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調香師は時を売る  作者: 安井優
ガーデン・パレス編

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21/232

前進

(そもそも、香りが薄い……。ベースの香りは近いけれど、チェリーブロッサムはもっと豊潤(ほうじゅん)で、複雑な……)

 マリアは実験室で一人悩んでいた。


 あの後、葉や枝も試したが、結果は同じだった。少なくとも、葉や枝は花に比べれば香りが濃いものの、チェリーブロッサムの香りには程遠い。数日、いくつかの香りを作っては調香してみたが、どれもうまくはいかなかった。


 リンネも自分の仕事に戻ったようで、顔を合わせるのはご飯の時間だけだ。

「マリアちゃん、これおいしいよ!」

 マリアを気遣ってか、リンネは自らの食器に盛られていたハンバーグを差し出す。マリアはそのままぱくりと一口。肉汁と甘めのデミグラスソースがよく合っている。

「うん、おいしい。リンネちゃん、ありがとう」

 マリアも、お返しに、とリンネに白身魚のムニエルを差し出す。リンネもそれを口に運んで、満足そうに微笑んだ。二人の様子を周りの研究員たちはほのぼのと見つめる。もぐもぐと口を動かしてから、リンネは、それで、と話を切り出す。


「香り作りは順調?」

「それがなかなかうまくいかなくて。今日は、全然違うもので作ってみようと思っていくつか試してたんだけど、やっぱり少し違うの……」

「そっかぁ。大変なんだね……。何か手伝えるといいんだけど」

「ううん、気持ちだけで嬉しい。ありがとう」

 リンネの心遣いをマリアは感じ取って、小さく首を横に振る。

(あくまでも自分の仕事だ。最後までやり遂げなければ……)


「それにね、何もかも失敗ってわけじゃないから。少しずつ近づいてきてる感じもするし」

 マリアの言葉に、リンネは微笑む。

「マリアちゃんって前向きだよね。えらいなぁ。私も頑張らなきゃ」

「リンネちゃんは、何の研究?」

「今は、カンポウの本を読むために言葉の勉強中……」

 リンネはよっぽどそれが苦痛なのか、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「難しいの?」

「信じられないよ! わけのわからないくちゃくちゃの文字が並んでるの」

 リンネは思い出してしまった、と言わんばかりにため息をつく。よほど大変なようだ。後で、実験の副産物でとれた精油でアロマでも焚いてあげよう、とマリアは思う。


「ねぇ、マリアちゃん。そこのお塩とってくれない?」

 リンネに言われて、マリアは目の前にあった塩を取る。リンネに渡すと、リンネはそれをサラダにパラパラと振りかけた。普段、ドレッシングやマヨネーズを使うマリアが

(珍しい食べ方だわ……)

 と見つめていると、リンネは照れ臭そうに笑う。


「これね、昔からばあちゃんがやっててさ。野菜の香りが増す感じがするっていうか……」

「へぇ……。お塩で香りが……」

 マリアはそこまで言葉にして止まる。リンネもまた、同じようにサラダに伸ばした手を止めた。


 二人は、パチン、と何かがはまるような、そんな感覚に陥る。

「リンネちゃん……」

「マリアちゃん!」

 互いに顔を見合わせて、それから食べかけの料理を慌てて口に入れた。そして、トレーを返却口へ戻す。


「あの! お塩、いただけませんか!」

 返却口で声をあげたマリアに、シェフが驚いたようにマリアを見た。

「あぁ、君この間の! 塩なら、そのへんにあるやつを持って行ってくれていいけど……」

「ありがとうございます!」

 シェフの言葉に、マリアとリンネは大きく頭を下げる。近くのテーブルに置いてあった塩の瓶を三つほどつかんで、二人はできるだけ早足で実験室へと急いだ。


 マリアは残っていたチェリーブロッサムの花と葉を鍋に入れる。リンネは塩の入った瓶の蓋を次々と開けていく。

「入れるよ」

 マリアがうなずくと、リンネは大量の塩を花や葉に振りかけた。網をその上にしき、空になった塩の瓶を重石代わりに置く。


「こんなもんかな」

「これで、うまくいくのかしら」

「私たちの考えがあってれば、ね」

 マリアとリンネは異様な状態になった鍋を見つめた。数日ほど置いておけば、塩によって水分が出てくるはずだ。しばらくは待つしかなさそうだった。


「待ってる間は、また他の香りを試してみるね」

「うん、頑張って!」

「リンネちゃんもね!」

 今度こそうまくいきそうだ、という確信めいたものが二人の心には芽生えていた。マリアとリンネは互いに微笑みあった。


 ——二日後。

 マリアとリンネは鍋の前で顔を見合わせた。チェリーブロッサムの花に似た香りが、あたりを包んでいる。柔らかく、豊潤(ほうじゅん)な春の香りだった。


「今朝からね、少しずつ香りは強くなってたんだけど」

 マリアがそういうと、リンネは目をキラキラと輝かせてうなずいた。

「すごく似てる気がする!」

 リンネは自分のことのように喜んで、香りを堪能するように大きく息を吸う。リンネの様子に、マリアも自信を持つことが出来た。


「これをベースに調香してみる!」

 マリアは、ぐっとこぶしを握りしめる。チェリーの塩漬けが出来るまでの間に試したレシピと香りを思い浮かべ、この香りがベースなら、と頭の中で考えていく。リンネも、そんなマリアを見て嬉しそうに微笑んだ。


「良かったね、マリアちゃん」

「リンネちゃんのおかげよ、本当にありがとう」

「いやいや! 私は何も! でも、マリアちゃんが元気になって良かった」

 リンネは照れたように笑い、マリアも嬉し気に微笑んだ。


いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。

少しでも気に入っていただけましたら、ブクマ・評価(下の☆をぽちっと押してください)・感想等々いただけましたら大変励みになります。

これからもよろしくお願いします。


20/6/21 段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リンネに助けられつつ、マリアの調香はいよいよブレーク・スルーを迎えたのだろうか? まだ確証はない。 でも、こんどこそ、という匂いがする。 わくわく、どきどき。 ではでは。 またまた。
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