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調香師は時を売る  作者: 安井優
開花祭編

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220/232

同じ歩幅、同じ時間

 ハラルドから香水を受け取ったアイラは、涙があふれそうになるのをぐっとこらえて、自らもガサガサとカバンの中から小さなガラス瓶を取り出した。

「ほんと、私たちってお似合いだと思わない?」

「え!?」

 驚いたのはハラルドである。まさか、アイラからもプレゼントがもらえるなんて、夢にも思っていなかったし、まさかそのプレゼントが、自分と同じようなものであるなんて、もっと夢にも思わなかったのである。


「こんなことってあるのね」

 アイラはクスクスと肩を揺らす。自分の思いは、自分で伝えたい。プロポーズをするんだ、なんて意気込んだのに、すっかりハラルドに(うば)われてしまった。

「ねぇ、ハラルド。私も、ハラルドがいたら、どんな場所でも楽しくなりそう」

 アイラは美しく微笑んで、ハラルドの方へガラス瓶を差し出す。

「私からのプレゼントも、受け取ってくれる?」


 ハラルドはぶわりとこみ上げてきた感情の止め方を知らず、ボロボロと涙をこぼして、アイラの手からガラス瓶を受け取った。

「ぼ、僕は……なんて幸せ者なんでしょう……!」

 ハラルドはゴシゴシと腕で顔をこするが、涙は次から次へとあふれる。せっかくのスーツも台無しだ。

「ハラルドったら……」

 そういうアイラの瞳にも涙がたまっていて、二人は互いに顔を見合わせて笑った。

「ほんと、似た者同士ですねぇ」

「本当ね」


 二人が泣き止んだのは、老夫婦が博物館に入ってきたからだ。老夫婦に、(やわ)らかく微笑まれ、二人は慌ててハンカチでその涙をぬぐった。老夫婦は小さく会釈(えしゃく)をしただけだったが、それでも二人は顔を真っ赤にして、ペコペコと何度も頭を下げた。

 老夫婦が別の展示コーナーへと移動すると、二人はこらえきれずに声を上げて笑う。

「もう、良い大人だと思ってたわ。私、こんなに人前で泣くのは初めて」

 シャルルに振られた時でさえ、アイラは一人で泣いたのだ。年を重ねるにつれて、人前で泣くなんてもってのほかだと思っていた。


「ハラルドには、かなわないわね」

 アイラが小さく息を吐けば、ハラルドも泣きはらした目をアイラに向けてほほ笑む。

「僕も、アイラさんにはかないません。今まで、恋にも、おしゃれにも興味が持てなかった僕が、アイラさんの前では違うんです。恋もするし、おしゃれだって、少しくらいは気にするようになりました」

