新しい客人
ドンドン、とログハウスの扉がノックされたのは、マリアが新商品を開発した次の日だった。
マリアは何年ぶりかに聞いたノックの音に心を弾ませた。
(新しいお客さんだわ!)
マリアの店は、国のはずれにある森の中に立っているため、馴染みの客以外が訪れることは少ない。そして、馴染みの客は店の扉が開いていることも、勝手に開けて入って良いことも知っている。つまり、扉をノックするのは、それを知らない新規の客ということになる。
マリアは慌てて、ログハウスの扉を開けた。
「いらっしゃいませ!」
努めて明るく、そして笑顔でマリアはその客人を出迎えた。
扉の向こうに立っていたのは、しかめ面をした背の高い男だった。
◇◇◇
「ここが、パルフ・メリエか?」
ケイは驚きを隠せなかった。団長から渡された紙きれに書かれた文字と、目の前の店に掲げられた看板を見比べる。やや塗装のはがれかかった深緑に、金色の飾り文字がしっかりと刻まれている。『パルフ・メリエ』。何度見ても同じ文字がそこにはあった。
遠征の帰りに寄ってほしい場所がある、と団長からつかいを頼まれて、たどり着いたのは国のはずれの森だった。普段ケイが暮らしている城下町からは数十キロは離れている。周りに集落はなく、あるのはこの店だけだ。農村育ちのケイでさえ、この光景は初めてであった。
団長からの直命であった上、聞けばどうやら王妃様が所望されている物らしい、というからどんな店かと思えば、森の中にポツンと佇むログハウスとは。遠征で疲れた体を引きずって森の奥まで来たのだから、せめて飲食のできる店であってくれ、とケイは祈り、その扉をノックするのだった。
◇◇◇
マリアは、正直困惑していた。
男の着ている服には見覚えがある。国直属の騎士団のもので、王妃様からのつかいを頼まれた団員が時折店にやってくることがあるからだ。
しかし、これほど仏頂面の男は初めてだった。この男は全く何も聞かされていないのか、店内や商品をにらみつけるように見つめている。アロマオイルや香水が珍しいのだろうか。小瓶を持ち上げて揺らして、その香りをクンクンと嗅いでいる。
「あのぅ……」
マリアが声をかけると、男はビクリと肩を揺らす。そして、とてもこの世のものとは思えないような形相でマリアの方を向いた。
「ひっ……」
マリアは思わず、小さな悲鳴を上げた。その声が聞こえたのか、男は
「すまない……」
と謝った。見た目より怖い人ではないらしい。マリアも慌てて頭を下げる。
「私こそ、お客様に申し訳ありません……」
「いや、君が謝ることはない。俺は生まれつき顔が怖いとよく言われるから」
自嘲気味にふっと笑った男の顔が存外優しい目つきだったため、マリアはほっと胸をなでおろした。怖いという自覚はあるのか、とマリアは思わずそんな失礼なことを考えてしまう。
しかし、男の顔が怖い、というのは、今に限っては別の要因もあるように思えた。彼の目元には大きなクマが出来ており、そのせいでずいぶんと顔の印象が暗いのだ。
「それで、何か用だったか」
「はい。頼まれたものを一式ご用意できましたので」
マリアは男から渡された紙と、用意した品物を近くの棚に並べる。
「こちらが、カモミールティーの茶葉。こちらは、ローズのアロマキャンドルです。それからこのピンクの小瓶に入っているのがローズマリーの香水です。それから……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
マリアの説明に、男が待ったをかける。
「悪いが、紙か何かもらえないだろうか」
男は困ったように眉を寄せた。どうやら、覚えきれないらしい。
それもそのはず。マリアの用意した紙袋には数十もの商品が入っており、マリアでさえ、現物を一つ一つ確認していかなければ、入れ忘れがないとは言い切れないのだ。正直なところ、これはあくまでも、入れ忘れはありませんよ、という確認作業……つまり、儀式のようなもの。これまでは覚えるどころか、真面目に聞こうとする人間などいなかった。商品にネームタグはつけているし、効能や取扱いを書いた紙も一緒に入れているので、マリア自身も特に気を留めていなかった。
(真面目な人なんだな)
「あの、中にネームタグがついていますし、説明書なども入れていますから、大丈夫ですよ」
マリアがそういうと、男は安堵のため息をつく。
「すみません。最初に言っておくべきでした」
「いや。……それにしても、すごい量だな。驚いたよ」
「日々使うものですし……それに、ここへ毎日つかいを出すのは難しいでしょうから」
「はは、それもそうだな」
男は初めて柔らかな笑みを浮かべた。マリアが思っていたよりも、男は若く見えた。
(ずっと笑っていればいいのに)
マリアはそう思う。
「それじゃ」
