ごほん、とわざとらしく咳払いをした。
「皆様、お待たせしました!」
マリアは大きく一礼する。それから満面の笑みでリンネを見つめた。
「皆様のおかげでついに、チェリーブロッサムの香りが完成しました!」
果樹園を管理していた研究員たち、ベジリーじいさん、シェフ、そしてリンネ。みんなはマリアの嬉しそうな顔に自然と拍手してしまう。
「それじゃぁ、最初は、リンネちゃん」
マリアはにっこりと微笑み、リンネの手をとった。マリアのもう片方の手には透明な瓶が握られている。
(本当に、完成したんだ……)
リンネはマリアに促されるまま、瓶のフタをゆっくりと開けた。
リンネのもとに届いたのは甘く官能的な香りだった。そして、そのあとを追いかけるように、フローラルで柔らかな香りが続く。反して鼻の奥に残ったのは、豊かな樹木の落ち着いた香り。すべてが相まって、まるでシルクに覆われているかのようなふんわりとした優しい甘さとどこか奥行きのある森林の香りがリンネを包み込んだ。
「リンネちゃん?!」
マリアの声で、リンネはハッと我に返った。リンネは自らの左頬が濡れていることに気づく。喜びと、少しの切なさ。この十日間ほどのマリアとの出来事が、香りとともにリンネの心をいっぱいにする。
「どうしたの? 大丈夫?」
マリアも泣きそうな顔でリンネを見つめている。リンネはごしごしと涙を拭って、精いっぱいの笑みを浮かべた。
「すごいよ、すごいよ! マリアちゃん! ついに、完成したんだね!」
リンネの言葉に、マリアの顔は一気に明るくなる。
「リンネちゃん、本当に、本当にありがとう」
マリアはそう言って、リンネをぎゅっと抱きしめた。マリアの髪から、ふわりと、チェリーブロッサムの香りがした。
それから、周りにいた人たちも次々とその香りに驚いた。
「これは、すごいな。今育ててるチェリーがこんな香りになるなんて」
「わしの、あのコンロがこんなことに役立ったのか」
「じいさん、それを言うなら、あのボウルや鍋は調理場のだぜ」
「この香り、売ってくれないか」
「あぁ、俺も、妻に渡してやりたいよ」
みなすき好きに口を開いて、マリアを取り囲む。マリアも嬉しそうに、それに答えた。
実験室の騒ぎを聞きつけて、多くの人が訪れた。そのうちに、何かにかこつけてやたらと飲みたがる男たちは、食堂でどんちゃん騒ぎを始める。マリアとリンネは彼らを見送って、ふぅ、と一息ついた。
「はい、これリンネちゃんの分」
落ち着いたころ合いを見計らったのだろう。リンネにピンク色の小さな瓶を渡して、マリアは微笑んだ。
「チェリーブロッサムの香りにね、リンネちゃんっぽい香りをブレンドしたの。リンネちゃんオリジナルだよ。みんなには内緒ね」
マリアはいたずらっぽく笑って、リンネの隣に腰かける。リンネは差し出された瓶を受け取ってうなずいた。
「ありがとう、マリアちゃん」
(マリアちゃんがいないんじゃ、周りはむさくるしい男ばっかりだもん。こんなこと、話す相手もいないよ)
リンネはぎゅっと瓶を握りしめた。寂しい、という気持ちが募って、リンネはマリアの方を見ることが出来ない。
また泣いてしまいそうだった。
「リンネちゃん」
リンネの気を察してか、優しい口調でマリアが声をかける。
「仲良くしてくれてありがとう」
「何、急に! やめてよ、照れちゃうじゃん。もう……」
「ふふ、本当に。なかなか会えなくなっちゃうけど、これからもずっと仲良くしてね」
マリアの声に、リンネはついに涙をこらえきれなかった。
「そんなの……当たり前だよぅ……」
子供のように泣きじゃくるリンネの頭を、マリアが優しくなでる。
「今度、一緒に洋裁店に行ってくれるんでしょう?」
「もちろん……!」
マリアの問いに、泣きながらもしっかりとリンネが答えた。
二人の間を、柔らかな春の匂いが通り過ぎる。
「ずっと友達だよ」
どちらともなく、二人はそう言って笑いあう。
長いようで短いガーデン・パレスでの日々は、終わりを告げようとしていた。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
ガーデン・パレス編もそろそろおしまいですが、今後もマリア達の物語は続きます。
これからも皆様にお楽しみいただけましたら幸いです。
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これからもよろしくお願いします。
20/6/21 段落を修正しました。誤記修正しました。




