恋を知る
パルフ・メリエを訪れた久しぶりの客に、マリアは目を輝かせた。
「アイラさん!」
いつもはまとめている黒髪をおろし、深い緑のコートに身を包んでいた。オフホワイトのインナーは首元まできっちりとしめられていたが、メイクをし、アクセサリーを身に着けているアイラはあか抜けたように見える。
「お久しぶりです」
マリアが頭を下げると、アイラは柔らかな笑みを浮かべて相槌をうった。
「今日は、これからお出かけですか?」
「あら、わかる?」
「えぇ。なんとなく、ですけど」
幸せそうなアイラの横顔に、マリアは思わず口元が緩む。きっと今の相手の方とうまくいっているのだろう。
「おすすめってあるかしら?」
アイラに尋ねられ、マリアは、それなら、と声を上げた。
グィファンをイメージして作ったスパイスの香りだが、アイラにもぴったりだろう。結局、いくつか商品になるように小分けしたのだ。マリアはその香水瓶をアイラに手渡す。
「試してもいいの?」
「もちろんです」
アイラはフタを開け、そっとその香りを楽しむ。ツンと鼻に抜けるピリっとした香りが、気持ちを自然と高揚させる。
「あんまり甘くないのね。これくらいの方が、私も好きだわ」
アイラはその香りを気に入ったのか、お金を払うわ、とマリアに香水瓶を手渡した。
グィファンと同じ黒髪がたおやかに揺れる。大人っぽい雰囲気も、どことなく、グィファンに似ている。
会計を済ませるアイラを見つめながら、マリアはそんなことを思う。
「今日は、どちらへ?」
「彼と一緒に、クレプス・コーロのチケットを買いに行くのよ。夕方五時に、街の広場で売り出しが始まるらしいの」
クレプス・コーロの初演日まで、後一週間。どうやら、アイラも楽しみにしているらしい。
「すぐに売り切れちゃうらしいですね」
リンネから聞いた情報だ。マリアは香水を包む手を動かしたまま、アイラとの世間話を楽しむ。
「彼がもう張り切っちゃって。朝から並んでるみたい」
アイラはあきれた、と言いながらもどこか嬉しそうである。
「アイラさんは良かったんですか?」
「私はダメ。観劇は好きだけど、人が多いところは苦手だし」
アイラは首を軽く左右に振って苦笑した。
「だから、後から合流する約束なの。今頃、広場も人でいっぱいなんでしょうね」
「なるほど……」
想像しただけで、マリアも少しげんなりしてしまう。
ちらりと時計に目をやったアイラが、再び深いため息をつく。
「まだ、お昼前よ? ここから、戻っても、街の広場にはお昼過ぎでしょう? そこから数時間も待つなんてできるかしら」
「それは大変ですね」
マリアの相槌に、本当よ、とアイラは再びため息をついた。
「ラッピングは終わっちゃいましたけど……お茶でも飲んでいかれますか?」
マリアの気遣いに、アイラは首を振った。
「いいえ、大丈夫。ありがとう。彼も待ってるだろうから、私はそろそろお暇するわ」
なんだかんだ、アイラも早く彼に会いたいのだろう。にじみ出る幸せオーラが、マリアの心をほっこりと温めた。
「ふふ、それじゃぁお気をつけて」
「えぇ。ありがとう。チケット、もし買えたらマリアの分も買って送ってあげるわ」
「いえ! そんな!」
マリアの制止も聞かずに、アイラはコートの裾をはためかせてパルフ・メリエを去っていった。
リンネにも、チケットを買えたら、と言われているのに、これ以上もらってしまっては余らせてしまうだけだ。そもそも、マリアは今回グィファンのはからいで、特別席を用意してもらっているのだ。
「困ったわ……」
マリアは思わず独り言をこぼす。気をきかせてくれたアイラには悪いが、おひとり様一枚まで、と購入制限を設けてくれていないだろうか、などと考えてしまうのであった。
一人になった店内で、マリアは片づけを作りながら、ぼんやりとカレンダーを見つめる。一年が過ぎ去るのはあっという間で、毎年この時期になるたびに、もう一年が終わってしまうのか、とマリアは驚くばかりだ。
パルフ・メリエは星祀りの期間はほかの店同様に休みだ。実家へ戻って、よく来てくれているお客様への手紙を出したり、両親とのんびりと過ごすことが多い。
(ケイさんは、どうされるのかしら)
マリアの頭に、ケイの顔が不意によぎった。
騎士団は確か、星祀りの期間に関係なく働いていたはずである。さすがに交代勤務だとは思うが、他の人のように、ゆっくりと星祀りの期間中に休んでいる、ということはなかったように思う。
いくら治安が良くても、事件がないわけではない。長期休暇で多くの人が休みになるからこそ、小さな問題が多発したりしてしまうものだ。
「会いたいな」
ポツリと呟いた自らの言葉に、マリアはハッと顔を上げる。
(私、今……)
カッと顔に熱が集まっていき、マリアはブンブンと大きく首を振った。
あくまでも、一年間お世話になった人にお礼のあいさつへ行ったりするのが星祀りというもので、ケイにもお世話になっている以上は当たり前のことだ。マリアは誰に言うでもなく、自分自身に言い訳をして、ため息をつく。
「だめだわ。私、本当に……」
自覚すれば、恋というのは恐ろしいもので、まったくなんの脈絡もなく、突然すべてのことが手につかなくなってしまう。ホウキをはく手を止めて、マリアは声にならない声をあげた。
ケイのことを考えれば考えるほど、ドキドキと鼓動がうるさく音を立てていく。そして、考えまいとすればするほど、ちょっとしたケイとの思い出がよみがえる。
カラン、と来客の知らせに、顔を上げ、マリアは奇声を上げた。
「わ、悪い……。驚かせたか?」
今まさに考えていた意中の人物、ケイである。
「ど、どうしてケイさんがここに……」
「今日は、西の国境門の警備担当でな。ついでに、ディアーナ王女からの調香依頼を受けたものだから、寄ってきてくれと団長から頼まれて」
都合が悪かったか? と尋ねるケイに、マリアは大きく首を左右に振った。
ケイから受け取ったディアーナへの香水やバスオイルなどを袋へ詰めていく間も、なんとか意識しないように、とマリアはいつもよりもさらに真剣な手つきで仕事に励んだ。
「マリア」
ケイの声は、こんなにも優しく、穏やかだっただろうか。
「は、はい」
変な緊張のせいで裏返ってしまったマリアの声に、ケイは首をかしげた。
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本当にほんとうに、ありがとうございます。
久しぶりにアイラさんの登場でしたが、いかがでしたでしょうか。
マリアも恋を自覚し、ケイとの関係性も少しずつ進展しそうです。
クレプス・コーロの公演も間近に迫ってきて、目白押しです。ぜひぜひお楽しみに*
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