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調香師は時を売る  作者: 安井優
開花祭編

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カモミールの香り

 バザーから戻ってきたマリアは店の在庫が少なくなってきたな、と調香部屋に残った精油瓶を見つめた。パルフ・メリエも閉店の日が近づいてきている。店を閉めると知ってか、客足も増え、売れ行きは好調だ。

「最後の香りは何にしようかしら」

 アイラとハラルドの調香依頼が、(おそ)らく閉店前最後の依頼となることは間違いない。だが、それとはべつに、マリア自身が最後の香りを作るのもそろそろだ。


 マリアはカレンダーへと目を向けて、思わずため息を吐いた。

「開花祭、かぁ」

 ケイへの思いを自覚している以上、開花祭という一大イベントを無視できるはずもない。どうしたって頭の片隅にそれがよぎってしまう。

「旅に出れば、今までみたいにいつでも会えるわけじゃなくなるのよね」

 特にケイは、多忙(たぼう)な身だ。ただでさえ気軽に会える人ではない。ならばいっそ、玉砕(ぎょくさい)覚悟で思いを伝えた方が、旅にも身が入るというものである。


 わかってはいるが、踏み出せず、マリアはもう一度深くため息を吐いた。

「贈り物だけでも……」

 最後の香り。どうせなら、ケイへ思いを伝えるための香りを作りたい。ケイが香水を身に着けてくれるかどうかは分からないが、渡してみる価値はあるのではないだろうか。

 せめて、香りだけでも側に。そんなことを考えてしまうのは、重いだろうか。

 答えてくれる人はおらず、マリアはじっと精油瓶の並んだ棚を見つめた。


 カモミールの精油瓶に目を止めて、マリアは、ケイとの出会いを思い出す。

 疲れ切った顔で、シャルルの代わりに王妃様から依頼された商品を受け取りにきたケイ。笑顔が印象的だった。それから、ケイと偶然出会った時も、丘にはカモミールが咲いていた。

 爽やかな春の訪れを感じさせる香り。

 今年もそろそろ、カモミールが咲く。


「よし……」

 マリアは覚悟を決めた、というように、カモミールの精油瓶を取り出した。

(ケイさんに、香水を渡そう)

 マリアが作る、旅立ち前の最後の香りである。今できる精一杯を、ケイへの思いを、香りに詰めて贈りたい。

 幸いにも開花祭までにはまだ時間がある。今からなら、良い香りが作れるだろう。


 マリアは早速、今までに書き留めたレシピをパラパラとめくっていく。カモミールは使い勝手が良いので、様々な香りに使ってきたが、今回は、自身の最高傑作(けっさく)でなくては。

「おばあちゃん、力を貸してね」

 これまでに作った香りではだめだ。マリアは、祖母のレシピやノートも全てひっぱりだして、机の上へと並べていく。


 どうせなら、ケイが身に着けやすいものにしたい。カモミールの(さわ)やかな香りをメインに組み立てれば、ケイでもきっと気に入るはずだ。

 ハーブ調の、ちょっと薬品のような香りがするカモミールをメインに()えることは難しい。だが、そこに挑戦しなくては意味がない、とマリアはレシピをめくっていく。

「おばあちゃんも、カモミールの香りはたくさん使っているのね」

 だが、どれもメインではない。マリアは、ふむ、と口元に手を当てた。


 祖母でも、その香りをうまく扱うことは難しかったのだろう。

 カモミールの青々とした、瑞々(みずみず)しい香り。それは、皆が良く知っている香りで、誰しもがなつかしさや、いつかの記憶を思い返すものだ。だが、その反面で、ツンと香るカンファー(しゅう)をうまく扱うには技術が必要なのである。

 少しなら良薬、多ければ毒薬。カモミールとは、そういうものだ。


「おばあちゃんが出来なかったことを、私が……?」

 マリアは手に握られたカモミールの精油瓶に目を落とした。憧れの存在である祖母を、越えねばならない。いつまでもその背中を追いかけているだけでは、マリアの調香師としての時間は止まったままである。

