グィファンの過去
可愛い、とグィファンはマリアの頬をつつく。
「は、へ……ぇ……」
マリアの顔が赤く染まっていくのは、酒が回ったからではない。
「私が、ケイさんに、思いを……?」
マリアがポツリと呟くと、グィファンは「あら」と自らの口元を抑えた。
「まさか、気づいてなかったの?」
グィファンはあっけらかんと言い放つ。どうやら、グィファンはマリアとは真逆の……自分のことには敏く、他人の機敏には少々疎い性格らしい。
「そ、そういうのでは……!」
マリアがあわあわと否定すれば、グィファンはクスリと笑った。
「まぁ、いいわ。そのうち分かるわよ」
グィファンは簡単なつまみをいくつかテーブルに並べて、初手からすでに頭をパンクさせていそうなマリアを見つめる。
「ふふ。この話はおしまいにしましょうか。代わりに、アタシの話にしましょう」
グィファンは惣菜を一口放り込むと、ボトルから酒を注いだ。
「あなたのこと、とっても気に入ったわ。可愛くて、素敵な調香師様」
グィファンはいつもの妖艶な笑みではなく、にっこりと清々しい笑みを浮かべた。
「アタシのことを、薔薇姫と名付けたのは、今の座長なの」
グィファンはポツポツと話し始める。マリアはいつもの聞き上手な女性に戻って、グィファンの話に耳を傾けた。
「トゲのないバラはない。この国には、そういうことわざがあります」
「そうね。座長も言っていた。座長はもともと、このあたりの出身なの」
「そうだったんですか」
「それで、アタシにピッタリだと思ったんでしょうね。新しい名前をくれた」
グィファンの瞳は、少しだけ切なそうだった。
「アタシ、ここよりもっと東の国で、お姫様みたいに育てられたの。父が集落の地主で、小さいころからいろんなことを叩き込まれた。歌も、踊りも、その一つよ」
グィファンがグラスを揺らせば、カラン、と氷のぶつかる音がした。
「生まれつき、こういう見た目でね。小さいうちから、男性からの求婚は絶えなかった。父は、それを利用して、アタシをお偉いさま方のところに嫁がせたかったみたい。とにかく毎日、違う男がやってきた。でも、アタシにはどの男性も魅力的には映らなかった」
グィファンは、ふぅ、と息を吐き出す。ちらりとマリアに送られたどこかけだるげな瞳が色っぽかった。
「ある日、一人の男に恋をしたわ。理屈じゃないの。ただ、なんとなくそう思ったのよ。明確な理由はなくても、この人とずっと一緒にいたい、と思った」
グィファンは、でも、と言葉を切った。
「かなわなかった。アタシと彼が恋仲であることを知って……父は、彼を殺したの」
マリアが息を飲むと、グィファンはマリアの髪を優しく撫でた。
「それで、ずっと長い家出中。父を許せなくて。でも、それ以上に、力のない自分がみじめだった。生きるためには、力をつけなければ。男じゃなくても、女として、一人で生きていきたかったの。国を飛び出して、運よく拾ってもらったわ。それが、座長だった」
それから、グィファンは、歌と踊りの才を見出され、すぐに舞台へ立たされたという。
今のグィファンからはとても想像できなかった。
「お話は、女が一人で強くなって、そこに仲間が集まるようにしてもらったの。物語の中だけでも、女性だって、一人で生きていけるんだって、証明したかった」
理由や、その気持ちの強さは違えど、自分と同じように、一人でも強く生きたいと思っている女性を応援したい。グィファンはその一心だった。
「女性らしく、優雅で、繊細で、でも、弱くはなりたくないの」
グィファンは言葉を切って、柔らかな笑みを浮かべた。
「あなたがどんな香りを作ってくれるのか、とっても楽しみだわ」
マリアの心臓が、ドクン、と音を立てる。
「必ず、グィファンさんに一番似合う香りを、お作りします」
美しい黒曜石のような瞳を見据え、マリアはしっかりと口にする。
「約束よ」
グィファンの笑みはきらめいている。城下町の明かりがキラキラと窓の外に映って反射していた。