会計を済ませた男が立ち去ろうとするのを、マリアは思わず腕を引いて引き留めていた。
「あの!」
男は驚いたようにマリアを見る。
「もしよろしければ、もう少しゆっくりしていってください」
マリアの言葉に、男はますます目を大きく見開く。しかし、マリアの手が男から離れることはない。しっかりとつかまれた袖に男も観念したのか、体ごとマリアの方に向き直った。
「ここにかけて、少し待っていてくださいね」
マリアは男の前に椅子を並べ、そして、店の奥にある階段を駆け上った。
ケイはつかまれた腕をじっと見つめた。女性と触れ合ったのはいつぶりだろうか。しかも、あんな若い女性に。騎士団は当然男所帯だし、ケイは女遊びが好きではなかった。仕事と鍛錬に明け暮れ、出会いはなく、家庭を持ちたいというような気持ちも今はない。
それにしても、とケイは店内を見渡した。
(良い、香りだな)
店中に漂う木々の香りは、自然とケイの心を落ち着かせる。
最初に飛び込んできた彼女の姿を見て、本当にこの娘が王妃様の香水を作っているのか、と疑念を抱いたが、どうやらそれが事実らしい。手入れの行き届いた店内は、たくさんの商品が置いてあるにも関わらず、森林の香りがかすかに薫るばかりだ。密封性の高い容器がきちんと使われていることや、香りの強い植物が店内にはおかれていないことが見て取れた。椅子に座っているだけなのに、疲れがじんわりとほぐれていくような感覚に陥る。
「お待たせしました」
彼女の声とともに、ほのかに甘い香りがケイの鼻をくすぐった。
疲れ切った顔のケイの前に、そっと黄金の液体が置かれる。ゆらりと揺れたその液体からは湯気が立ち上っており、その湯気とともに、なんともいえぬ爽やかな香りがした。
「これ、もしよろしければ」
彼女の柔らかな声。カモミールです、と彼女は小さな花を見せた。
「お疲れのようでしたので。ここまで来てくださったお礼です。お代はいりませんから、ぜひ召し上がってください」
にこりと微笑んだ彼女は、そう言ってティーカップをケイの方へと向けた。
「本当にいいのか?」
「えぇ。あ! といっても、作ったばかりのもので、お客様にお出しするのは今日が初めてなんです。お口に合わなかったらすみません」
彼女が冗談めかしてそう言うのは遠慮するこちらの気持ちを汲み取ってだろう、とケイはカモミールティーを口につけた。
フルーティーな甘みと、フレッシュな香り。ジンジャーだろうか、すっきりとした後味が疲れた体にちょうど良い。ケイは今まで飲んだことのないそれに、驚いて彼女を見た。
「……うまいな」
「本当ですか!? 良かったぁ……。これで私も、自信をもって売り出せます」
満足そうに微笑んだ彼女が、ケイにとってはまぶしく見えた。ケイはもう一口、後一口、とカップに口をつけた。そして、気づけばティーカップは空になっている。あっという間になくなってしまったカップを見て、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「こんなにおいしそうに飲んでいただけて、とっても嬉しいです」
「いや、本当にうまい」
ケイはそう言って礼を言おうとするが、彼女の名前を知らないことに気づいた。決してケイが望んで来たわけではなかったとはいえ、ここまでもてなしてくれたことに、ケイは感謝を述べなければならない気がしていたのだ。
「えっと……すまない、君の名前を聞いてもいいか」
「マリアです」
「マリア、礼を言う。大変良いお茶だな、これは」
「ありがとうございます」
ケイがそういうと、マリアは嬉しそうにはにかんだ。そして、ケイをじっと見つめる。
「少し元気が出たようで良かったです」
そう言われれば、そんな気がする。体が温まったような気もするし、ずいぶんと心も落ち着いた。魔法にでもかかったようだった。
(なるほど、これは……)
ケイは目の前のマリアを見つめる。王妃様のお気に入りのわけだ。ケイはその名を忘れぬよう、心の中で二度呟く。そして三度目を口に出した。
「マリア」
「はい」
呼ばれた彼女は、なんでしょう、と首をかしげる。しかし、用事があるわけではない。ケイは荷物を持って立ち上がった。
「俺はこれで失礼する」
ありがとう、ともう一度礼を言って、ケイは店を出た。
ずいぶんと足取りも軽くなった。荷物は増えたが、ここへ来たときよりも余裕がある。ケイはきた道を戻る。少し進んで、一度だけ後ろを振り返った。ログハウスの外に出て、大きく手を振るマリアの姿が見える。
「また、会おう」
その声がマリアに聞こえたか否かは、わからない。
20/6/6 改行、段落を修正しました。
20/6/21 段落を修正しました。
20/10/11 視点切り替え+時間の逆行部分に◇を追加しております。(わかりにくくてすみません!)




