歌舞、香り
暦の上では、いつしか冬になっていた。
コートを着込んだマリアは、町役場へと向かう。先週作ったグィファンの香りを納得がいくまで突き詰めた結果、完成が少し遅くなってしまった。
「はぁ……」
少しの緊張をほぐすように、マリアは冷えた手に息を吐きかけた。
町役場の大会議室前でもう一度深呼吸して、マリアはトントン、と扉をノックする。
「はぁい」
そっと開いた扉から、可愛らしい紫色が覗く。
「ヴァイオレットちゃん」
「お姉ちゃん!」
ヴァイオレットは、扉を開けて、ぴょんと無邪気にマリアへ抱き着いた。
「どうしたの?」
「グィファンさんに用事があって」
「グィファンはねぇ、練習中! 一緒に見る?」
「うん。それじゃぁ、お邪魔しようかな」
ヴァイオレットにぐいぐいとひっぱられ、マリアが中に入ると、会議室の中は冬とは思えないほどの熱気である。
「わ……」
マリアはその熱に、思わず声をあげた。
マリアが中に入ってきたことに気づいた者は一人もいない。それほどまでに、緊張と集中が支配している。音一つ立てるのも申し訳ないほどで、マリアはコートを脱ぐのすらためらわれた。
ゆっくりとヴァイオレットの隣に腰かけて、マリアは目の前で行われている練習を見つめる。
賊との戦闘を表現する激しい舞踊に、座長の声が飛ぶ。
「そこ! はやい! 一歩引いてから、ためを作って。次の動きは大きく。受ける方も、迷わないでひと振りして! もう一回」
「はい!!」
指摘を受けた団員は、すぐさま立ち位置に戻ると再び舞踊を始めた。
結局、休憩が入ったのは三十分が経過したころで、マリアはそのころすでに汗だくだった。蒸し暑い部屋の中でコートを着続けていたのだから仕方がないが、それ以上に、劇団員の面々は汗をかいている。ほとんど夏服と変わりないにも関わらず、だ。
「グィファンさん」
マリアがそっとグィファンに近づくと、グィファンはにっこりと笑みを浮かべた。
「来てたのね。気づかなったわ、ごめんなさい」
「大丈夫です! むしろ、突然お邪魔しちゃって」
「いいのよ。香りをもってきてくれたんでしょう?」
グィファンは、マリアが持っていた紙袋を指さすと、好奇心に満ちた目をマリアに向ける。
「とっても楽しみにしてたの」
「あまり期待されると、緊張しちゃいます」
マリアの困ったような顔に、グィファンはクスクスと笑った。
「グィファン! またいい匂い?」
マリアの後ろからひょこりとヴァイオレットが顔を出す。
「そうよ。それも、今回のは特別よ」
まだ香りを嗅いですらいないというのに、グィファンはヴァイオレットをあおる。
「特別?!」
ヴァイオレットの瞳がキラキラと輝き、マリアに突き刺さる。周囲にいた団員達も、何事かとわらわらと集まり、マリアの緊張はさらに高まった。
「あ、あのぅ……。あんまり見られると、その……」
「いいじゃない。減るもんじゃないし」
「お姉ちゃん、早く!」
グィファンに軽くあしらわれ、ヴァイオレットからはせかされて、マリアは覚悟を決める。
「わ、わかりました!」
紙袋から香水瓶を取り出すと、グィファンとヴァイオレットは声をそろえた。
「「綺麗!」」
香水瓶は、せっかくだから、と特別なものだ。以前、ソティに渡したものよりももっと繊細で、細かな金彩模様が入っている。バラのガーランドが角形の瓶を全周取り囲んでいて、カメオを縫い付けた朱のリボンがさらにそれを引き立てている。リボンは、ミュシャに頼んで作ってもらったもので、マリアもお気に入りだ。さらには、フタのダイヤモンドカットにも一輪のバラが咲き誇っていて、まさに、グィファンにぴったりである。
グィファンは中に入っている液体を軽く揺らして、その輝きを楽しんだ。
「ねぇ、今開けてみてもいいかしら?」
「もちろんです。気に入らなければ、また調香してきます」
マリアがうなずくと、グィファンは
「あなたって本当に、謙遜が好きね」
と肩をすくめた。
「じゃ、開けるわよ!」
グィファンの声に、ヴァイオレットはもちろん、周りの団員も心なしか楽しそうである。マリアの心臓はドキドキとうるさかった。
グィファンの指が、フタにふれ、ゆっくりと瓶から離れる。
「わぁっ……」
誰よりも最初に声をあげたのはヴァイオレットだった。
ベルガモットのフルーティーな香りがツン、と鼻を刺激する。熱気のこもっていた部屋に新しい風を吹き込むかのように、軽やかに広がっていく。
「あの日を思い出すわね」
グィファンはポツリと小さな声で呟いて、ふっと笑みを浮かべる。ロータスの瑞々しい香りがベルガモットの苦みと相まって、胸を締め付ける。朝露に濡れた花の香りと、どこかエキゾチックな香りが、余計にグィファンの心を生まれ故郷へ連れ去っていく。
さらに、追いかけるようにローズマリーとカモミールの鼻に抜ける爽やかな香りが、より香りを切なく、ドラマチックに彩る。
グィファンを哀愁から呼び覚ますのは、ローズとジンジャー。青々とした自然の中に、突如として開く一輪の真っ赤なバラが人を惹きつけるように、香りもまた同じだ。爽やかな緑の香りが、ローズの深い甘みとジンジャーのあたたかなスパイシーさを、グンと引き上げてくれる。
「ふふ、なんだか今なら、最高の歌と踊りを披露できそうだわ」
グィファンはそういうと、香水瓶を脇へ置き、くるりと体を翻した。瞬間、会議室には、ツンとハチミツの刺激的で、蠱惑的な香りが広がる。
グィファンの美しい歌声と踊り。人を誘惑するような視線に、ハチミツの香りはねっとりと絡みつく。
だが、それもグィファンが視線を外した瞬間に、サンダルウッドの穏やかで静かなウッディ調に変化してしまうから不思議だ。
(まるで夢でも見ているみたい)
マリアは、グィファンの歌と踊り、そしてそれに呼応するかのような香りに、うっとりと見入ってしまう。
外から差し込む光はグィファンを照らし、グィファンの周りの空気は輝いて見えた。
冬の寒さを忘れさせるような、そんなひと時だった。
グィファンは心の底から楽しんでいるようだった。
最後の音がグィファンの口から零れ落ち、グィファンの体がピタリと止まる。美しい黒髪が一束、はらりと空を舞うと、マリアも、そしてほかの人たちも、無意識のうちに手をたたいていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
マリアの香りをグィファンも気に入ってくれたようです!
そして、いよいよ公演も近づいてきました……!
香りの詳細は活動報告に記載しておりますので、ぜひよければそちらもご覧ください。
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