トーレスと迷子
トーレスもまた、ケイの反応にあんぐりと口を開けた。
「いや、クレプス・コーロを知らないってあんた……」
「こういう大衆演劇のようなものは、今まで一度も見たことがない」
「見たことなくても、名前くらい……。さすがに俺でも、西の国で見ましたよ」
王族はそういうものに招待されることも多いのだという。一応公の場だから、と家族も世間体を気にしてトーレスを連れて行ったのだそうだ。
「俺が見たときは、まだ、薔薇姫なんていなかったんですけどね。ここ数年で、この姫様のおかげでクレプス・コーロはさらに有名になりましたよ」
「そうなのか」
「で、今回は満を持して、そんな薔薇姫をモチーフにした物語を、この国で初公演ってわけ」
通りで、あの女性を見たことがある、と思ったわけだ。国中のあちらこちらに貼られたポスターは、興味がなくても目についてしまうものである。
「さすがに隊長、クレプス・コーロも知らないのはまずいんじゃないですか」
トーレスの半ば呆れたような瞳に、ケイはぐ、と言葉を漏らした。
「なんだ、兄ちゃんたち、クレプス・コーロに興味があるのか?」
話を聞いていたのか、デザートを持って来た店長が二人の話に割って入る。今日のデザートは、以前、マリアと食べたオレンジのパウンドケーキだった。あれから改良を重ねたのか、レーズンとクルミも中に入っている。
「ついさっき、街の広場の方で、チケットの売り出しが始まったぞ」
店長の言葉に、へぇ、とケイとトーレスは顔を見合わせる。
「行ってみます?」
「はぁ?」
「誤解しないでくださいよ。俺は、隊長のためを思って言ってるんです」
誰が好きこのんでゴツイ男と並ぶか、とトーレスは怪訝そうに言った。
「マリアも、きっとクレプス・コーロのことは知ってるでしょうし、仮に興味がなくても、こういうのは嫌いじゃないはず。仲直りにでもなるんじゃないですか」
本人にそのつもりはないが、トーレスの考え方は、こういう時、ある意味、非常にスマートで、合理的だ、とケイは思う。
結局、ケイはなぜかトーレスと街の広場へ向かうことになった。いつも以上に人でごった返しているのは、間違いなく、クレプス・コーロのチケット販売のせいだろう。途中、混乱を避けるためか、仕事に従事している同僚たちにも出くわし、ケイとトーレスはそれぞれ挨拶をしたりもした。
「想像以上にすごい人だな……」
チケットの販売はすでに始まっているはずだが、人がはける様子はない。長蛇の列に、トーレスの言葉遣いもつい戻ってしまう。
「俺、やっぱり帰ってもいいか? ありえねぇ」
「トーレス、お前が言い出したんだ。今更後戻り出来るか」
ケイにぴしゃりと言われ、トーレスは盛大なため息を吐いた。
待つ、ということを知らないで育ったトーレスが、待機列に対して早々に嫌気がさしたのも無理はない。
「まだ並ぶのか」
トゲトゲとしたものの言い方にも、ケイは無言で視線を送るだけだ。無言は肯定の意味。トーレスは「えぇ」と思わず不満を漏らす。
「じゃ、せめて飲み物とか買ってきても?」
「分かった。これで、俺の分も買ってきてくれ」
何としてでもこの列から離れたいのだろう。そのまま一人で行かせては戻ってこない可能性もある。高度な駆け引きに、ケイは咄嗟に自分の金を多めに渡し、戻って来いよ、と視線で念を押した。
金を受け取ったトーレスは内心でつい舌打ちをしてしまう。
(くそ……仲直りだなんて言わなきゃよかった)
ついつい、ケイをからかうのが面白くて調子に乗ってしまったのだ。自業自得とはいえ、やりきれない。
「ったく。手のかかる野郎だぜ」
本人に聞こえれば、トーレスの命がないことは明白。だが、人混みに紛れ、喧騒にかきけされたトーレスの声が、ケイに届くことはない。
ケイには怒られそうだが、少しでも時間を稼ごうと、わざと遠目のカフェを目指す。以前、シャルルに連れて行ってもらった城下町の方に、うまいコーヒーを出す店があったはずだ、とトーレスは角を曲がる。
「っ!」
トン、と軽い感触が足にぶつかり、トーレスは反射的に手を伸ばした。
「大丈夫か?!」
トーレスのヘーゼルアイに映ったのは、それはそれは大層美しいパープルの瞳。自らの瞳も珍しい色合いだが、その子の瞳はさらに見慣れないものだ。
「王子様?!」
紫色のローブを引きずった女の子が顔を真っ赤にして、汚れなどしらぬ純粋な瞳をトーレスに向けた。
ヴァイオレット、と名乗ったその女の子は、父親とはぐれたらしい。
(どうして俺が、子供の世話なんか……)
トーレスは心の中でぶつくさと文句を垂れるも、騎士団たるもの、困っている人を助けるのが役目だ、とこの数か月、口酸っぱく言われてきたものが頭をよぎる。
「おい、お前。乗れ」
ん、とトーレスが体を屈めると、ヴァイオレットはトーレスの肩に足をかけて座る。まさか、肩車などする日が来ようとは。トーレスは、ゆっくりと立ち上がる。
「たかぁい!」
ヴァイオレットは頭の上で無邪気な声をあげた。
これなら、ヴァイオレットからも父親が見えるだろうし、同じく、父親からもヴァイオレットが見えるはずである。
「どこではぐれた?」
「ヴァイオレットちゃんね、チケット売るの手伝ってたの! でも、おトイレ行ったら、場所がわかんなくなっちゃった!」
「チケット?」
「うん! クレプス・コーロ!」
「はぁ?」
トーレスは思わず声を上げた。
「遅かった、な……?」
戻ってきたトーレスの姿に、ケイは首を傾げた。なぜか、女の子を肩車している。
「王子様! この人はだぁれ?」
「おい、やめろ! この人は、俺の上司だ」
「じょーし?」
「仕事の偉い人ってこと! っていうか、見つかったのかよ?!」
「おとーさん、いなぁい」
随分と仲良くなったようだ。王子様、と呼ばれているのが気になるが。
「迷子か?」
「それ以外に何があるんだよ!」
ケイの質問に、トーレスが声を上げる。
「王子様、ってのは?」
「知らん!」
珍しくからかうような言い草のケイに、トーレスはさらに声を張り上げた。
「ヴァイオレット!!」
チケット売り場の長い列の向こうから、よく通る男の声が聞こえる。
「あ、お父さん!」
ヴァイオレットの声に、ケイとトーレスは同時にその視線を動かした。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
チケットに並ぶ男二人……と思いきや、トーレスに不思議な事件発生?! な回でした。(笑)
迷子なヴァイオレットがこの後ミラクルを起こすかも? 次回もお楽しみに♪
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