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調香師は時を売る  作者: 安井優
開花祭編

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思いを馳せて

 レシピのなかに、カモミールの文字。祖母の丁寧な字をゆっくりと指でなぞりながら、マリアはその分量や配合、他に何の香りを調香したのか、祖母の思考を追いかけていく。

 ジャスミン、バニラ、ムスク、と文字が並んだところで、ペンは止まっていた。

「甘すぎたのかしら」

 カモミールの香りが良いアクセントとなりそうな調香であるが、何が良くなかったのだろうか。


 分量も問題はなさそうである。ジャスミンの精油が残っていれば、実際に試しているところだが、あいにくとジャスミンの精油は使い切ってしまった。さすがにマリアも、実際に調香してみないことには、その香りがどれほどのものかは分からない。

 残念、とレシピを戻そうとしたとき、マリアはそのレシピの裏側に何かが書かれていることに気が付いた。


「……開花、祭?」

 マリアはかすれたインクを何とか解読して首をかしげる。祖母も、誰かに香りを贈ろうとしたのだろうか。確か、祖母は見合い結婚だったはず。祖父は父を生んですぐに亡くなってしまっているので、詳しいことは分からないが、祖父と出会う前に、かなわぬ恋をしたのだろうか。

「おばあちゃんも、私と一緒だったのかしら」

 マリアの中で、祖母はなんでもうまくやって見せる人だというイメージがあったが、それもマリアの買い(かぶ)りかもしれない。


 恋について、教えてくれなかったのは、祖母自身も、うまく理解していなかったからかもしれないな、とマリアは不意にそんなことを思う。

 もちろん、祖父とは幸せな家庭を築いただろう。だが、それは恋ではない。燃えるような情熱や、激しい嫉妬(しっと)、困惑……そんな感情にさらされることなく、穏やかな愛をはぐくんだのではないだろうか。


 もちろん、全てマリアの想像であるが、祖母にも一つくらい弱点はあっただろう。

「おばあちゃん、私……」

 マリアはレシピをそっとしまって、部屋の外に映る月を見つめる。柔らかな光が、マリアを照らしていた。

「好きな人が出来たよ」

(見守っていてね)

 マリアは月に祈るように、そっと手を合わせた。


 祖母のレシピを片付け、マリアは再び調香部屋に残っている精油瓶を見つめる。カモミールに、甘い香り。やはり、祖母もそれは挑戦したようだ。

「バニラやムスクは、ケイさんには少し甘すぎるかしら」

 もう少し、心に落ち着きを与え、深い(いや)しを与えるような。そんな香りの方が、気に入ってもらえるだろう。

「フローラル調で、シダーウッドやサンダルウッドに合うような……」


 マリアは一つの精油瓶に手を伸ばして、その香りを確かめる。

 イランイラン。エキゾチックな香りが、どこか南国を思い出させるような雰囲気があり、甘くて官能的(かんのうてき)な香りがする。だが、その反面、不思議とリラックスできるのだ。

「これなら、ケイさんでも大丈夫かも」

 少しであれば、カモミールの香りともうまくマッチするはずだ。ほんのりと香る甘さが、特別感を与えてくれる。


「明日、香りが馴染(なじ)んだものに混ぜてみようかしら」

 マリアは、忘れないように、とメモを残して、今日の調香を終えた。

 この香りを作り終えたら、本格的に旅支度をはじめよう。マリアは調香部屋を見回して、決意する。調香があるうちは掃除(そうじ)もロクにできなかったのだ。レシピやノート、本はそのままになっているし、精油瓶は空のものとまだ使えるものが混在している。

 お気に入りの精油だけは小分けにして旅へ持っていくつもりだが、それはそれで準備が必要だ。


 マリアは旅の支度について考えながら、ベッドへと潜り込む。手紙は出したが、まだ、挨拶(あいさつ)(うかが)えていない人もいるし、旅に持っていく荷物の選別も終わっていない。なんなら、最も苦手な金勘定(かねかんじょう)を後回しにしている。ハラルドとアイラの調香依頼の金は、まだ受け取っていないのだ。いくらにするか、ということすら決めていない。

「今日はもう遅いもの。明日にしましょ」

 このセリフ一つで、マリアは先延ばしにしてしまうのである。枕もとの明かりを消せば、マリアは温かな布団にくるまり、何事もなかったかのように目を閉じた。


 翌日、マリアは開店準備を済ませ、早速調香部屋へと向かう。最初の客が来るまでの間に、イランイランの香りを加えておきたい。どうせ、バランスを整えれば、またしばらくは香りが馴染(なじ)むまで置いておかねばならないのだ。その間に店のことをすればいい。

「まずは、昨日の香りを確認しなくちゃ」

 マリアは昨日作ったばかりのカモミールの香りを確かめた。


 (さわ)やかなレモンバームが春風のように柔らかなカモミールの香りを運ぶ。ツンと鼻を抜けるカモミールの、青々とした若葉の香りが、ぼんやりとしている脳を目覚めさせてくれる。遅れて広がるシダーウッドの甘みと、サンダルウッドの深い香り。それらがマリアの心をすっと落ち着け、温かさと清々しさが春にぴったりである。

「うん、良い香り」

 重すぎず、甘すぎず。これならケイでも使えるだろう。


 マリアは、それらの香りを(くず)してしまわないように、慎重にイランイランの精油をそこへ加えていく。

 ぶわりと広がる華やかでエキゾチックな香り。思わずドキっとしてしまうような大人っぽさ。

「あら?」

 マリアはその香りの変化に思わず目を見張る。


 偶然か、それとも奇跡的に、か。イランイランの甘さが加わったことで、カモミールの(さわ)やかさがさらに際立ち、シダーウッドやサンダルウッドの深みがぐっと増した。レモンバームの軽やかなトップノートに対比するような、しっかりとしたベースノート。そのコントラストが、ミドルノートのカモミールをより目立たせている。

「こんなことがあるのね」

 香りの強さでいえば、イランイランやシダーウッド、サンダルウッドが(まさ)りそうなものである。もう少しカモミールを加えるつもりでいたが、どうやらその必要はなさそうだ。


 カモミールの独特な薬品臭さも、イランイランの甘みとサンダルウッドのスパイシーさが丸く収めており、バランスも良い。ベースノートが多いので、少量で香りも長く楽しめそうだ。

 落ち着いた見た目とは対照的に、優しく、穏やかで温かい心をもつケイ。最初の香りと最後の香りの対比は、そんなケイにも少し似ているような気がした。


「あとは少し置いて、様子を見ましょう」

 マリアはイランイランの分量をレシピへと書き記し、作ったばかりの香水瓶のフタをしっかりとしめた。あとは、ここからさらに詰めて、ケイにふさわしい完璧な香りにすれば、マリアの調香も本当に終わりである。


 マリアが大きく伸びをすると、タイミングよく階下で客が来たことを知らせる鐘の音が鳴った。

「今行きます!」

 マリアが慌てて階段を降りると、そこにいたのは(さわ)やかな笑みを浮かべた騎士団長、シャルルであった。


「シャルルさん! こんにちは」

「久しぶり、マリアちゃん」

 二人にとっては、これが友達としての一日目。まさに、友達、という新たな関係にふさわしい、最初の挨拶(あいさつ)となった。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


ついにマリアが、最後の調香であり、ケイへ贈る香りを完成させました~*

そして、久しぶりにシャルルさん登場です! 一体何のご用事なのか、次回をお楽しみに♪


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