同じ歩幅、同じ時間
ハラルドから香水を受け取ったアイラは、涙があふれそうになるのをぐっとこらえて、自らもガサガサとカバンの中から小さなガラス瓶を取り出した。
「ほんと、私たちってお似合いだと思わない?」
「え!?」
驚いたのはハラルドである。まさか、アイラからもプレゼントがもらえるなんて、夢にも思っていなかったし、まさかそのプレゼントが、自分と同じようなものであるなんて、もっと夢にも思わなかったのである。
「こんなことってあるのね」
アイラはクスクスと肩を揺らす。自分の思いは、自分で伝えたい。プロポーズをするんだ、なんて意気込んだのに、すっかりハラルドに奪われてしまった。
「ねぇ、ハラルド。私も、ハラルドがいたら、どんな場所でも楽しくなりそう」
アイラは美しく微笑んで、ハラルドの方へガラス瓶を差し出す。
「私からのプレゼントも、受け取ってくれる?」
ハラルドはぶわりとこみ上げてきた感情の止め方を知らず、ボロボロと涙をこぼして、アイラの手からガラス瓶を受け取った。
「ぼ、僕は……なんて幸せ者なんでしょう……!」
ハラルドはゴシゴシと腕で顔をこするが、涙は次から次へとあふれる。せっかくのスーツも台無しだ。
「ハラルドったら……」
そういうアイラの瞳にも涙がたまっていて、二人は互いに顔を見合わせて笑った。
「ほんと、似た者同士ですねぇ」
「本当ね」
二人が泣き止んだのは、老夫婦が博物館に入ってきたからだ。老夫婦に、柔らかく微笑まれ、二人は慌ててハンカチでその涙をぬぐった。老夫婦は小さく会釈をしただけだったが、それでも二人は顔を真っ赤にして、ペコペコと何度も頭を下げた。
老夫婦が別の展示コーナーへと移動すると、二人はこらえきれずに声を上げて笑う。
「もう、良い大人だと思ってたわ。私、こんなに人前で泣くのは初めて」
シャルルに振られた時でさえ、アイラは一人で泣いたのだ。年を重ねるにつれて、人前で泣くなんてもってのほかだと思っていた。
「ハラルドには、かなわないわね」
アイラが小さく息を吐けば、ハラルドも泣きはらした目をアイラに向けてほほ笑む。
「僕も、アイラさんにはかないません。今まで、恋にも、おしゃれにも興味が持てなかった僕が、アイラさんの前では違うんです。恋もするし、おしゃれだって、少しくらいは気にするようになりました」
ハラルドのはにかむ表情に、アイラは弱い。胸がキュン、とするのだ。いつだって、穏やかで優しい、春のような、ハラルドの笑みに。
どちらともなく二人は手をつなぎ、そしてゆっくりと立ち上がる。
「さ、そろそろお昼ご飯にしましょうか」
「そうね。泣きつかれて、おなかがすいちゃったわ」
「僕もです」
一歩目は、右足から。そして、同じ歩幅で左足を。
ずっと、そうして、二人はこれから、同じ時間を生きていくのだ。
博物館を出た二人は、ハラルドのおすすめの店でランチを取り、アイラが良く行く近くの公園の芝生に並んで座った。
「ねぇ、せっかくだから、さっきの香水をつけてもいいかしら?」
アイラは、カバンの中に大切にしまった香水瓶を取り出す。光に透けると、より一層美しいガラス瓶に、思わず頬が緩む。
「は、はい! もちろん!」
「どうしてそんなにハラルドが緊張するのよ。自分で作ったわけじゃないでしょう?」
品評会を受ける人のようだ、とアイラが肩をすくめれば、ハラルドは眉を下げた。
「実は……」
ハラルドの言葉に、アイラは目を丸くした。そして、やられた、と思わずこめかみを抑える。
まだまだ可愛い妹だと思っていたマリアが、裏で一枚噛んでいたなんて。
「……でも、マリアの香りなら、心配ないわね。しかも、ハラルドが作ってくれたなんて、とっても素敵」
アイラは、よし、とその香水瓶のフタを開けた。
凛と透き通るような香りと、洗練された清潔感のある香りがふわりとアイラの鼻を抜けていく。決して主張しすぎず、けれど、後ろ髪をひかれるような、繊細な香り。
「素敵……!」
後に残るしっとりとしたムスクの甘さが、女性らしさを引き立ててくれる。アイラがうっとりと目を細めると、ハラルドはほっと胸をなでおろした。
ハラルドも、アイラからもらったガラス瓶を取り出す。自分の好みをしっかりと抑えてくれているあたりはさすがである。
「アイラさんの香りも、つけてみてもいいですか」
「え! い、いいけど……その、好きな香りじゃなかったらごめんなさい」
今度は、アイラが姿勢を正す番だった。ハラルドはそんなアイラの様子に、
「まさか」
と口をつぐむ。しばらくアイラを見つめていると、その視線に耐え切れなかったのか、アイラが声を上げて笑った。
「僕たちは、マリアさんの手の中で踊っていたわけですね」
ハラルドの言葉に、アイラもまた驚いたように目を丸くした。
マリアとて、驚いたことだろう。
そんな訳で、ハラルドの、踊っていた、という表現はアイラにもしっくりくる。マリアに踊らされていた、というよりは、勝手に自分たちが踊っていた、というわけだ。
「ほんと。でも、きっと気に入ってもらえると思うわ。マリアからのお墨付きももらってるし」
アイラが笑うと、それじゃぁ、とハラルドもフタを開いた。
柔らかく吹き抜ける風が、レモンの香りを運ぶ。少しの苦みが混ざり、最後には粉砂糖のような、優しい甘さがゆったりと漂う。
「僕の好きな、レモンタルトと同じ匂いだ……」
ハラルドはキラキラとした瞳をアイラの方へ向けて、
「すごいです!」
と声を上げた。屈託なく笑う姿は、無邪気な子供と同じである。
ハラルドは、アイラと同じようにそっと瓶を傾けた。さらりと手の平に落ち、ふわりとナッツの香ばしい香りが漂ったかと思うと、数瞬後には肌になじむようにしっとりと、手に吸収されていく。
「あれ?」
ハラルドが首をかしげると、
「ふふ、実はそれ、香水じゃないのよ。私がマリアにお願いしたの。それは、マッサージオイルよ」
とアイラが肩を揺らして笑った。
アイラに促されるまま、ハラルドは自らの手をすり合わせてマッサージしてみる。手がこすれるたびにふわりと良い香りが漂い、普通にマッサージをするよりもリラックスできそうだ、とハラルドはうっとり目を細めた。
「ありがとう、アイラさん」
ハラルドがにっこり微笑むと、アイラはまだ言い残したことがあるようで、おずおずと口を開いた。
「その……これから、お店のこととか、慣れないことで、今まで以上にハラルドも疲れるだろうけど、その時は、私のことを頼ってね。少しでも、ハラルドの力になれたらいいなって思ってる、から……」
アイラにしては珍しく歯切れの悪い物言いだったが、そんな可愛らしいアイラの姿に、ハラルドが顔を真っ赤にしたのは言うまでもない。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
評価、52,000PV達成、嬉しいこと続きです。これもひとえに皆様のおかげです、ありがとうございます。
今回は、アイラがハラルドへ無事に贈り物を渡すことが出来ました*
二人のデートのお話はここでおしまいですが……次はいよいよ大本命、マリアとケイのお話です!
お楽しみに。
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!




