ミュシャとケイ
役場でいくつかの手続きを済ませたミュシャは、目の前にいた男に思わず声をあげた。
「げ」
それは、いつものミュシャらしくない、露骨な表情の変化。だが、それも仕方がない。何せ、目の前にいた騎士団の服を着た男こそ、ミュシャの因縁のライバルであったケイだったのだから。
「洋裁店の……」
ケイも、思わず眉をひそめながらもペコリと頭を下げる。勤務中だ。まさかミュシャがすでにマリアに振られているなどということは知らないので、ケイとしてはいまだライバルということになるが、それはそれ、これはこれである。公私混同などして無礼を働いては、騎士団の名を傷つけることに他ならない。
「こんにちは」
「どうも」
ケイの作り笑いにミュシャはぷいと顔を背けて、ケイの隣を通り過ぎる。
これ以上話すことは何もない。
……はずだった。
いや、いつもなら間違いなくそうしただろう。だが、つい一昨日、意図せずしてマリアを香り探しの旅へといざなってしまったものだから、ミュシャも内心で動揺していたのかもしれなかった。
ケイから三歩ほど距離を保って、くるりと振り返る。ケイはすでに王城の方へと向かって歩き始めていて、ミュシャは思わず声をかけてしまったのだった。
「あの!」
まさか、後ろから声がかかるとは思ってもいなかったケイは、驚きを隠さないままに振り返る。グレーがかったサラサラの髪、そこから覗く意志の強そうなオリーブ色の瞳。ともすれば女性にも見間違えてしまいそうな華奢な体つきと、おしゃれな服装。
ケイが最も関わり合いになることはないだろうと思っていた人種である。自分とは正反対の青年。
ケイがおずおずとミュシャを見つめると、ミュシャは苛立ちを隠さずにケイをにらみつけた。
「時間、ありますか」
ケイは「は」と声を漏らすのが精いっぱいで、それ以上、気の利いた言葉も、ましてやいい返事など出来る訳がなかった。
ケイの様子に、ミュシャはじっとりとした目を向け、そしてため息を一つ。
「あの。聞いてます? ケイさん、でしたよね。あなたに言ってるんですけど」
「あ、あぁ。その、すまない」
ケイが慌てて返事をすれば、ミュシャは
「まったく。この男のどこが」
と小さな声で呟いた。
「すまない。その、今は勤務中で、これから王城の警備だ」
ケイが丁寧に頭を下げると、ミュシャは
「あ、そう。それじゃ、明日の昼は?」
淡々と質問を重ねる。どうしてこうもミュシャが食い下がるのか、ケイには分からない。
「それなら、恐らく……」
ケイは首を縦に振る。今日の王城警備はこの後午後三時から今日の深夜まで。そんな訳で、明日の見回りは夕方から早朝のシフトになっている。昼なら、時間はあるはずだ。
「じゃ、明日のお昼十二時ちょうどに。町の広場にあるベーカリーカフェで。フォーノって店は知ってますか?」
「あ、あぁ」
おそらく、マリアに一度パンを買っていったところだ。町の広場にパン屋はいくつかあるが、カフェが併設されていたのはそこだけだったはず。
ケイが曖昧にうなずくと、ミュシャは呆れたような顔をした。
「広場に面した空色の壁のアパートの一階、緑の屋根で看板があるから」
ミュシャはチッと舌打ちをして、ケイを一瞥すると踵を返した。とてもあの中性的な顔立ちには似合わない態度だ。
「分かった」
しかし、なぜミュシャからカフェに誘われたのか全く分からないケイは、そのことで頭がいっぱいになっていた。ミュシャの態度が横柄で無礼なことなど、気にならない程度に。
今度こそミュシャは振り返らなかった。ワインレッドのコートを翻し、同じくワインレッドのベレー帽をかぶりなおしたミュシャの後ろ姿を、ケイはポカンと見つめる。
「一体……なんだったんだ……」
あまりの急展開に事態は飲み込めず、ケイは首をひねる。
マリアの商品を何度か買いに行った際に、洋裁店で顔を合わせることはある。だが、これほどまでに会話らしい会話を交わしたのは初めてだった。どちらかというと、ケイは嫌われているのか、顔を背けられるか、無言で睨みつけられるか、の二択なのだ。
(マリアのこと、なのだろうが……)
いよいよ宣戦布告か。それとも、マリアと付き合うことになったから、金輪際近づくな、という警告か。
どちらにせよ、ケイにとってメリットなど一つもないような気がする。
「全く……どうしたものか」
だが、一度約束してしまった手前、今更ミュシャを引き留めて、断りを入れるというのも、ケイには出来るはずがない。
馬鹿が付くほど真面目で律儀な男。それがケイであった。
一方、ケイに無理やり約束を取り付けたミュシャもまた、自らの行動に後悔を覚えていた。
冷静で、落ち着いていて、何事も計画的に。それがミュシャという青年だ。
だが、今のミュシャはどうだろうか。感情に流されて動き、焦っていて、計画性のかけらもない。
「ほんと、どうしちゃったんだろ……」
だが、今更ケイのところへ戻って、やっぱり今のはなし、などとは言えるはずもない。ミュシャにもプライドはある。
自分が独立してしまうこと。マリアを守る人がいなくなってしまうこと。ただでさえそんな状況なのに、マリアは香り探しの旅に出ようとしていること。
それを、ケイに伝えてどうなるというのだろう。いや、そもそもケイに伝えたいと思ったのか。ミュシャはため息をつく。
「結局、なんだかんだあいつが全部持って行っちゃうのかな」
嫉妬にも、悔しさにも似た感情が入り混じる。
自分の好きだった人を、好きな男。そんな男に塩を送るような真似をするなんて。
「最悪。ほんと最悪!」
ミュシャは自分のした行動に、むしゃくしゃとして、舗装された道を蹴り上げる。何人かの通行人はそんなミュシャをさっと避けるが、本人は気づかない。
「でも……」
ミュシャは唇をかみしめた。
マリアを守れるのは、きっとあの男か……あとは、騎士団長くらいだろう。背に腹は代えられないのだ。マリアを失ってしまうことを考えれば、自らが犠牲になることなど、ミュシャにとっては造作もない。
代償は大きいが、それでマリアの未来が守れるのなら。
ミュシャはそこまで考えて、はじめから答えなど決まっていたのだ、と拳を握りしめた。
おそらく、マリアはケイのことが好きだ――その事実を認めることが、これほど辛いことだなんて。
ミュシャは、断ち切ったと思っていたマリアへの思いが、まだ自分の中に少しばかりくすぶっていたことを自覚して、深く息を吐き出す。
ミュシャの吐いた息は白く、分厚い雲に覆われた空へとゆっくり吸い込まれて消えた。
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ありがとうございます!
今回は、珍しい組み合わせ(200話を目前にしてまさかの初めての組み合わせ)でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
いつもよりトゲトゲしたミュシャも、受け入れていただけていたら嬉しいです……!(笑)
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