 ハラルドのはにかむ表情に、アイラは弱い。胸がキュン、とするのだ。いつだって、穏やかで優しい、春のような、ハラルドの笑みに。


 どちらともなく二人は手をつなぎ、そしてゆっくりと立ち上がる。

「さ、そろそろお昼ご飯にしましょうか」

「そうね。泣きつかれて、おなかがすいちゃったわ」

「僕もです」

 一歩目は、右足から。そして、同じ歩幅で左足を。

 ずっと、そうして、二人はこれから、同じ時間を生きていくのだ。


 博物館を出た二人は、ハラルドのおすすめの店でランチを取り、アイラが良く行く近くの公園の芝生に並んで座った。

「ねぇ、せっかくだから、さっきの香水をつけてもいいかしら?」

 アイラは、カバンの中に大切にしまった香水瓶を取り出す。光に()けると、より一層美しいガラス瓶に、思わず(ほお)(ゆる)む。

「は、はい! もちろん!」

「どうしてそんなにハラルドが緊張するのよ。自分で作ったわけじゃないでしょう?」

 品評会(ひんぴょうかい)を受ける人のようだ、とアイラが肩をすくめれば、ハラルドは(まゆ)を下げた。

「実は……」


 ハラルドの言葉に、アイラは目を丸くした。そして、やられた、と思わずこめかみを(おさ)える。

 まだまだ可愛い妹だと思っていたマリアが、裏で一枚()んでいたなんて。

「……でも、マリアの香りなら、心配ないわね。しかも、ハラルドが作ってくれたなんて、とっても素敵」

 アイラは、よし、とその香水瓶のフタを開けた。


 (りん)()き通るような香りと、洗練された清潔感のある香りがふわりとアイラの鼻を抜けていく。決して主張しすぎず、けれど、後ろ髪をひかれるような、繊細な香り。

「素敵……!」

 後に残るしっとりとしたムスクの甘さが、女性らしさを引き立ててくれる。アイラがうっとりと目を細めると、ハラルドはほっと胸をなでおろした。


 ハラルドも、アイラからもらったガラス瓶を取り出す。自分の好みをしっかりと(おさ)えてくれているあたりはさすがである。

「アイラさんの香りも、つけてみてもいいですか」

「え! い、いいけど……その、好きな香りじゃなかったらごめんなさい」

 今度は、アイラが姿勢を正す番だった。ハラルドはそんなアイラの様子に、

「まさか」

 と口をつぐむ。しばらくアイラを見つめていると、その視線に耐え切れなかったのか、アイラが声を上げて笑った。


「僕たちは、マリアさんの手の中で(おど)っていたわけですね」

 ハラルドの言葉に、アイラもまた驚いたように目を丸くした。

 マリアとて、驚いたことだろう。

 そんな訳で、ハラルドの、(おど)っていた、という表現はアイラにもしっくりくる。マリアに(おど)らされていた、というよりは、勝手に自分たちが(おど)っていた、というわけだ。

「ほんと。でも、きっと気に入ってもらえると思うわ。マリアからのお(すみ)付きももらってるし」

 アイラが笑うと、それじゃぁ、とハラルドもフタを開いた。


 (やわ)らかく吹き抜ける風が、レモンの香りを運ぶ。少しの苦みが混ざり、最後には粉砂糖のような、優しい甘さがゆったりと(ただよ)う。

「僕の好きな、レモンタルトと同じ匂いだ……」

 ハラルドはキラキラとした瞳をアイラの方へ向けて、

「すごいです!」

 と声を上げた。屈託(くったく)なく笑う姿は、無邪気(むじゃき)な子供と同じである。


 ハラルドは、アイラと同じようにそっと瓶を(かたむ)けた。さらりと手の平に落ち、ふわりとナッツの香ばしい香りが(ただよ)ったかと思うと、数瞬後には肌になじむようにしっとりと、手に吸収されていく。

「あれ?」

 ハラルドが首をかしげると、

「ふふ、実はそれ、香水じゃないのよ。私がマリアにお願いしたの。それは、マッサージオイルよ」

 とアイラが肩を揺らして笑った。


 アイラに(うなが)されるまま、ハラルドは自らの手をすり合わせてマッサージしてみる。手がこすれるたびにふわりと良い香りが(ただよ)い、普通にマッサージをするよりもリラックスできそうだ、とハラルドはうっとり目を細めた。

「ありがとう、アイラさん」

 ハラルドがにっこり微笑むと、アイラはまだ言い残したことがあるようで、おずおずと口を開いた。


「その……これから、お店のこととか、慣れないことで、今まで以上にハラルドも疲れるだろうけど、その時は、私のことを頼ってね。少しでも、ハラルドの力になれたらいいなって思ってる、から……」

 アイラにしては珍しく歯切れの悪い物言いだったが、そんな可愛らしいアイラの姿に、ハラルドが顔を真っ赤にしたのは言うまでもない。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

評価、52,000PV達成、嬉しいこと続きです。これもひとえに皆様のおかげです、ありがとうございます。


今回は、アイラがハラルドへ無事に贈り物を渡すことが出来ました*

二人のデートのお話はここでおしまいですが……次はいよいよ大本命、マリアとケイのお話です!

お楽しみに。


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