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調香師は時を売る  作者: 安井優
ミュシャの独立編

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ルームフレグランス

 マリアが見せた三つの四角い瓶は、それぞれ青、オレンジ、ゴールドのリボンがくくりつけられている。試作品だろうが、どれもシンプルながら上品な見た目で、ミュシャとミュシャの父親もそれを気に入った。

「うん、見た目もいいね」

「あぁ。色もきれいだなぁ。特に、僕はこのゴールドが好きだ」

「父さんは、ゴールドが好きだよね」

 二人はしげしげとそれらの瓶を見つめる。


「使う時は、こっちのフタを使います」

 マリアがカバンからコルク栓を取り出すと、二人はきょとんと首を傾げた。

「穴が開いてるけど」

「これは、どうやって使うんだい?」

 コルクの中心に開けられた穴が気になるらしい。マリアはよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに、カバンから次なる道具を取り出した。


「これを、コルクの穴に差し込んでください」

 マリアが取り出したのは細いスティックの束で、ミュシャは、なるほど、とうなずいた。ルームフレグランスを見たことがないミュシャの父親だけがまだ不思議そうな表情である。

「スティックが、香りを吸ってくれるってことだね」

「そうなの。スティックの量で芳香(ほうこう)の強さも変わるから、調整も簡単だし、これなら、もし倒しちゃっても中の液体がこぼれにくいから」


 洋服や靴を扱っている以上、液体が商品にかかるなんてことはもってのほか。何かあって瓶を倒してしまっても、空いた穴が小さければその分リスクも減る。

「ははぁ……なるほど。すごいな。いや、さすがは王女様の専属の調香師さんだ」

 ミュシャの父親はマリアの細やかな気遣(きづか)いに感心したように、(あご)に生えたひげを()でた。ミュシャと同じオリーブ色の瞳が、真剣に瓶やコルク栓、スティックへと移る。


 ミュシャの父親は、それらをひとしきり見つめた後、

「ま、物は試しだな」

 とゴールドのリボンがついた瓶を手に取った。

「ちょっと! 僕が頼んだものなんだけど」

「細かいことは良いじゃないか。どうせそのうち、使うものなんだし」

 ミュシャの冷たい視線を、父親は軽くあしらって、そのフタを開ける。情緒(じょうちょ)も何もあったものではないが、父親を真剣に(とが)めることが出来ないのは、ミュシャもそれだけ早く香りを確認したかったからだろう。


 フタをあけた瞬間、ツンと鼻をさすようなアルコール臭が広がる。だが、それもほんの一瞬で、そのあとには爽やかなアップルとパセリの緑の香りがマリア達を包んだ。

「おお、これはいい」

 ミュシャよりも先に、ミュシャの父親が目を細める。今度はミュシャのお(とが)めもない。隣でミュシャも同じようにうっとりと瞳を閉じて、その香りに(ひた)っているからだ。


 シダーウッドの苦みと重たい甘みがゆったりと三人を包み込む。ルームフレグランスなので、少しいつもより濃い香りだが、それすら気にならない気品がある。

「スティックをさせば、もう少し香りも柔らかくなるので、より使いやすいかと」

 マリアがつけ足せば、ミュシャも満足そうにうなずいた。

「分かった。これは買うよ」

「ありがとう!」

 ミュシャの言葉にマリアがパッと目を輝かせると、ミュシャも小さく笑みを浮かべた。


「次も試して良い?」

 次こそは父に先を()されぬように、とミュシャが声を上げる。先ほどの瓶にフタをして、マリアがうなずくと、ミュシャはオレンジのリボンがかかった瓶を手に取った。

「これは、中の液体も琥珀(こはく)色なんだね」

「きっと、ミュシャが好きな香りだと思うんだけど」

 マリアの言葉に、ミュシャの期待感も自然と高まる。次はどんな香りだろうか、と(はず)鼓動(こどう)を落ち着けて、ゆっくりとフタを開けた。


 ダージリンだ。ミュシャは目を見開く。温かな茶葉の香り、落ち着いたベルガモットの上品さ。液体の琥珀(こはく)色が相まって、穏やかな夕暮れ、黄昏(たそがれ)の美しさを思い出させる。華やかだが大人っぽい雰囲気があいまって、まさしく女性の憧れのティータイムである。

