ミュシャの依頼
陽祝いの期間も終わり、存分に休みをとったマリアは、久しぶりにパルフ・メリエをオープンさせた。
二日前には店に戻って、一通りの掃除や庭の手入れはすませている。パルフ・メリエも心なしか綺麗に見える。新たな気持ちで、パルフ・メリエの営業も再開だ。
「今年の第一号のお客様は誰かしら」
マリアは楽しみだわ、と目を細めて、商品を棚に陳列しながらその時を待った。
店の扉が開いたのは、昼過ぎである。
「マリア。あけましておめでとう」
新年のお祝いの言葉とともに姿を見せたのはミュシャで、マリアの顔もパッと明るくなった。
「ミュシャ! あけましておめでとうございます!」
マリアが満面の笑みで笑顔を向けると、ミュシャも小さく微笑んだ。
「プレゼント、ありがとう! 温かくなったら、絶対に着るね」
「うん。僕の店が開店する日に着て来て。いい宣伝になるから」
ミュシャはクスリとほほ笑んで、それから、と付け加えた。
「今日は、仕事の依頼で来たんだ」
ミュシャは店の奥に備え付けられた椅子に腰かけると、真剣な顔つきでマリアを見つめた。
その瞳は、普段、ミュシャの目の前にある布や、針や、糸や、そしてミシンに向けられているものと同じ。
今日は、友人としてではなく、ビジネスパートナーとして、マリアの前に立っている。マリアもまた、調香師としてミュシャのオリーブの瞳を見つめ返した。
「お客様のお話を、まずはお伺いします」
マリアも美しくお辞儀して、ペンと紙を机の上に置いた。
チョコレートミルクティーを差し出して、マリアも、ミュシャの前に腰かける。
「どういったご用件でしょうか」
「ルームフレグランスを。僕の店舗に置くためのもので、上品なものが欲しいんだ」
ミュシャの言葉をマリアは丁寧にメモしていく。
「ターゲットは、二十代から三十代の女性。清潔感があって、それくらいの女性が好きそうな香りにしてほしい」
マリアはいくつか商品棚に並べていたルームフレグランスを手に取って、ミュシャの前に並べていく。
「この中で、一番イメージに近いと思われるものはありますか?」
シトラス系、フローラル系、グリーン系。上品で、女性が好きそうな香りをピックアップする。バルサム系やスパイシー系は、ミュシャのイメージにはそぐわないだろう。
ミュシャはそれらを手に取って、香りを確認していく。
「フローラル系か、グリーン系かな。シトラス系も良いけど、店の雰囲気には合わないかも」
ミュシャはそういうと、マリアの方に視線を向けた。
「一度、店を見に来てよ。内装も、もうすぐ完成するし」
確か、二月には店が完成して、三月には服や家具を入れる予定だと言っていたはずだ。どうやら工事は少し前倒しで進んでいるらしい。
「それじゃぁ、ご都合の良い日に」
「再来週の木曜日は?」
「分かりました」
マリアがうなずくと、ミュシャも満足そうにうなずいた。
チョコレートミルクティーを飲み終えて、ミュシャがふっと笑みをこぼす。
「マリアと仕事なんて、夢にも思わなかったよ」
柔らかな笑みは、いつもの友人の顔で、仕事の話は終わり、ということだろう。
「ふふ、本当に」
マリアもつられてクスクスと肩を揺らす。今思えば、こんなにも長い間一緒にいて、ミュシャと仕事をしたことがない、というのもなんだか不思議な気持ちだ。お互いによく知っている相手のはずなのに、仕事のことだけは良く知らないのだから。
「マリアの調香の腕は、僕が一番良く知ってるし、信頼もしてるんだ。だから、その分、僕の採点は厳しいよ」
「ふふ。ミュシャの好みならばっちりだもん。大丈夫よ、絶対にびっくりさせるくらいの香りを作ってみせるから!」
珍しくマリアが自信満々に言えば、ミュシャは少し驚いたような顔をした。
「どうしたの?」
「いや、マリアも、変わったんだなって思って」
ミュシャの口からついて出たその言葉は、以前、マリアがミュシャに対して思ったことと同じだった。お互いのことは一番によくわかっている相手だったはずなのに、いつごろからだろうか。知らない一面もあったのだと、いや、少し会わない間にお互いに成長したのだと、感じるようになった。それは、決して居心地の悪いものではなくて、自然とそうなるものなのだろう、と互いに受け入れているのだが。
「王宮画家の絵に、薔薇姫のサインまで飾っちゃって」
ミュシャは、パルフ・メリエの壁に飾られたそれらを指さして笑う。マリアとしては自慢したいわけではなく、いただきものを飾らないわけにはいかないと、店の一角を借りているような気持ちなのだが、確かにミュシャの言うようにもとれるだろう。
「ふふ、おかげさまで。多くの方からご愛顧いただいております」
マリアが冗談めかして言えば、
「そのうち、僕のサインもここに並べてよね」
とミュシャも笑った。
ミュシャとは長く一緒にいるせいで感覚がマヒしてしまっているが、よくよく考えれば、ミュシャこそ今を時めくデザイナーである。リンネのような大ファンはいるし、街のほうへ出ればミュシャがデザインした服を着ている女性はいくらでも見かけるのだ。
手の届かない存在、というとなんだかピンとは来ないが、いずれそういう日が来るのだろう。気軽に、ミュシャ、と呼べなくなってしまう日が。
「ちょっと、勝手に感慨にふけらないでよ」
ミュシャの顔がむくれて、マリアは、ごめんごめん、と笑みを作る。
「僕の店にも、マリアのサインは並べるんだから」
「へ?!」
ミュシャの言葉に、マリアはすっとんきょうな声を上げた。
「今をときめく、調香師様でしょ」
この香りも、僕の店のために作ってもらったんだって宣伝するよ、とミュシャは続けるが、マリアは全くそんなつもりなどなかったわけで。
「サインなんか、考えたこともないよ!」
大慌てで首をブンブンと横に振ると、ミュシャは大まじめな顔でマリアを見つめた。
「マリア、もしかして知らないの?」
「え?」
「マリア、今、女性の憧れだって、結構有名なんだよ」
「えぇ?!」
「ま、僕の聞く話だけど。とにかく、そんなわけで、僕のお店の人気は半分マリアにもかかってるんだから、しっかり仕事してよね」
ミュシャはそういうと、珍しく子供のようなにんまりとした笑みを浮かべて席を立った。マリアは全く予期していなかった展開に目をパチパチさせるだけで、我にかえったときにはもう、ミュシャは帰り支度をしていた。
「それじゃぁ、またね」
ミュシャはひらりと手を振る。
「あ、ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております!」
脊髄反射のように慌ててマリアは頭を下げたが、その実、ミュシャからの衝撃の一言に、いまだ放心状態であった。
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さて、今回から新章、ミュシャの独立編がスタートです。
早速、ミュシャからのお仕事依頼ですが……厳しい採点をマリアがクリアできるのかどうか、ぜひぜひお楽しみに♪
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