パルフ・メリエ
パルフ・メリエの店先には、『準備中』の看板がかけられていた。『CLOSED』でもなく、『OPEN』でもなく、『準備中』である。
ケイは、そんなパルフ・メリエの扉を見つめて、ふぅ、と一つ息を吐いた。ケイの手には大きな花束が握られている。美しく咲き誇るバラやカーネーション、ガーベラ。森の木漏れ日を受けて、ケイの腕の中でめいいっぱいに輝いていた。
今日は、開花祭の日であり……パルフ・メリエの再開初日なのである。ケイはそのお祝いに駆けつけた、というわけだ。早くマリアに会いたいあまり、開店時間よりも随分と早くパルフ・メリエについてしまったが。
(落ち着け……、落ち着け……)
柄にもなくウロウロと店の前をいったり来たりしながら、ケイは自らに言い聞かせる。手紙のやり取りはかなりの数をこなしたし、マリアとも全く会っていないわけではない。何をいまさら緊張することがあるのだ、と思うが、それでもケイの鼓動は忙しなかった。
よし、とケイが覚悟を決めたのは、それからどれくらいの時が過ぎたころだっただろうか。
ケイは意を決して、パルフ・メリエの扉を三度ノックする。
「はーい」
ログハウスの内側から、聞きなれた、けれど懐かしい声がして、ケイは背筋をピンと伸ばした。マリアが出てくるまでの数十秒のうちに、おかしなところはないか、と再確認して、ケイは自らの表情筋の隅々にまで力を入れた。
「すみません、まだ準備中で……」
言いながら、扉を開けて、マリアはふわりと香る優しいカモミールの香りに、思わず顔を上げた。目を丸くして、夢ではないか、とケイの頭の先から、足の先までを見つめる。
「す、すまない。早く着きすぎてしまって」
せっかく力を入れていた表情筋はあっけなく崩壊した。ケイの頬は、久しぶりのマリアの姿に思わず緩んでしまう。
「ケイさん!」
マリアもまた、満面の笑みを浮かべて、パルフ・メリエの扉を開けた。
ケイから花束を受け取って、マリアは、今日が開花祭の日であったことを思い出す。
「そうだわ!」
少し待っていてくださいね、と階段を駆け上がるマリアの後ろ姿を眺めながら、ケイはパルフ・メリエを見回した。新しい商品がたくさん並べられているが、相変わらず、店内には穏やかな森の香りがするだけだ。うるさかった鼓動も自然と落ち着いてしまう空間に、ケイは初めて店に来た日のことを思い出して、ふっと口角を上げた。
戻ってきたマリアから、旅の土産をたくさん受け取って、ケイは案内された椅子に腰かける。目の前のテーブルにカモミールティーを並べるマリアは、初めて会った時に比べて、少し大人っぽくなったような気がする。
「ふふ、初めて会った時も、カモミールティーでしたね」
マリアも思い出したのか、クスクスとほほ笑んで、ケイの前に腰かけた。
「おかえり」
ケイの穏やかな声に、マリアは、ようやく帰ってきたのだ、と思う。
「ただいま帰りました」
マリアの優しい声に、ケイもまた、マリアがようやくここへ戻ってきた、と思った。
カモミールティーに口をつければ、じんわりと胸が温まる。不意に顔を上げれば、互いに視線が絡まって、思わず微笑み合った。
「ちょっと。何でケイさんがいるの」
突然の声に、マリアもケイも肩をびくりと揺らした。扉を開けたままにしていたらしい。パルフ・メリエの扉にもたれかかったミュシャが、げんなりとした表情で二人を見つめている。
「ミュシャ!」
マリアが立ち上がれば、ミュシャは手に持っていた紙袋をマリアの方へ差し出して
「おかえり」
とほほ笑んだ。
「やっほー! マリアちゃん、開店再開おめでとう!」
ミュシャの脇からひょこりと顔を出したのはリンネである。リンネもまた、たくさんの珍しい花を抱えて、それをマリアの方へ差し出した。
「ミュシャと、絶対一番乗りだねって言いながら来たんだけど、先客がいたかぁ」
残念、と口をとがらすリンネは愛らしく、マリアは、クスクスと肩を揺らした。
まるで示し合わせたように、次から次へとパルフ・メリエには人がやってきた。ミュシャ達の後にやってきたのは、シャルルで、
「おや、もうみんな来てるのかい?」
と驚いたようにパルフ・メリエの外でお茶を楽しんでいる四人に声をかけた。
アイラとハラルドは、パルフ・メリエの店の前に広げられたシートを見つけて、楽しそうに手を振り、その後ろを歩いていたカントスもまた、マリア達の姿を見つけて駆け寄ってきた。
カントスの後ろをげんなりとした表情で歩いていたメックも、マリア達の姿を見つけるとぱっと表情を明るくした。
それぞれが持って来た食べ物や、飲み物、そしてマリアが作り置きしていた料理などを並べて、ちょっとした宴会である。
本来のパルフ・メリエの開店時間を過ぎてやってきた、マリアの両親と、ミュシャの父親、そして、ソティやアーサーが目を丸くするほどには、にぎやかな風景であった。
「うわ、なんだ……これは」
遅れてきたトーレスは、驚きを通り越して、どこかうんざり、といった様子である。
「マリア、郵便が……」
郵便屋の青年は、パルフ・メリエの前に広がる光景に、訳が分からない、という顔をした。開店当日だから人も多いだろう、と思ってはいたが、まさかこれほどとは。一般客はもちろんのこと、騎士団長や最近はやりのデザイナーまで見受けられ、
「開店パーティーでもしてるのかい?」
と思わずマリアに尋ねてしまうほどの豪華な面々である。
「いえ、実は……」
皆さん、わざわざ集まってくださったんです、と苦笑するマリアのそばには、なぜか出来上がっている男までいて、郵便屋の青年も苦笑するしかなかった。
マリアが受け取った手紙の数も相当なものであった。ディアーナ王女とエトワールからのもの、クリスティの妹、パーキン、そして、旅の途中であったたくさんの調香師たち。何よりマリアが驚いたのは、クレプス・コーロ、と書かれた手紙である。
マリアがその封筒を開くと、中には美しい文字で書かれたグィファンからの手紙と、可愛らしいイラストともにメッセージが添えられたヴァイオレットからの手紙が入っていた。
手紙を読み終え、マリアはパルフ・メリエの前でそれぞれ楽しそうに過ごしている人たちの姿をみつめる。
香りを通じて、たくさんの人との出会いがあった。
マリア自身も、成長し、そして、今はこうしてマリアのもとに多くの人が集ってくれている。
そう思うと、マリアの胸はぎゅっと締め付けられた。
ふわりとどこからかカモミールの香りがして、マリアはふっと視線を向ける。ケイはいつの間にかマリアの隣に立っていて、穏やかな瞳でほほ笑んでいた。
「マリアは、いろんな人に、大切な時間を売ってきたんだな」
「そう、みたいです」
マリアは、今更になってそのことに気づいたのである。
そして、自らもまた、たくさんの人から素敵な時間をもらった、と思うのだった。
パルフ・メリエの前に、新しい一人の客が現れる。
「え、えっと……パルフ・メリエって、こちらで合ってますか……?」
驚いたような、不思議そうな、少し戸惑った声も無理はない。もはやここは宴会会場である。
マリアは一瞬苦笑したが、すぐにお客様のもとへ駆け寄って、微笑んだ。
「ようこそ、パルフ・メリエへ!」
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、マリアの旅も終わり、パルフ・メリエから新たなスタートをお届けしました。
次回、いよいよ最終回。ぜひ、お楽しみに*
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