マリアのこれから
ミュシャからの調香依頼を無事に完了させたマリアは、ミュシャとその父親とともに食事を楽しんでいた。
「ここは僕が出すよ」
といったミュシャの父親の言葉に甘えて、マリアもミュシャもそれぞれ頼んだ料理に舌鼓をうつ。
窓の外には階段にそって並んだ街灯が光の道を作りだしている。だんだんと天高く昇っていくそれらの光は、まるで空へと続いているかのようだ。
ミュシャが育った町であり、これから暮らしていく町。洋裁店がある町の広場や、城下町とはちがってあわただしさはなく、のんびりとした時間が流れていた。
マリアは、そうだわ、と動かしていたナイフを止めて、ミュシャとミュシャの父親へ視線を向けた。
「お店は、二人でやるの?」
「しばらくはね。忙しくなってきたら、もう一人くらい雇おうかって父さんとは話してたところ」
「そうなの?」
「僕ももう年だしねぇ。それにほら、オーダーメイドなんかを引き受けるとそれにかかりきりになってしまうだろう? 接客を専門でやってくれるような人がいると助かるかなって、僕からミュシャに言ったんだ」
「マリアちゃんも、そろそろ一人では忙しいんじゃないかい?」
「えぇ。実は」
ミュシャの父親の言葉に、マリアもうなずく。まさかこんな悩みを抱える日がこようとは夢にも思わなかった。始めたばかりのころは、祖母の残した功績のおかげでなんとか店を回していたようなものだったのに。
ミュシャはフォークを置いて、マリアに目を向ける。
「マリアは、正直……お金の勘定も下手だし、調香だって大変なんだから、一人くらいそういう人を雇った方がいいと思う。ただでさえ、森の奥で女の子が一人なんていうのも、危ないって僕は思ってるんだよ」
ミュシャが独立してこの町に腰を下ろせば、それこそマリアを助けることさえ簡単には出来なくなってしまうのだ。ミュシャはやはり、マリアが心配なのである。
ミュシャの言葉には、マリアも口をつぐむしかない。耳の痛い話だが、自分の日頃の行いを振り返れば、ミュシャのいうことはもっともだった。
「ま、すぐには人も見つからないだろうし、逆に店を閉めて、新しい香り探しの旅、なんていうのもありかもね。マリアの護衛についてくれる騎士団の人なら、いくらでもいそうだし」
ミュシャは、あくまでも、冗談のつもりでその言葉を口にした。
「香り探しの旅……」
マリアは何やら考えるようにポツリと呟いて、窓の外へと視線を向ける。王国といっても、その国土は広く、マリアの知らない場所はまだまだいくらでもある。誰かを雇う、というイメージは全くマリアの中にわかないのに、なぜか、様々な場所をめぐって新しい香りに触れる自分の姿はやけに簡単に想像できた。
「うん。それも、悪くないかも」
マリアの言葉に目を丸くしたのはミュシャで、対照的に、ミュシャの父親は面白そうに目を細めた。
ミュシャは頬をひくつかせる。
「ま、マリア……? まさか、本気にしたわけじゃないよね?」
仮に、騎士団の人間が誰かひとり……それこそ、あのケイとかいう男や、ありえないが、騎士団長がそんなことを言い出したとしても、ミュシャとしては断固拒否したいとことである。そもそも、旅に出るなどというのは、夢物語みたいなものだ。マリアが旅立つことすら言語道断、何としてでも止めねばならない。
ミュシャが言い出したんじゃない、とあっけらかんとした表情でマリアは首をかしげる。
「ミュシャのいう通り、人もすぐには見つからないだろうし……。それならいっそ、心機一転、なんてのも素敵だと思うんだけど」
「ははは。かわいい子には旅をさせよって言うしねぇ」
「父さん!」
ミュシャは隣でゲラゲラと笑い声をあげる父親をにらみつける。
冗談じゃない。マリアはそんじょそこらのかわいい子ではないのだ。国一番の調香師であり、とびきり可愛くて、魅力的な女性であり、旅の道中に何が起きてもおかしくはない。
「人なら、僕も探すのを手伝うし! それに、パルフ・メリエで働きたい人なんていくらでもすぐに見つかるよ! ね、だから、ほら、旅なんていうのは僕もほんの冗談で」
「いいえ、ミュシャが言うんだもん。間違いないわ」
慌てふためくミュシャにはおかまいなしで、マリアはのんびりと首を横に振る。
「それに、ミュシャだって独立して忙しくなるんだから、私のことをお手伝いするなんてダメだよ。自分のことを大切にしなくちゃ」
マリアににっこりとほほ笑まれて、ミュシャはもはや開いた口がふさがらない。
(自分ことを大切にしなくちゃいけないのは、マリアの方だよ!)
