思いをつなぐ場所
カツン、とアイラのヒールが、博物館の大理石を鳴らす。その音は、静かな博物館の高い天井に反響して、心地よい緊張感を二人にもたらした。
開花祭の日に、わざわざ博物館へ来るような物好きは、ハラルドとアイラ以外に今はおらず、貸切状態だ。
「お昼前になれば、もう少し人も増えるんですけどね」
仮にも自分の勤め先である。照れくさそうにハラルドは眉を下げたが、アイラとしては、ハラルドと二人きりの方が、心おきなくデートを楽しめるというもの。
中へ進んでいくと、広々とした空間に、古い時代のものと思われる土器や道具が並ぶ。土で作られたものから、木を使ったもの、ガラスに金属、果ては宝飾品までと、はるか古代から現代にかけて、その変遷が一目でわかるようになっている。
「子供のころは、こんなの何が面白いんだろうって思っていたけど……こうして、大人になってから見ると、面白く感じるものねぇ」
アイラはそれらの展示をまじまじと見つめながらつぶやく。なぜこんな形なのか、どうやって色を付けたのか、何に使うものなのか。そんなことをとりとめもなく考えながら、現代まで残されてきたという事実に驚くばかりだ。
隣に優秀な解説員がいることも、アイラが面白い、と感じられる要因の一つだろう。毎日、嫌というほど見ているはずなのに、ハラルドは飽きもせずに、キラキラと目を輝かせながら語る。アイラが疑問に思ったことを、楽しそうに答える姿は、アイラも見ていて思わず笑みを浮かべてしまうほどだ。
「ハラルド、あなたって本当に、古いものが好きなのね」
「はい! あ、珍しいものも好きですよ! あっちにあるような、異国のものとか……」
ハラルドは眩いばかりの笑みを浮かべると、子供のように、無邪気にアイラの手を引いた。
異国の珍しいものが集められた展示室は、地域別に並べられていて、時代にはあまり関係がないようだった。最近ここへ並べられたばかりだ、といういかにも新しそうな食器なんかもあって、アイラの中の博物館のイメージも変わっていく。洋服や小物もさることながら、各国の本なども展示してあって、アイラも楽しめる展示コーナーだった。
「これは何に使う物なの?」
アイラが目を止めたのは、美しいべっ甲の先端に丸い花をあしらった細工が施されているものである。シンプルながら、繊細な作り。それなのに、アイラからすればただの棒に見えるので、気になったのだ。
アイラに問われたハラルドは、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに意気揚々と話し始めた。
「これは、かんざしと言います。東の国の、さらに東にある国から伝わってきたものですね。女性が髪をまとめたりするのに使うそうですよ」
「この棒で?!」
どうやって、とアイラが目を見開ければ、ハラルドは
「さすがにそれは僕にも分かりません」
と苦笑した。アイラは不思議そうにそのかんざしを眺めて、自らの髪を手でもてあそんだ。どうすれば棒一本で髪をまとめられるのだろうか、と考える。ハラルドは、そんなアイラの横顔を穏やかな瞳で見つめた。
「使い方は分かりませんが……」
ハラルドはこほん、と改まる。アイラは、そんなハラルドに視線を向け、話の続きを待った。
「かんざし、というのは特別な贈り物なんだそうです」
「特別な?」
開花祭にちなんで、ということだろうか。ハラルドが披露してくれる知識に、アイラはまるでおとぎ話でも聞くかのような心地で耳を傾けた。
「かんざし、というのは、昔、武器にもなったそうです」
「武器?」
「えぇ、金属でできているものもあったそうですから、先端を尖らせておけば、女性でもいざという時の武器になります」
ハラルドは、えい、と自らの人差し指をかんざしに見立てて、もう片方の手に突きたてる。
「へぇ、面白いのね。でも、それがどうして特別な贈り物になるの? 物騒な感じがするけど……」
アイラがキョトンと首をかしげると、ハラルドは、だからこそですよ、とほほ笑んだ。
「あなたを守りたい」
ハラルドは、アイラの瞳を見つめて、穏やかに、けれどしっかりと伝える。
「え」
アイラが、突然のことにハラルドを見つめれば、ハラルドはいつもの優しい笑みを浮かべた。
「あなたを守る武器を贈る、ことから、転じて、あなたを守る、という意味になったみたいですね」
解説の続きか、とアイラは緊張を解く。反対に、ハラルドの表情が少し緊張で強張ったことには気づかなかった。
少し休憩にしましょうか、とハラルドの提案もあって、備え付けられたソファに二人は腰を下ろした。
「それにしても、やっぱりハラルドは博物館の仕事が好きなのね。すごく楽しそう」
アイラが言えば、ハラルドもクスリとほほ笑んだ。アイラは遠くを見つめて
「ハラルドは、私の実家の商店を継ぐんだって以前言ってくれたけど……やっぱり、このままここで働いていた方がいいんじゃないかしら」
と、出来るだけ平静を装って伝える。
だが、ハラルドは首を横に振った。
「いいえ、アイラさん。それは違いますよ」
「え?」
「僕は、確かに博物館の仕事が大好きですし、誇りも持っています。でも、それ以上に、アイラさんのことが……」
大切なんです。
ハラルドは、そこで言葉を切ると、アイラから視線を外した。
「だから、今日は、博物館で、僕の仕事を最後に見てもらいたかったんです。アイラさんをここできちんとエスコート出来たら、僕も悔いなく、この仕事を辞められます」
「そんな、こと……」
「言っておきますけど、僕は、アイラさんのご実家の商店だって、ここと同じくらい大好きなんですよ。珍しいものがたくさんあって、面白いお話がたくさん聞けて。それに……」
「それに?」
「アイラさんが、いますから」
ハラルドはにっこりとほほ笑んで、それから、ゴソゴソとポケットから美しいガラス瓶を取り出した。
ハラルドの手の中で、しとやかに咲くシクラメンの花のような、淡いパープルとも、ワインレッドともつかぬ色合いが春の訪れを告げていた。
「ふふ、僕からのプレゼントです。かんざし、ではないですけど……僕のこの香りが、ずっと、アイラさんを守ってくれますように」
ハラルドはその香水瓶をアイラの方に差し出して、
「僕は、そそっかしいところもあって、頼りないかもしれませんが……アイラさんのことを、心から愛しています。どうか、受け取ってはくれませんか」
と頭を下げた。ハラルドの柔らかなくせ毛が揺れる。アイラはただ、それを愛おしく見つめた。
「ずるいわよ、そういうのは」
アイラの凛と澄んだ声とともに、ハラルドの手からガラス瓶の感触が消えていく。
ハラルドの手の中で咲いていたその美しいガラス瓶は、アイラの手の中で、ふわりと輝きを放った。
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ハラルドとアイラの博物館デート、お楽しみいただけましたか?
ついにハラルドもアイラへプロポーズすることが出来ました! 気になるアイラのお返事は次回をお楽しみに!
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