愛と幸せ
マリアが最高の歌と踊りを楽しんだその日、グィファンは再びマリアを食事に誘った。
「素敵な香りをありがとう!」
宿に戻るやいなや、グィファンがマリアを抱きしめる。グィファンの体から、ふわりとマリアの作った香水の穏やかなサンダルウッドの香りがする。滑らかで自然なハチミツの甘さが追いかけてきて、マリアを優しく包んだ。
同性とはいえ、相手はあの薔薇姫である。マリアの心臓がバクバクと音を立ててしまうのも無理はない。
「本当に、あなたに頼んでよかったわ。舞台も大成功間違いなしね」
グィファンのつるりとした黒色の瞳がキラキラと輝き、まるで夜空のようである。
「喜んでいただけて良かったです」
マリアが笑えば、グィファンはもう一度マリアをきつく抱きしめた。
グィファンは、シャンパンを取り出してグラスに注ぐと、マリアの前に差し出す。
「乾杯しましょ。アタシとあなたの出会いに」
ゴールドに輝く液体の中を、ゆっくりと透明な泡が昇っていく。パチパチと弾ける音が耳に心地よい。
すごい口説き文句だ、とマリアは思う。
「さ、グラスをもって」
グィファンは美しく微笑む。
マリアがグラスを持ち上げれば、チリン、と鈴の音のような、華やかな音が一つ響いた。
「ねぇ、どうしてこの香りを作ったの?」
グィファンは二杯目を飲み干したところで、マリアになまめかしい視線を送った。アルコールで熱を帯びた頬に朱がさして、グィファンをさらにあでやかに見せる。
「今までの調香師はみんな、アタシの見た目だったり、好きな香りだったり……そういう香りを作る人が多かったの」
グィファンはいたずらっ子のような笑みを見せて、空になったグラスにワインを注ぐ。
「花の香りが好きだといえば、それを作ってくれる人もいたし、木の香りが好きだと言えば、その香りを作ってくれた」
マリアも、はじめはそうだった。グィファンが好きだと言ったスパイシーな香りを作ったし、それがグィファンには似合っていると思った。自分の作った香りを、いい出来だ、とまで思ったのだ。
「試してるわけじゃないのよ。どの香りも素敵だったし、好きな香りだわ。でも、あなたみたいに、アタシの人生を知ったうえで、それを香りにした人はいなかった」
「私も、はじめはスパイシーな香りを作りました。グィファンさんにぴったりだと思って」
マリアが苦笑すると、グィファンは驚いたようにマリアを見つめる。
「そうだったの?! どうして、それを先に言わないのよ」
「本当は、初めて練習を見学した時にお渡ししようと思ってたんです。でも、通し稽古を見せていただいて、自分の作った香りじゃダメだって気づきました」
マリアの言葉に、グィファンはしばらく口をつぐむ。そして、三杯目を一気に飲み干してグラスを置くと、声を上げて笑った。
「あなた、相当変わってるわね!」
「へ?!」
「あぁ、おなか痛い。あなたって、ほんと、知れば知るほど魅力的だわ」
グィファンは目に浮かべた涙をぬぐい取り、はぁ、と大きく息を吐く。
「せっかく一生懸命作った香りを、渡しもせずに持って帰って作り直すなんて、信じられない! それも、今回の演目に合わせて、なんて!」
代金はどうするのよ、とグィファンが言えば、マリアはブンブンと首を振る。
「お金はいただけません! 私が、作り直したかったんです!」
マリアの言葉にグィファンは再び笑った。
「商売っ気のない人ね! アタシだったら、二倍でも三倍でも吹っ掛けちゃうわ」
マリアが驚いたような顔をすれば、グィファンは肩をすくめた。
「あなた、今度ヴァイオレットに、金運も占ってもらった方がいいわよ」
「そういえば……」
マリアは、ヴァイオレットの占いと言われて、運命の人の話を思い出す。ついでに、シャルルの告白と、ケイへの思いも。
「グィファンさんは、愛にはいろんな形があるっておっしゃってましたよね」
「何? 恋愛相談?」
「い、いえ……その……。私、恋愛のことってよく分からなくて……。そういうことを相談できるような方も、周りにはあまり」
リンネやアイラも、そういった間柄ではない。かといって、母親にするのもなんだか恥ずかしい。その点、グィファンはそういった色恋沙汰にはかなり詳しそうだし、フランクな雰囲気が相まってあと腐れもないのだ。
「ふふ、いいわよ。あなたのためなら、いくらでも」
グィファンはにっこりとほほ笑んで、マリアを見つめた。
「私が、ケイさんを好きだっていうのは……」
「ケイ?」
「以前、役場のところでお会いした男性です」
「あぁ。あの人ね」
マリアがおずおずと切り出すと、グィファンは真剣な瞳を窓の外に向けた。
「あの人の背中を見つめるあなたが、少しだけ切なそうだったから」
「え」
グィファンはエスパーか何かではなかろうか、とマリアは思う。
自分でも理由は分からないが、あの日、ケイがグィファンをじっと見つめていたことが、なぜだかマリアの胸を締め付け、寂しさを感じたのだ。
「アタシ、悪いことしちゃったって思ってたのよ」
「どうして、ですか?」
「ナンパ、だなんて。あの人、私に気なんかなかったわよ。一ミリも」
グィファンはちらりとマリアへ視線を送る。
「あなた、今、少し安心したでしょ」
グィファンの暗い瞳に、マリアは自分自身の姿を見る。
(やっぱり、グィファンさんはエスパーだわ)
グィファンなら、そういう能力の一つや二つ持っていてもおかしくはなさそうだ。
「あなたはいい子だから、きっと、自分のわがままにフタをしてるんだわ。ほかの人の幸せを優先して生きてる人はね、そうなるのよ。自分が本当に欲しいものが何か、分からないの」
グィファンはふっと口角を上げた。
「アタシも、昔はそうだった。父のために、家のために生きていくしか知らなくて。でも、彼を失って、国を捨てて、アタシは気づいたの。自分の幸せのために、わがままを言うことは、悪いことなんかじゃないわ」
グィファンは、白く細い指で、そっとマリアの髪をすくう。そのままその指はマリアの頬に触れ、やがて、耳をするりと撫でた。
「その人の時間を、その人の心を独り占めしたいって思うことが、愛よ。どんな形でもね」
調香師は時を売る仕事。
そんな調香師が、誰かの時間を欲しがるというのは、なんとも皮肉めいた話のように思えた。
だが、マリアはようやく自らの思いを自覚した、とでもいうように、顔を真っ赤にしてグィファンを見つめる。
「あなたは、調香師である前に、一人の女性よ。力強く、自由に生きていいの」
グィファンの笑みは美しく、眩い。
グィファンはマリアの首元に手を回して、そっとマリアを抱き寄せると、マリアの額にそっとキスを落とした。
「幸せになってね。アタシの可愛い調香師さん」
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
37,000PV&7,700ユニーク達成と、新たにブクマもいただきまして、本当に嬉しいこと尽くしの毎日です。
お手に取ってくださっている皆様に、感謝申し上げます! 本当にありがとうございます!
今回は、マリアの恋愛模様にも少し変化があったようです……!
グィファンはマリアにとっての恋愛指南の先生となりましたね。(笑)
ぜひぜひマリアの恋路がどうなるのかも、クレプス・コーロの公演とともに、お楽しみくださいませ。
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