香り作り
「さて、と。必要なものはだいたいそろったし、やってみようかな」
マリアは実験室を一部屋借りて、材料や道具を机に並べた。リンネは隣に腰かけて興味深そうにそれを眺める。
「こんな簡単な道具で、香りって作れるもんなんだ」
「簡単なものはおうちでも精油が作れるの」
マリアがそういうと、リンネはますます興味深そうにうなずく。
香水は高級な嗜好品、というイメージがまだまだ根強いからだろう。実際、マリアの店ではそれほど高いものは扱っていないが、他の調香師たちがとんでもない値段のものを売っているのも見たことがある。
「せっかくだから、リンネちゃんも一緒にやってみる?」
マリアがそう尋ねると、リンネは目を輝かせて、やる!と大きな声で返事をした。
マリアは自身の持ってきた荷物から、網や穴の開いたガラス板、チューブなどを取り出していく。ガラスの板はフタ代わりだ。軽く鍋にのせて、落ちないことを確認する。そして、鍋に水を張り、網を敷いた。こちらは少し小さいが問題ないだろう。
「これは何用なの?」
「この網の上に、花や葉を置いて蒸すために使うの。蒸すことで、植物から蒸気と一緒に香りを取り出せるんだよ」
「へぇ。すごい。植物のことには詳しいつもりでいたけど、そんなことが出来るなんて」
リンネはどこからかメモ帳を取り出し、実験の様子をスケッチしていく。その姿に、祖母から教えてもらっている過去の自分が重なって、マリアはどこか懐かしい気持ちになった。それと同時に、祖母の気持ちも少しわかるような気がする。
「それじゃあ、この網の上に、さっきの花を入れるんだね」
リンネの言葉にうなずいて、マリアは先ほどもらってきたチェリーの花を網の上に敷き詰めた。あまり多くはないが、香りを確かめる程度の量は取り出せそうだ。それからそっと鍋をガスコンロにのせる。ガスコンロに火をつけたが、シュトローマーが言っていたようなチーズの香りは問題なかった。
「リンネちゃん、ボウルに氷と水を入れてくれる?」
マリアの指示にリンネはうなずいて、ボウルに氷と水を入れる。その間にマリアはガラス板の中心に空いた穴にチューブを差し込んだ。チューブといっても、細いストローのような銅管だ。その先に瓶を差し込んで、テープでしっかりと固定する。
「ボウルの中にこの瓶を沈めれば、後は待つだけ」
マリアは、リンネの用意したボウルに瓶をゆっくりと沈めた。
「これで終わり?」
リンネは驚いて、思わず声をあげる。マリアはクスクスと笑ってうなずいた。
「そうなの。簡単でしょ?」
「簡単っていうか……拍子抜けしちゃった。料理より数倍楽だね」
リンネは率直に感想を言って、スケッチをしたメモ帳をしまう。
「ねぇ、こんなことを言ったら失礼かもしれないけど、どうしてあんなに香水って高いわけ?こんなに簡単なら、もっと安くできそうなものだけど」
チェリーの花がいっぱいに入った鍋を見つめながら、リンネはそう言った。確かに、この工程を知っていれば、疑問に思うだろう。
「精油を取り出したら、すぐにわかるわ」
マリアがそう言って笑うと、リンネは不思議そうに首をかしげた。
数十分待って、マリアは
「そろそろ良いかな」
と瓶の口に巻かれたテープを外し、瓶をゆっくりと持ち上げた。瓶の半分ほどまでたまった透明な液体が揺れる。香りのしっかりとした植物であれば、この時点ですでに香りがするのだが、チェリーの花はあまり香らないらしい。
「わ、すごい。これ、全部そうなの?」
「ううん、残念ながらこれのほとんどは少し香りのついた水なの。これをまた、少し置いておくと、油と水が分離されるから、その油の方ね」
「へぇ。じゃぁ、その油の部分が香水になる精油ってわけね」
「うん。リンネちゃん、きっと、見て驚くと思うわ」
マリアの言葉にリンネは首をかしげたが、マリアの予想は見事に的中した。
しばらくして、水と油が分離し、リンネが声をあげた。
「これだけ?!」
水の上に浮いた油膜は、数ミリにも満たない。しっかりと水面を見て、認識できる程度だ。スプーンですくい取ってしまえば、あっという間になくなってしまうだろう。マリアはむしろ、想像よりも少し多くとれた、と感心する。リンネはがっかりとした様子で
「実際には大量の材料と時間が必要ってことだね、マリアちゃん……」
そう言った。
どうやら、なぜ香水が高いのか、リンネは理解したようだ。そして同時に、この実験にかかる時間や労力を考えて、リンネはげんなりとした顔をする。マリアはなんとかリンネを元気づけようと出来るだけ明るく声をかけた。
「せっかく取り出したし、香りを確認してみよっか」
「うん、そうだね」
マリアの提案に、リンネは本来の目的を思い出し、力強くうなずく。
これで取り出した香りがチェリーブロッサムと同じであれば、手間こそかかるものの大きく前進できるのだ。
(うまく、香りが出ているといいけど……)
マリアはそっと精油を取り出して、小皿に移した。
「……どう?」
小皿に乗った精油の香りを嗅いだリンネの様子を、マリアは見つめる。リンネは何度か嗅いで見せた後、しばらく考え込んだ。
「全然違う……」
うまく言葉にできないようで、リンネは顔をしかめたままマリアに小皿を手渡した。マリアも小皿を受け取って、香りを確かめる。しばらくその芳香を確認して、マリアも顔をしかめた。
「確かに、全然違うわ……」
もう少しうまくいくかと思ったが、そう簡単にはいかないものらしい。
「もっと根本的に、香りを濃くしないと……」
マリアがそういうと、リンネもうなずく。二人は互いに顔を見合わせ、肩を落とした。
王妃様へ香りを届けるには、まだまだ長い時間がかかりそうだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本話に登場したのは『水蒸気蒸留法』という香りの抽出方法です。
誰でもおうちで出来るくらい簡単な方法なので、気になった方はぜひ調べてみてください。
(実際にやられる際の責任は負いかねますので、お気をつけて……)
そして、自分が書きたいと思うものを書き始めたこのお話ですが、早いもので20話になりました。
皆さまからたくさん反応いただき、本当に創作をしている者としてありがたい限りです……。
改めて、感謝申し上げます。これからもよろしくお願いします。
20/6/21 段落を修正しました。