マリアの帰りの馬車の時間になり、グィファンとは宿の下で別れた。部屋でいいと言ったのに、グィファンはかたくなに譲らなかった。
「素敵なお酒をくれたお友達にもよろしくね」
グィファンは空になったボトルを片手に振って、マリアを見送る。
「お邪魔しました」
マリアが控えめに手をふると、グィファンは大きく手を振った。
帰りの馬車に揺られながら、マリアは、歌詞の意味を聞き忘れてしまったな、と思った。だが、グィファンの過去を聞いた今、歌詞の意味など分からなくても、どんな香りを作るべきか、マリアの目の前にはそれがはっきりと見えている。
「……グィファンさんに、一番似合う香りを、作らなくちゃ」
戻ったら、すぐにでも始めよう。
この間のような、スパイスの香りではない。本当の、グィファンという一人の女性を表すような香りを。
マリアのカバンの中には、結局、持って来た香水瓶はそのままだ。グィファンに渡さなくてよかった、とマリアは内心で安堵する。
マリアが、自ら作った香りを渡さなくてよかったなどと思うのは、初めてだ。
どんな香りでも、真摯に向き合って作っているという自負はある。作り上げた香りが、お客様を満足させるであろう、というプライドも。
それでも、今回の香りだけは、自分が浅はかだった、とマリアは思う。グィファンのうわべだけを吸い上げてしまった。
(随分、調香師として色々と出来るようになったと思っていたけど、まだまだね)
マリアは自分自身に叱咤し、馬車の外を眺めた。
調香部屋にこもったマリアは、グィファンの話をもとに、香りを組み立てていく。マリアが目の前に並べた精油瓶は、以前チョイスしたものとはかなり様変わりしている。それだけ、グィファンという女性のイメージが、マリアの中でガラリと変わったのだ。
普段あまり使うことのない精油瓶も並んでいる。
「さて、と……」
マリアは神経を集中させ、精油瓶のフタを開ける。グィファンの……そして、薔薇姫の物語を思い浮かべながら。
ベルガモットに、ロータスフラワー。そこへ、少しのローズマリー。
悲しい、愛の歌。彼を思い、そして、捨てた国を思うグィファンの祈り。自らへの悔しさ、明日への不安、後悔。そういうものを詰め込んだ、甘く、切なく胸を締め付ける香り。
ロータスの甘く漂うエキゾチックな香りが、グィファンの第一印象にもあっている。
ローズやジンジャーはそのままに、ミドルノートにはカモミールとジャスミンを足す。終盤に出てくる力強い踊りと歌は、おそらくグィファンが国を出た後、一人生きていくと強い覚悟を決めた時のものだろう。女性らしい華やかさと力強さをローズとジンジャーで表現し、少しの哀愁と輝きをカモミールとジャスミンが作り上げる。
最後に、サンダルウッドとハチミツ。ツンと香るハチミツの甘さと温かさが今のグィファンを表すのにぴったりだと思ったのだ。サンダルウッドは、スパイシーさとウッディな香りが程よくグィファン本来の大人っぽさを演出してくれるはず。
最後の喜びを表す曲に、無駄な香りや装飾は必要ない。グィファン自身が、輝いている。
マリアはそれらの香りを細かく分量調整し、フタを閉めた。
「グィファンさんの物語を、この香りにも……」
窓の外の薄明に、マリアはぼんやりとグィファンの過去へと思いを馳せた。
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いつも本当にありがとうございます♪
今回は、グィファンの過去と思い、そしてそれを受け取ったマリアの新たな調香と目白押しでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
マリアの香りはグィファンに気に入ってもらえるのか、ぜひ次回もお楽しみに*
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