自らの冗談が発端なだけに言葉にはならず、ミュシャは父親へ助けを求める視線を投げかける。だが、父親は我関せず、といった顔で目の前の料理を口へ運んだ。
夕食を終え、駅までの道を歩く。駅へと向かうミュシャの足取りは重く、マリアの足取りは軽い。
「ミュシャに香りを気に入ってもらえてよかったわ。ずっとこうして、ミュシャに恩返しがしたいって思ってたの。いつもたくさんお洋服を作ってくれるし……」
「それは別にいいけど……。店に、マリアの商品もいくつか並べるつもりなんだから、それも今度は一緒に送ってきてよ?」
「ありがとう!」
鼻歌交じりに階段を一段ずつ、優雅なステップで降りていくマリアの髪が揺れる。
本当にマリアは、旅に出るのだろうか。
ミュシャは、どこか楽しそうなマリアの後ろ姿を見つめた。もう、彼女への恋心は、家族への気持ちのようなものに変わりつつあり、前ほどの激しい感情もなくなってきている。だが、マリアがいなくなるとなれば、話は別だ。
自らが独立を決め、打ち明けた時、マリアが寂しく思ってくれたのと同じように、ミュシャにも別れを惜しむ気持ちが募る。
「マリア」
「どうしたの?」
「……本当に、旅に出ようだなんて、考えてるの?」
「それも良いなって思っただけよ。本当にこれからどうするかは、まだしばらく悩んじゃうと思う。パルフ・メリエに来てくださるお客様のこともあるし」
「そうだよ! お客さんだって、マリアが急にいなくなっちゃったら困るよ!」
僕も困る、とは言えず、代わりに、ミュシャは慌ててマリアに駆け寄る。
「でも、新しい香りを作りたいって思う気持ちもあるの」
ミュシャが安堵したのもつかの間、マリアは眼下に見える駅舎へ視線を落として呟いた。
「いろんな人達と出会って、いろんな場所へ行って、いろんなことを学んで……。私、本当にたくさんのことを勉強したわ。おばあちゃんみたいな調香師に近づけてるんだって思えるようになったの。おばあちゃんもね、昔は海辺の小さな町で調香師として働いてたの。でも、パルフ・メリエに移った。それは、きっと、もっとたくさんのことを学ぶためだわ。草花がたくさん育てられる場所で、いろんな香りを作るためよ」
マリアはそこで言葉を切ったが、ミュシャにはその先に続く言葉が、いやというほどに分かってしまう。
祖母に憧れ続け、ひたむきに仕事をしてきたマリア。自分も、父親の背中を追いかけ続けたからこそ、その気持ちはよくわかる。
「はぁ……。あんなこと言うんじゃなかった」
ミュシャのため息は冷たい北風にさらわれていく。マリアは「なんて言ったの?」と聞き返したが、ミュシャはただ首を横に振った。
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今回は、三人でお食事をしながらお店のことやお仕事のことをお話しましたが……まさかの旅立ちの予感?! です。
マリアのこれからを、ぜひぜひ皆様も温かく見守っていただけましたら幸いです*
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