「すごいね……。これは、本当に、僕の好きな香りだ」

 マリアの実家で過ごした、みんなでテーブルを囲んでお茶を飲み、お菓子を食べる温かな時間。マリアと二人、カフェで過ごした少し特別な時間。

 そういう、何気ない大切なひと時が、ミュシャの胸を締め付ける。


 時間が経つと、その香りが次第に土っぽい湿った香りと、スモーキーな甘さに代わり、夜の訪れを告げるようだ。

「うん、これも気に入った。女の人も、好きそうな香りだし。何より、僕が好き」

 ミュシャは、これも買います、とマリアに微笑みかける。


 最後の青い瓶を手に取ったのはマリアで、ミュシャとミュシャの父親の二人をそれぞれゆっくりと眺めてから、

「これは、お二人のお店に来てくださるお客様のために」

 と笑みを浮かべた。この二人の店にくるお客様は、きっと洗練されたミュシャ達の商品が好きでやってくるのだ。もちろん、マリアもそのうちの一人。だからこそ、そんな人々が好む香りを想像するのは難しくなかった。


 マリアがゆっくりとフタを開けると、あたりを清潔感のある、石鹸(せっけん)のような優しい甘さがふわりと(ただよ)う。鼻をくすぐるのは軽やかで自然なグレープフルーツの瑞々(みずみず)しい苦みと酸味。それをフローラル調の香りが包み込み、さらにはトンカビーンズが気品のある甘さへと香りを変化させる。

 清潔感があって、上品で繊細、華奢(きゃしゃ)で女性らしい香り。ミュシャが作り出す洋服のように、その女性の魅力を内側から引き出すような。


 ミュシャも、ミュシャの父親も、その香りには口をつぐむしかなかった。

 二人は、愛する人のために、今まで何作もの素晴らしい商品を作り上げてきたのだ。それが結果的に、たくさんの女性客に愛されるようになっただけのこと。もちろん、慢心(まんしん)も、謙遜(けんそん)もしていないし、真面目に向き合ってきたつもりだ。

 だが、二人は、自分たちが作ってきたものが、どれほどその女性たちを喜ばせることが出来ていたのか、初めて分かったような気がした。


(まさか、それをマリアの香りで実感することになるなんて)

 ミュシャはその柔らかな香りに包まれながら、目の前の女性を見つめる。ミュシャには、自分の作った服で、より一層そんな彼女を輝かせたいという思いがあったが、それがかなっていたかどうかは、いまだに分からずにいたのだ。

 初めて出会ったときから、マリアは魅力的だったから。


「ミュシャのお父様の靴や……ミュシャのお洋服で、私はいつも少しだけ自分が素敵な女の子になれる気がするの」

 マリアは美しく微笑む。

「とってもかわいくて、おしゃれで、綺麗で、素敵な自分になれる気がしてるんだよ」

 マリアの言葉に、ミュシャは目を見開く。

「そんなことを言われたら、これも買うしかないじゃん」

 ミュシャがポツリと呟けば、マリアはいたずらっ子のように笑った。


 ミュシャの父親もまた、亡き妻に思いを()せずにはいられなかった。

 自分の靴を()きこなして、いつも美しく笑っていた女性。息子と同じグレーがかった髪を揺らして、階段のステップを踊るように()け上がる彼女の後姿を、眺めているのが好きだった。

「良い、香りだな」

 その言葉に、マリアとミュシャが柔らかく微笑んだ。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回は、ようやくミュシャに、依頼されていた香りをお披露目することが出来ました*

187話でご紹介した香りに加え、新たな香りもお楽しみいただけましたでしょうか?

詳細を活動報告に少し記載しております、ご興味ありましたらぜひそちらものぞいてみてください♪


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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回の話はまた良かったですね。職人として色々な女性を着飾って着た彼らが、ようやく本当の意味で自分達の仕事の成果を知る。女性たちの美しさの輪郭を匂いで悟らせる。たった一話でさまざまな思いがつ…
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