ミュシャの店
東都よりも少し手前、ソティの故郷である村を越えた先の駅で鉄道を降りる。冷たい北風がマリアの髪を揺らし、ふわりと透明感のある石鹸のような香りが辺りに漂った。
「マリア」
名前を呼ばれたマリアが顔を上げると、ワインレッドのコートを羽織ったミュシャが帽子を片手に持ち上げた。
「ミュシャ! 迎えに来てくれたのね、ありがとう」
大した距離じゃないしね、とミュシャは首を横に振った。
「それより、香りの方は順調なの?」
「ふふ、それはついてからのお楽しみだよ」
マリアが微笑むと、ミュシャもふっと笑みを浮かべた。
「お父様はお元気?」
「うん。おかげさまで。僕もこき使われてばっかり」
はぁ、とミュシャはため息をつくが、その表情は柔らかく、本心ではやはり父親とともに過ごせる時間が楽しいのだろう、とマリアは思う。
ミュシャの実家のあたりへ来るのも、もうずいぶんと久しぶりだ。こじゃれたブティックが多い町で、古い建物もどこかおしゃれに改装されていたりとアーティスティックな光景が楽しい。レトロな看板、小さな扉、花壇に添えられた不思議なオブジェ。遊び心の詰まった町である。
「この辺りは、いつ来ても本当におしゃれね」
軒先で風景画を描いている老人も、犬を連れて散歩をさせている女性も、テラスで本を読む青年も。みんな、どこかおしゃれな雰囲気だ。
アイラの実家があるレンガ造りの町もおしゃれだが、ここはそれとはまた少し系統も違う。町全体に高低差があり、階段だらけなところも、より一層雰囲気を際立たせているような気がする。
「この坂がきついけどね」
ミュシャはげんなりとした表情で階段を登っていく。ミュシャの家は駅よりも高い位置にあり、店はさらにそこよりも高い場所にあるのだそうだ。
ミュシャの実家を通り過ぎて、マリア達はさらに階段を登る。
「いい運動になりそう。ケイさんとか、訓練にいいんじゃないかしら」
「なんでそこで、そいつの名前が出てくるわけ」
マリアの独り言に、ミュシャがむっとした様子で反応する。マリアは、何かとケイを気にしているようで、一度振られたとはいえ、ミュシャにはそれが気に入らないのだ。
「な、なんでって……! パルフ・メリエに来るのも、良い訓練になるって、以前おっしゃっていたから……」
ミュシャが動揺するマリアをちらりと見つめれば、マリアはふいと顔を背けた。
「ま、でも、平気な人は平気なんだろうね。リンネとか」
ミュシャが話を流そうとうった相槌に、マリアが「え」と声を上げる。
「リンネちゃん、来たことあるの?」
「独立するって話をしたら、見に行きたいって……それで、この間」
いつの間にそんなに仲良くなっていたのだろう。ミュシャも話終えてから何を察したのか
「別に! よく僕の服を買いに来てくれるから、たまたまそういう話になっただけだよ! それに、その時はまだ工事も始まったばっかりで、店は見せてないし」
なぜか取り繕うように語気を強めたミュシャに、マリアは思わずにんまりとした笑みを浮かべる。あのミュシャが、マリア以外の異性と二人で出かけるだなんて。
「ふふ、それじゃぁ今度来るときは、リンネちゃんも誘っていい?」
「別に、好きにすれば……?」
マリアがクスクスと笑えば、それ以上は何を言っても墓穴を掘ると思ったのか、ミュシャもすっかり黙り込んでしまった。
階段を登り切り、少し歩いたところでミュシャは足を止めた。ちょうど工事中の看板が立っている場所の奥から、見覚えのある男が出てきて、マリア達へと視線を向けた。
「おう、おかえり」
「ただいま」
「おじさん、こんにちは」
「あぁ、マリアちゃん! 久しぶりだね、ずいぶんきれいになったな」
見違えたよ、とミュシャの父はひげの生えた顎に手を当てた。
「エロおやじ」
ぼそりと呟いたミュシャの声に、父親は声を上げて笑う。
「ミュシャもそのうちこうなるさ」
「はいはい」
ミュシャは軽く父親をあしらって、店の扉を開けた。ギィ、と蝶番の音がして、建物の歴史を感じさせる。
どうやら、古い建物を改装したらしい。塗りなおされたペンキと、これから塗りなおされるであろう壁のコントラストがちぐはぐでなんだか面白かった。
グレイッシュグリーンの壁に、チェスナットの扉が目を引く外観。看板がこれから取り付けられるのか、扉の上には、美しい植物の木枠が設置されている。
「あら?」
見覚えのあるその木枠にマリアが首をかしげると、ミュシャが、
「あぁ」
とうなずいた。
「あれ、いいでしょう? 探してもらったんだ。有名な建築家の木枠で、ちょうど取り壊す家があるっていうから、そこの窓枠を譲ってもらって」
「え、えぇ」
マリアがうなずくと、ミュシャは満足そうに店の外観を眺めて、
「さ、中も見てよ。まだ完璧じゃないけどね」
と扉を押し開けた。
中は、壁を塗りなおしたのかミルキーホワイトの壁が明るい、広々とした空間だった。これなら商品もたくさん並べられそうである。ショーウィンドウと、奥につけられた窓の両側から光が差し込んでいる。天井には可愛らしいシャンデリアが取り付けられてはいるが、陽の差す時間には必要なさそうだ。
「素敵ね」
「もともとあった壁を取っ払ってもらったんだ」
ミュシャは
「その方が、解放感があるでしょ?」
と店の中央でマリアへ視線を向ける。確かに、余計な柱やでっぱりもなく、広々として見える。
「マリアちゃん、工房も見てみる?」
後ろから、ミュシャの父親に声をかけられる。マリアがうなずけば、ミュシャも嬉しそうにマリアを案内する。
「奥から、工房につながってるんだ。工房の方は、父さんがもともと店として使ってたから、あんまり改装はしてないんだけど」
店の奥の扉を開けると、大きな机と椅子が部屋の対角に設置されており、ずらりと材料が入った棚が壁際にそれぞれ並んでいた。
「こっちは、もう家具もいれたのね?」
「うん。工事もほとんどしなくて済んだから、先に必要な材料をいれたんだ」
「ま、もともとここで仕事してたしなぁ」
マリアの疑問に、ミュシャとミュシャの父がそろって答える。さすがは親子。息がぴったりだ。マリアがクスクスと笑えば、二人は少し照れくさそうにはにかんだ。
「どうかな? この空間を彩る香りは作れそう?」
ミュシャの質問に、マリアはにっこりと笑みを浮かべる。
「ふふ、もうばっちり。イメージ通りだったわ」
だてに何年も一緒に過ごしてきていない。マリアは早速カバンをあけて、ミュシャとミュシャの父親の前に、作ってきた香りを並べた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
本日は、43,000PV&8,900ユニーク達成です~!
本当にほんとうに! ありがとうございます!
今回は、独立前のミュシャのお店にお邪魔しました* ミュシャパパも初登場ですね♪
気になる香りは次回をお楽しみに……!
少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!




