新しい香りを
パーキンやカントスとの会話が刺激となって、マリアの頭の中にはこれまでになかった新しいアイデアがふつふつと湧き上がってくるようだった。
ミュシャの店を見に行くまで後五日。その間に、とにかく一つでも多くの香りを作って、ミュシャに試してもらいたい。マリアは接客の合間をみては、新たなレシピを考えていた。
客足が途絶えたのはちょうどお昼に差し掛かろうか、というころだった。マリアはレシピを片手に階段を駆け上がる。今日のお昼ご飯は抜き。今は、少しでも長く調香の時間を作りたかった。
「よし!」
調香部屋の扉を閉め、マリアは腕まくりをする。気合十分だ。
マリアは手早く棚から精油瓶を取り、机の上へと並べていく。候補は三つ。まずは、その中で最もシンプルなものから。
ベルガモットに、グアヤクウッド、ムスク。
「ダージリンは、確か……」
先日、出張店舗をした際にいくらか作ったものが残っていたはず。マリアはごそごそと机の下から缶を取り出す。
あった、とマリアはその缶を机の上に置いて、早速調香を開始する。とはいっても、ダージリンは香りを取り出すところからなので、ダージリンの香りを作っている間に、残りのベルガモットやグアヤクウッドを調香していく。
ミュシャの好きな紅茶の香りをイメージした香りだ。ルームフレグランスとしては少し控えめな香りではあるが、その分品があって、自然と心があたたまる香りになるだろう。
まずはベースとなる香り。ムスクの甘くて深い香りに、グアヤクウッドの土っぽいような、少しスモーキーな香りが加わって、大人っぽく、ゴージャスな芳香が立ち込める。ルームフレグランスとしては、これだけでも十分すぎるくらいだ。
「もう少し、甘さは控えめに……」
マリアはグアヤクウッドの精油を追加で滴下して、香りを調整する。グアヤクウッドの量が増えるにつれ、香りは深みと湿り気を増して、どこか艶やかな雰囲気を纏う。
こんなものかしら、とマリアは手を止めて、続いての精油瓶に手を伸ばす。ベルガモットだ。フタを開けた瞬間から立ち込める爽やかな柑橘の香り。
「うん、いいかも」
マリアはそっとベルガモットを一滴。
瞬間、ふわりと甘さを包み込んで、ベルガモットの爽やかな気品ある香りが立ち込める。派手すぎるくらいのベースノートをしっかりとまとめ上げ、より洗練された香りへと磨きがかかる。
ガラスの中に、ロウソクがチラチラとゆれるような、あのなんとも言えない幻想的な美しさ。万華鏡のような、華やかで繊細、それでいて芯のある強さ。
まさに、ミュシャにぴったりである。
最後に、ダージリンを加えれば完成だが、こちらはまだ香りが抽出できていない。
「また、夜にでも再開するとして……次の香りを作らなくちゃ」
マリアは今作った香りを日の当たらないところへ移動させ、窓を開けて部屋を換気する。手早く片づけを済ませ、続いての精油瓶を再び机の上へ並べた。
次は、パーキンとカントスとの会話中にひらめいたものだ。
開花祭で、異性からプレゼントをもらうなら何がいいか、というちょっとした雑談中に、カントスが言ったのだ。
「私はやはり、食べ物だな。それに、酒がついているとなおのこと素晴らしいね!」
意外だったのは、パーキンで、確かに、と彼はその言葉に賛同したのだった。
「あと腐れもないし、こちらも、変に気を使わなくても良いだろうからな」
ウィスキーなら最高だ、とパーキンは笑った。
そんな二人の会話を聞いて、マリアも思いついたのだ。お酒をイメージした香りがあっても面白いのではないかと。そもそも、香水を作る際にはアルコールが欠かせない。ならば、それを逆手にとって、お酒の香りを作ることも出来るのでは、と考えたのだった。
ミュシャが好きなのは、シャンパンやスパークリングワインで、爽やかな香りが特徴である。大人っぽい繊細な香りが、お店の雰囲気とも合いそうだ。
「まずは、アップル、パセリ、それからクラリセージね」
爽やかさを演出するのがアップルとパセリ。お酒の雰囲気を出すために、クラリセージだ。
「マスカットワインの香りづけに使われることがあるって、パーキンさんがおっしゃっていたけど……確かに、言われてみればそんな気がするわ」
マリアは、パーキンから教えてもらった情報をもとに、そのレシピを考案したのだ。もちろん、うまくいけば、パーキンとカントスにプレゼントする約束である。
「アップルとパセリの香りがすっごく爽やかで、良い香り」
マリアはうっとりと目を細め、クラリセージと合わせて香る、甘酸っぱくフレッシュな香りを楽しむ。アップルのすっきりとした甘さと、クラリセージのほんのりとした苦みが、よりアルコールの雰囲気を醸し出している。
「でも、これだと少し軽すぎるかしら……」
ルームフレグランスにしては香りの広がりが弱いのだ。
マリアは精油瓶がずらりと並べられた棚を見回して、うぅん、と首をひねる。加えるなら、少し重めのベースノート。それも、できれば薬品に近いようなツンとする香りがあれば、よりアルコール臭を再現できそうである。
「そうなると……」
マリアはいくつかの精油瓶を取って、香りを確認していく。
「これかしら」
いくつか試したマリアは、シダーウッドの精油瓶を握りしめた。ツンとした刺激臭が最初に鼻を抜け、そのあとはウッディのあたたかな香りと、重めの甘さがとろりと香る。
試しに少し追加してみよう、とマリアは先ほどまでの瓶にそれをぽたり、と慎重に加える。
アップルやパセリの香りがかき消されてしまうかもしれない。そう思ったが、量を調整すれば、むしろよりすっきりとした甘さが引き立つ仕上がりになった。
「すごい……! この香りなら、ミュシャにも喜んでもらえるかも」
マリアは自ら作った香りに、思わず口をおさえる。思いつきで作ったお酒の香りだが、気品あふれる爽やかな香りだ。
アップルの軽やかな甘みと、パセリのすっきりとしたハーブ調の香り、そこへクラリセージの苦みが、まさしくシャンパンの一口目を表している。後に続くシダーウッドの薬品くささとしっとりとした甘さが、喉元を通り過ぎるアルコールのように絡みついた。
こうして、マリアが二つ目の香りを作り終えたころ、あたりはすっかり日も落ちて暗くなっていた。結局、お昼からは来客もなく、久しぶりにじっくりと調香することが出来たのだ。マリアは慌てて店じまいをして、玄関のカギを閉める。
こんな調子では、泥棒に入られても気づかないに違いない。もっとも、この森の奥深くに泥棒へ入ろうという人間などいないのだが。
ちょうどきりもいい。夕食と風呂に入って、一つ目の紅茶の香りも完成させよう。マリアは大きく伸びをする。
「ミュシャ、気に入ってくれるといいけど……」
マリアがミュシャを良く知っているように、ミュシャもまた、マリアを良く知っているのである。きっと、いつも通りの香りを作っただけでは、ミュシャを本当に満足させることは難しい。
どうせなら、ミュシャをあっと驚かせるような、そういう香りを贈りたい。
(今までのままじゃダメだわ。私も、もっともっと、たくさんの新しい香りを作らなくっちゃ)
ミュシャが新たな門出に立ったように、無意識ではあるが、マリアもまた、自分自身の殻を破り、新たなステージに立とうとしていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
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皆様、本当にありがとうございます♪
今回は、マリアが今までにない新しい香りに挑戦しました!
お楽しみいただけましたか? ほかにどんな香りを作るのか、今後もお楽しみに*
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