マリアの秋旅
次第に肌寒い日が増え、夏の終わりが近づくころ。
マリアは、港町を後にして、街の広場へと戻ってきていた。
こんなに長い間実家に帰らなかったのは久しぶりね、とマリアが洋裁店の扉を押し開ければ、最愛の娘を待っていた両親がそれはもうすごいスピードでマリアの方へと駆け寄り、そしてきつく抱きしめた。
街を移動するたび、宿から手紙を書き、お土産を送ってはいたが、やはり実際に会うとなれば話は別だ。
「おかえりなさい!」
「おかえり!」
両親二人の熱い抱擁に、マリアの心もじんわりと温かな気持ちに満たされていく。
「ただいま」
マリアはにっこりとほほ笑んで、お返しに、と言わんばかりに両親の背中に手を回してぎゅっと二人を抱きしめた。
◇◇◇
マリアの帰りを待っていたのは両親だけではない。
「旅はどうだ?」
大きな工場の一室、いつもの商談ルームでコーヒーをたしなんでいるのはパーキンだ。
「おかげさまで、すごく楽しい旅をさせていただいてます」
マリアは微笑み、カバンから珍しい精油と、それらを使った練り香水を机の上に並べる。
「新商品か」
「はい。収穫祭にちょうど良いかと思って」
マリアがそれらの説明をすると、パーキンは驚きと喜び、そして子供のような表情を見せた。
香水ではなく、練り香水にした方が軽く、簡単に持ち運びができる、と旅の中で気づきを得たのだ。パッケージ次第で男性にも手に取りやすく、分量も調整しやすい。
「これはまた、素晴らしいアイデアだな」
早速パーキンはメモにさらさらとターゲット層や、パッケージデザイン、作るべき香りの種類などを書き留めていく。
「収穫祭の時期は、このあたりにいるんだろう? ぜひ、君も立ち寄ってくれ」
すっかり大人気商品への道筋を見出したのか、パーキンは満足げにうなずいた。
それから、マリアはアイラとハラルドのいる商店へと顔を出し、ここでもまた熱烈な歓迎を受けた。
すっかり商売人の顔が板についてきたようで、アイラもハラルドも楽しそうである。アイラの両親もまだ現役を引退したわけではないが、その仕事のほとんどを二人に任せているようだった。店の中にあった珍しいものは、ハラルドの趣味か、さらに珍しさが加わっていて、もはやちょっとしたアンティークショップの勢いであある。アイラも今は古書集めに熱が入っているのか、雑多な店の雰囲気はさらに雑多になっていた。
ガーデン・パレスでは、リンネやシュトローマーをはじめとして、大勢の人がマリアを心良く迎え入れてくれた。関係者以外は立ち入り禁止だが、マリアはどうやら関係者としてすっかり認められてしまったらしい。
「キンモクセイ、咲いてるよ!」
リンネに手を取られ、ガーデン・パレスを走るのはもはや何度目か。マリアは相変わらず足の速いリンネに置いていかれないよう一生懸命に足を動かした。
ふわり、と甘い香りが漂って、グィファンのことを思い出す。美しい舞踊と、歌声が、今もマリアの記憶の中では輝いている。
「わぁっ!」
目の前に咲き誇る橙の、ともすれば黄金色のその花は、マリアの心を締め付けるような少し切ない香りと、どこか懐かしくも芳醇で甘美な香りを纏っていた。小ぶりな花は可愛らしく、触れればそのまま落ちてしまいそうだ。
もうこの香りを何度となく楽しんでいるはずのリンネでさえ、うっとりと目を細めてしまう。
マリアがその香りを存分に楽しんでいると、リンネが、そうだ、と声を上げる。マリアがきょとんと首を傾げ、リンネを見つめると、
「お酒もあるよ」
とリンネはにやりと悪い笑みを浮かべた。
「もう解禁されたから、今度はみんなで飲もうよ!」
リンネはそう言うと、再びマリアを連れて駆けだすのだった。
収穫祭は、ミュシャやリンネ、アイラとハラルド達と街の広場や城下町のあたりを楽しんだり、パーキンの店の手伝いをしているうちに終わってしまった。近くにいるはずなのに、忙しいのかケイには会えず、マリアは少し寂しさを感じてはいたのだが、それも仕方がない。
王城では、ディアーナの誕生日を前に、エトワールとの正式な結婚の準備が進められていたのである。エトワールは騎士団をやめ、春から正式に王城で王様のもと、様々なことを学んでいるらしい。
ディアーナ王女専属の調香師であるマリアも例にもれず、王城へと訪れると、早速旅で得た知識や経験を活かしながら、今までにない、まさしく世界で一番と呼ぶにふさわしい香りを作り上げた。
トップノートは、エトワールが好きなシトラス調の香り。スイートオレンジとピンクグレープのすっきりとした軽やかさが、心を明るくさせる。緊張をほぐすにも良い、自然と笑顔になってしまうような爽やかさと甘さが心地よい。
ミドルノートは贅沢なフローラルブーケ。その香りは、ディアーナを象徴する女性らしい、華やかで洗練されていながら、優しさと温かさを持つ香りである。
メインをローズに据え、ジャスミン、ラベンダー、イランイラン。くどさもえぐみもなく、花の良いところだけを詰め込んだような絶妙な調香は、マリアの確かな技術と繊細な感性だからこそ生み出せたものだ。
ラストノートを飾るのは、ムスクにバニラ、少しのサンダルウッドとフランキンセンス。芳醇で豊かな甘さと、それを後に引かないすっきりとした余韻が、より香り全体を格式高くまとめあげている。
迎えた生誕祭。マリアの香りを身に纏い、まるでウェディングドレスのような純白の美しいドレスに身を包んだディアーナは、それは大層美しいものであった。
同性のマリアですら、息を飲むほど綺麗なその姿に、エトワールが卒倒しそうになるのも無理はない。
二人は婚約を発表した時と同じように、王城のテラスへと足を向ける。扉に手をかけたところでディアーナは後ろを振り返り、マリアへと視線を向けた。
「ねぇ、マリア」
ディアーナの眩く、尊い光を宿したブルーが、美しく細められる。
「あなたは、世界一の調香師だわ」
マリアが想像もしていなかったディアーナからの言葉にポカンと口を開けると、ディアーナはクスクスと笑って
「最後まで、私たちのことを、見守っていてちょうだい!」
と久しぶりに出会った頃のおてんば娘のような、わがままな口ぶりで大きく扉を開け放った。
王城の中庭や、ひいては王城のもっと先、国中から聞こえたような歓声と、どこからか降り注ぐ大量の花びらが、ディアーナとエトワール、そして、その後ろで二人を見守っていたマリアの周りを彩る。
パタン、と最後に扉が閉まると、マリアの頬には一筋の涙が伝った。
「次は、マリアちゃんが幸せになる番だね」
後ろからそっとマリアにハンカチを差し出したのはシャルルである。どうやら、騎士団長として、今回の式に参加していたようだ。
「シャルルさん!」
マリアが驚いて声を上げると、シャルルはパチン、とウィンクを一つしてみせて
「きっとあの香りは、これから、世界中の人々を幸せにするんだろうね」
僕は先見の明があるらしいから、とほほ笑んだ。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、マリアと王国の秋、そして……ディアーナ王女とエトワールの正式な婚約を迎えました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
いよいよ最終話に向けて残り3話となりました。最後まで、お楽しみください!
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!




