桂花陳酒
白ワインに、キンモクセイを三年漬け込んだ酒は、桂花陳酒という東の国のお酒なのだそうだ。リンネが言うには、キンモクセイの花には、食欲を増進させたり、血液の巡りを良くしたりする効果があるらしい。
酒は、甘いがすっきりとした味わいで飲みやすい。
「キンモクセイの木を買ったときに、一緒に売ってもらったの。所長には内緒で」
リンネはいたずらっ子の笑みを浮かべた。
「ねぇ、リンネちゃん。このお酒、少しもらってもいい?」
「気に入った?」
「キンモクセイの香りをつけてるお客様と、この後お会いするの。良かったら、その方にも楽しんでいただきたくって」
「なるほど! そういうことなら、半分くらい持って行って!」
リンネはドン、とワインボトルを机の上において、シェフの出したボトルに移し替えた。
「ね、そういえばマリアちゃん! クレプス・コーロって知ってる?」
「え?」
「ほら、星祀りの間に公演があるって!」
「あ、う、うん。楽しみね」
まさか先ほどその練習を見てしまった、とも言えず、マリアは苦笑する。
「チケット、とれたら一緒に行かない?!」
「も、もちろん……」
リンネのキラキラとした瞳に負け、マリアは握られた手を曖昧に握り返した。
それから、リンネと近況やちょっとした世間話をして、マリアはガーデン・パレスを出る。片手には桂花陳酒をもって、何をしに来たのかまったくわからない。
「それじゃぁ、マリアちゃん! またね!」
「うん、リンネちゃんも元気でね!」
二人がガーデン・パレスの正門で別れるころには、すっかりあたりは暗くなっている。
陽が沈むのも、本当に早くなったな、とマリアは空を仰いだ。
グィファンとの約束の時間までは少し余裕があるが、マリアは町役場へ向かう。
城下町を抜けて、町役場が目の前に見えたころ。
「マリア?」
マリアは呼び止められ、振り返った。
「ケイさん?」
本当に驚くほど、ケイとはよく出会う。この国も、そんなに狭いわけではないのに。
「今日は、役場に用事か?」
「え、えぇ。少し……。ケイさんは、巡回中ですか?」
「あぁ。なんだか、よく会うな」
ケイはふっと笑みを浮かべる。マリアは、このケイの笑った顔がなんとなく好きだ、と思う。穏やかで優しい瞳が、ケイ本来の人柄を表しているようで。
「本当に」
マリアが微笑めば、ケイも、マリアの笑みが好きだ、と思わずにはいられなかった。
「ごめんなさい、待ったかしら」
役場の入り口の方から、艶のある声が聞こえる。
「グィファンさん」
マリアが顔をそちらへ向けると、宵闇を纏ったグィファンの赤が目を引いた。
「ごめんなさいね……ってあら。お邪魔だったかしら」
グィファンは、マリアの目の前に立っていたケイを見つめて、怪しげに微笑んだ。
ケイは、その妖艶な女性を思わず見つめてしまう。
美しくたなびく黒髪、目元と口元に映える朱。しなやかながら、豊満な体つき。ふわりと甘い花の香り。
「あら、情熱的な視線は嬉しいけれど。目の前の女性をないがしろにする男はモテないわよ」
綺麗な弧を描いた唇と、吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳。
「す、すまない。その……どこかで、見たような……」
「ナンパなら他所でやってちょうだい。私は、そんなに安くないわよ」
グィファンがぴしゃりと言い放つと、ケイは
「いや、そういう意味じゃ……悪かった」
と言葉を濁した。
ケイのそういう姿を初めて見た。マリアは自分の胸がツキン、と痛んだような気がして、思わず胸元に手を当てる。
「それじゃ、マリア。また」
ケイは小さく会釈して、そそくさと去っていく。マリアはその後ろ姿に少しの寂しさを感じながらも、ケイを見送った。
グィファンは、そんなマリアを見つめて、あら、と口元を抑えた。
(本当に、悪いことをしちゃったかしら)
グィファンはマリアの手を取って、
「さ、行きましょうか」
と話題を切り替えるように、足を進める。
「あなたと、もっとお話してみたくなったわ」
グィファンは美しくウィンクをマリアに投げかけた。
グィファンがマリアを連れて行ったのは、意外にもグィファンが今借りているという宿だった。宿、といってもマリアが普段借りるようなものではなく、城下町を一望できそうな、格式高いスウィートルームである。
「ふふ。ごめんなさいね、こんなところで。外だとあんまりゆっくりも出来なくって」
グィファンは言いながら、手早く髪を上げてまとめていく。
「い、いえ。こちらこそ、お邪魔してしまって」
マリアの声は、緊張で少し上ずってしまう。
「アタシが誘ったんだもの。そんなに緊張しなくていいわ」
グィファンのしなやかな指がマリアの顎に触れて、そっと去っていく。ちょっとした仕草が色っぽく、マリアは、その大人の色香についドキドキとしてしまう。
「ね、あなたが持ってきてくれたお酒、いただいてもいいかしら?」
グィファンは返事を聞くより先にボトルのフタを開け、瞳を輝かせた。
「桂花陳酒!」
やだ、まさかこの国で飲めるなんて思わなかった、とグィファンはマリアを抱きしめる。
「友人から先ほどいただいたんです。ちょうど、キンモクセイ……ダァンウィを知っている友人がいて」
「そう! この国では、キンモクセイというのね」
マリアの発音を真似して、グィファンは桂花陳酒をグラスに注ぐ。マリアの分のグラスも渡して、二人はどちらともなくグラスを重ねた。
「さっきの……彼は、あなたに告白をした方?」
「え?!」
マリアが驚いたようにグィファンの方を見つめると、グィファンはふっと口角を持ち上げる。
「あら、違った?」
「あの方は、そういうんじゃ……!」
「そう。てっきり、あの方のことを好きなのかと」
「ふぇ?!」
マリアは思わず、口の中で楽しんでいた酒をゴクンと飲み干した。
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お手に取ってくださり、本当にほんとうにありがとうございます!
今回は、金木犀のお酒をメインに、あのケイがまさかのグィファンに……!? な展開でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
桂花陳酒については、活動報告にも少し記載しています。良ければそちらもぜひのぞいてみてください♪
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