 マリアは、緊張からか、無意識に震えた手で、ゆっくりと精油瓶を握りなおした。

「やらなくちゃ」

 マリアの瞳には、強い決意の色が宿っていた。


 カモミールの精油をポタリと一滴、空の香水瓶へと滴下(てきか)する。緊張や不安を解きほぐす、ほんのりと甘くて、温かなグリーン調の香り。濃紺色の美しい色が瓶に広がる。ジャーマンカモミールを、ハーブティーではなく調香に使用するのは久しぶりだ。

「この香りを活かすには……」

 マリアはゆっくりと精油瓶を眺める。フローラル調の少し華やかな甘い香りか、(さわ)やかなハーブの香りか。


「ケイさんになら、ハーブかしら」

 マリアはレモンバームに手を伸ばし、一滴加えて様子を見る。カモミールの香りに重なって、レモンバームの(さわ)やかな香りがふわりと漂う。春の、新芽が生まれる香り。新しさと希望に満ちた、背中をそっと押してくれるような。

 これなら、カモミールの香りを(そこ)なわず、すっきりとした印象を与えることが出来る。


 問題はここから先。もうあと、何種類かの香りを入れて、特別感を演出したいが、やりすぎればケイには使いづらい香りとなってしまう。

「ベースに、ウッディ調を入れるのはいいかもしれないけど……」

 あまり強すぎるものでは、カモミールの香りも負けてしまう。

(せっかくなら……)

 普段はあまり試さない組み合わせにチャレンジしよう、とマリアは思い切って精油瓶に手を伸ばした。


 選んだのはシダーウッドとサンダルウッド。どちらも、(さわ)やかさより、深みや重みのあるしっかりとしたウッディ調の香りである。

 シダーウッドは、ほのかな甘みが心地よい重めの香り。サンダルウッドは、スパイシーな香りがほのかに(ただよ)う、深みのある香りだ。

 どちらも、自分の意識を安定させ、心を落ち着けるのにはもってこいの香りである。自分の根幹(こんかん)をしっかりと支えてくれる力強さ。ケイにはぴったりだ。


 どちらも少しずつ瓶の中に加えて、香りを確かめる。だんだんとカモミールの香りが弱くなってきた、とマリアはカモミールの精油を再度加えていく。

「意外と、悪くないかも」

 思っていたよりも安定して香りがまとまっている。カモミールの薬品のようなツンと鼻に抜ける香りが、ウッディ調の温かみのある香りに包まれて、独特の森林の香りだ。少し、パルフ・メリエの森にも似ている。


 これだけでも、ケイには十分かもしれない。マリアはいったんその分量をレシピに記入して、アルコールで香りを希釈(きしゃく)する。

 だが、まだマリアが満足出来ていない。これでは、今までと同じ。特別感はあまり感じられないのだ。もう一工夫必要である。

「甘さが欲しいところだけど……」

 ジャスミンでは、カモミールが負けてしまう。かといって、シトラス調の香りにしては、目新しさがない。


 マリアは香りが馴染(なじ)むまでの間に、もう一工夫を考えよう、とパラパラと再びレシピをめくった。

「ゼラニウムに、ローズ、ラベンダー……こっちは、ネロリもあるわね」

 祖母のレシピも合わせれば、随分(ずいぶん)とたくさんの香りを作ってきたものだ、と改めてその量に感心してしまう。もちろん、中にはマリアの失敗作のレシピもあるので、全て商品化したわけではないが。


「あら……?」

 マリアは、一枚のレシピに目を止める。祖母のレシピだ。大きなバツ印が紙全体に書かれていて、恐らく失敗作のものなのだろう。祖母が失敗作のレシピを残していることは珍しい。余程、思いれがあったのだろう。

 マリアはそのレシピにゆっくりと目を通した。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


いよいよ、マリアも開花祭に向けて準備をはじめました。

久しぶりの調香、お楽しみいただけましたでしょうか?

カモミールの香り、ぜひ皆様もどこかで見つけた際は楽しんでみてくださいね♪


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― 新着の感想 ―
[一言] ついに、旅の前の心の整理に... とても感慨深いです。
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