旅立ち
マリアの旅立ちは、静かなものであった。
柔らかな春風が吹き抜ける中、マリアは一人パルフ・メリエの扉を閉め、長い時間を過ごした店に向かって丁寧に頭を下げる。
「おばあちゃん、いってきます!」
今は亡き祖母、リラを思って、マリアはパルフ・メリエに微笑みかける。答えてくれる者はいないが、寂しさを吹っ切るためには必要なことである。
マリアの胸は少しの不安と、それを忘れさせるほどの期待に弾んでいた。
近くの村では郵便屋の青年や、ひいきにしてくれていた昔なじみの客に声をかけて歩いていく。皆口々に、マリアの新たな門出を祝ってくれた。
マリアがしょっちゅう利用するせいで、すっかり顔なじみになってしまった馬車のおじさんからはお守りに、と押し花のしおりをもらう。
マリアは馬車に揺られながら、外を流れていく見慣れた街並みを目に焼き付ける。
(すぐに戻ってくるのに、寂しい、だなんて変ね)
マリアは窓に映った自らの表情が少し強張っていることに気が付いて、クスリと笑みを浮かべた。
街の広場で馬車をおり、広場を抜けて、実家である洋裁店の扉を開ける。ミュシャからもらったそろいの制服を着た両親がいつものようにマリアを出迎え、いつもより少しだけ長い時間マリアを抱きしめた。
「おかえりなさい」
「ただいま!」
「とはいっても、明日にはもう出発だろう? もっとゆっくりしていけばいいのに」
マリアを見つめる父親の瞳はどこか寂し気である。普段から離れて暮らしているというのに、実際に目の届かないところへマリアが出かけるのは心配がぬぐえないようだ。
荷物を下ろし、代わりに両親から保存のきく食べ物や何着かの洋服を受け取る。
「はい、これお守り」
母親が最後にマリアへ手渡したのは、花のコサージュ。母親は、マリアのトランクケースにそれを結ぶと、マリアの頭を優しく撫でた。
「気をつけてね」
お土産を待ってるわ、と笑う母親はまるで子供のようだ。マリアはうなずく。視線を落とすと、今までよりも華やかになったトランクケースが目に留まって、これなら寂しくないわね、とほほ笑んだ。
「この後、少し用事があるの。夕飯までには戻ってくるね」
トランクケースを置き、小さなポーチを持ったマリアが両親に告げると、二人は顔を見合わせて、あら、とマリアに不思議そうな視線を送る。
「もしかして……」
母親が言いかけた言葉を、父親が遮る。
「マリア! 父さんは……父さんは!」
今度は母親がそれを遮って、マリアにひらひらと手を振った。
「あなた。落ち着いて。マリアも、気を付けていってらっしゃい」
マリアが、カフェに行くだけよ、ときょとんと首をかしげると、父親はどこか寂し気に、母親は苦笑してマリアを見送った。
先ほど歩いてきたばかりの街の広場で、マリアは目当ての人を見つけて、その名前を呼んだ。
「ケイさん!」
ケイも、マリアの姿に気づいて、小さく手を上げた。開花祭以来の逢瀬である。二人は相変わらず視線を合わせるなり、頬をほんのりと赤く染めてはにかんだ。
「行くか」
ケイがそっと手を差し出せば、マリアもその手を柔らかに握る。優しいカモミールの香りが漂って、マリアは自然と頬を緩めた。
ケイは最近、街の広場や城下町にある美味しい店を探すようになったらしい。どうせ外回りをするのなら、マリアが喜んでくれるような店を、ということなのだそうだ。以前は、ミュシャがそういったことには詳しかったが、そのお役も御免となり、代わりと言っては変だが、ケイがそれを引き継いだ形である。
ケイに案内された店は、観葉植物があちらこちらに置かれ、天井からも植物のプランターが下がっていて、マリアはどこか懐かしさを覚えた。
二人はそれぞれ注文をして、近況を語り合う。
「そういえば、最初はどこの町に?」
ケイが思い出したように尋ねると、マリアはごそごそとポーチから小さくたたまれていた地図を取り出した。何度も旅程を考えていたせいか、地図は使い古されたようにボロボロである。
「まるで宝の地図だな」
フッとケイが微笑むと、マリアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「最初は、東の国境門にある街へ行く予定です。そこから、南下して夏には港の方へ行ってみようかと。秋に城下町へ、そこから北上して、最後にここに」
マリアが考え抜いた旅程を、なるほど、とケイはうなずく。四季折々を最も楽しめる旅の順序だろう。夏の港町は良かったな、とケイも夏休みのことを思い出す。どうせなら今年の夏は、マリアと一緒に過ごしたいところだ。
「街についたら、手紙を書きますね」
マリアの言葉に、ケイが全力でうなずくと、マリアはそんな愛らしいケイの一面に、クスクスとほほ笑んだ。
それから、二人は地図を見ながら、互いの思い出話に花を咲かせた。
「そうだわ、ケイさん。この町には行ったことってありますか?」
マリアが指をさしたのはちょうど地図の真ん中あたり。街の広場から東都までの間に位置する小さな町である。ケイは、その町の名前を見て、
「あぁ、坂やら階段の多い町か。あそこは良い訓練になった」
と過去、仕事で行った時のことを思い出したようであった。
「何かあるのか?」
「実は、ミュシャの店が。明日がオープンの日で」
マリアが言えば、ケイは驚きと感心の混じる表情で、へぇ、と相槌を打った。
ミュシャからのお願いである。自分の商品も置いてもらっているし、何より店の香りを作ったのはマリアなのだ。だからこそ、オープンには立ち会わねば、とマリアも思っていたのである。
「もしよかったら、ぜひまた顔を出してあげてください」
ケイとミュシャの仲があまり良くないことはマリアも承知の上だ。それでも、ミュシャも新規のお客さんをまた一から開拓するのは大変だ、と言っていたのを知っているし、少しでも役に立てれば、とマリアはケイにミュシャからもらった名刺を差し出す。
意外にも、ケイはそれを素直に受け取ってうなずく。
「分かった。騎士団でも宣伝しておこう」
「良かったぁ、ミュシャも喜ぶと思います!」
マリアが微笑むと、ケイは名刺を胸ポケットにしまって
「ミュシャにも、よろしく、と伝えてくれ」
と自然な笑みを浮かべた。予想していたよりも好意的なケイの返事に、ミュシャと何かあったのだろうか、とマリアは首をかしげたが、ケイはそれ以上、何も言わなかった。
店を出て、二人はお互い名残惜しい気持ちを隠して微笑みあう。
「また、会おう。手紙、楽しみに待ってる」
ケイは微笑み、マリアも大きくうなずいた。そして、にっこりと満面の笑みを浮かべて
「ケイさん、また」
と大きく手を振った。
別れは笑顔で。この王国に言われる習慣である。
初めて会った日、また会おう、といったケイの声はマリアに届いたか分からなかった。
だが、今は。
ケイはふっと微笑んで、また、があることを心から嬉しく思う。
そしてそれは、マリアも同じであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回から、いよいよ最終章が始まりました~*
マリアの王国をめぐる四季折々の旅を、ぜひ一緒にお楽しみください♪
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