運命を開く人
パルフ・メリエの奥に置かれた椅子に腰かけたシャルルは、マリアから差し出されたアップルティーに目を細めた。
「良い香りだね」
リンゴのジャムも少し加えたからだろう。優しく香るリンゴの爽やかな酸味が、ふわりとシャルルを包み込む。マリアも同じくシャルルの前に腰かけ、シャルルが持って来たスコーンを口へ運んだ。
「旅の支度は順調かい?」
シャルルは、ティーカップを片手にマリアへと穏やかな視線を向ける。マリアはスコーンを咀嚼しながら小さく首を縦に振った。ゴクン、と飲み込んで、
「おかげさまで」
と付け足せば、シャルルはクスリとほほ笑んだ。
マリアが、今日は何のご用事で、と首をかしげると、シャルルはスコーンを取り出した紙袋とはまた別の、小さな箱を取り出した。
「今日は、マリアちゃんに今までのお礼を、と思ってね」
美しいブルーのリボンがかかった箱。両手におさまるサイズのそれは、ちょっとしたプレゼントである。
「あら……?」
マリアは見覚えのあるそのリボンに、ゆっくりと手を伸ばす。
「これってもしかして」
マリアが口をつぐみ、シャルルの方へ視線を送れば、シャルルはパチンとウィンクをして見せる。今までの、兄のような笑みではなく、友達に見せるようないたずらがばれた時の子供のような無邪気な笑みを浮かべたシャルルはマリアを見つめ返した。その瞳が、開けてみて、とマリアを促す。
マリアはそっとその箱を手元に引き寄せると、しげしげと眺めてリボンをゆっくりと解いた。
「ほわぁぁ~~……!」
フタを両手ではずすと、そこから現れたのはまるで花束のようなサントノーレ。
重ねられたシュークリームには、美しいべっ甲色のキャラメルがコーティングされており、その上にちりばめられたドライベリーの紅はルビーの宝石のよう。そんなシュークリームの隙間、幾重にも連なる薄ピンクのクリームが、花弁のように中心から広がる。
クリームの花の中心には、淡い白ともピンクともとれぬ、プリムローズ。銀のアラザンと相まって、より一層可憐にサントノーレ全体を飾っていた。
「すっごく素敵です!!」
食べるのがもったいないほどだ。マリアがその美しさに目を細めると、シャルルも満足げにうなずいた。
「普段は、王妃様専属のパティシエなんだけど……今回は特別に。マリアちゃんにだけだから、みんなには内緒にしておいて」
シャルルは人差し指を口元に当てた。
(どおりで……)
ブルーのリボン、といえば、王家の……それも、王妃様の印である。ということは、どうやらこれには王妃様も一枚かんでいる、ということだろうか。
「ディアーナ王女からは、ブローチをもらったと聞いたから」
マリアちゃんには甘いもののほうが良いと思ってね、とシャルルは付け足した。
「それに、今度いつ会えるか分からないから」
シャルルも多忙の身だ。マリアが旅立つまでに、ゆっくり話を出来るかどうか、確かに定かではない。
少しだけ寂しい雰囲気が漂ったのを、シャルルは察したのか、そうだ、と明るいトーンで話を切り出した。
「マリアちゃんは、花言葉にも詳しいかい?」
「へ?」
マリアが首をかしげると、シャルルはサントノーレの一番中心を飾るプリムローズの花へと視線を移す。
「プリムローズの花言葉は知ってる?」
「いいえ」
マリアがふるふると首を横に振れば、シャルルは柔らかな笑みを浮かべた。
「運命を開く、っていう花言葉があるんだって」
「運命を、開く……」
マリアが反芻すると、シャルルはうなずく。
「そう。マリアちゃんにピッタリだな、と思ってさ。それに、これからの旅にも」
運命。シャルルでも、そんな言葉を口にするのか。
マリアが少し意外そうにシャルルを見つめると、シャルルは肩をすくめた。
「運命っていうと、なんだか神様に操られているように聞こえるかもしれないけど」
ティーカップを口元に運ぶシャルルの言葉の続きを、マリアはただ黙って待つ。
「そうじゃなくて、自分で悩んで、苦労して、努力して……。そうやって選び取った道が、いつか、誰かの道と交わっていく。そんな素敵な偶然を、運命と呼ぶんだ」
聞き覚えのあるフレーズにマリアは思わず顔を上げた。シャルルはニコリとほほ笑む。
「そして」
シャルルの美しいブルーの瞳は、まるで空のように穏やかに、海のように透き通っていて、マリアを包み込むようだった。
「そんな出会いをつないで、新たな道を切り開いてくれて。人を……時を結んでくれる力が、マリアちゃんにはあると思ってる」
マリアが調香師だから、ということもあるが、結局のところ、マリアの人柄がそうさせているのだろう。柔らかな、春の陽だまりのような人。たくさんの人が集まる、憩いの場所のように、彼女の周辺はいつだって温かな空気に満ちていると思う。
シャルルの言葉に、目の前のマリアは頬を赤く染めてそっとうつむいた。照れ隠しの仕草まで、愛らしい女性。
この国を守ることが、この女性を……シャルルが後にも先にも、たった一人愛した女性を守ることになるのだ。そう思えば、シャルルも今まで以上に仕事に励まなければならない。
「本当にありがとうございます、シャルルさん」
ゆっくりと顔を上げたマリアの瞳にはうっすらと涙がたまっていた。穢れをしらないまっすぐな瞳が、喜びに満ち溢れている。
「どういたしまして」
喜んでもらえて嬉しいよ、とシャルルが微笑むと、そんなシャルルの微笑みもかすんでしまうほど、とびきりの笑顔をマリアが見せる。
「忘れられない思い出が出来ました」
何気ないその一言は、シャルルの心を天へと導くようだった。
その後しばらく、マリアは食べるのがもったいない、とサントノーレを見つめていたが、わざわざ王妃様専属のパティシエに作らせておいて、食べないほうが失礼である。
渋々、と花を模したクリームとシュークリームの山にナイフを入れて丁寧に切り分けていく。半分をシャルルの皿にのせれば、シャルルが苦笑した。
「僕もいただいていいのかな?」
旅立つマリアを祝福するために作らせたものだが、当の本人は
「運命を開く、なら、シャルルさんにも、ぴったりじゃないですか?」
といたずらっ子のような笑みを浮かべた。
シャルルにとって、マリアが特別であるように、もちろんマリアにとっても、意味は違えど、シャルルは特別な人である。
「これからの旅で、お世話になることもあるかもしれませんし」
そう冗談めかして付け加えれば、シャルルは肩をすくめた。
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いつもありがとうございます~*
今回は久しぶりに、マリアとシャルルの二人のお話になりました。
旅立ち前のご挨拶、素敵なサントノーレ、楽しんでいただけましたでしょうか?
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