キンモクセイ
リンネがようやく足を止めたのは、不思議な庭園の入り口だった。庭園、というには木々が多く生い茂っているし、足元は砂利が敷き詰められている。噴水ではなく、池があり、その水面はロータスと思わしき葉で覆われていた。
「ここは……?」
ゆっくりと息を整えながら、マリアは目の前に広がるなんとも言えない庭を見つめた。鑑賞するには、地味すぎる。それなのに、周囲の見慣れた景色からはかなり浮いている。
「私専用の庭をもらったの!」
リンネはドン、と胸をたたいた。
「え!?」
マリアが目を丸くすると、リンネは嬉しそうにその庭の中を歩きだす。
「漢方の研究が、ちょっとずつ認められてね。それで、所長が」
マリアが素直に感心すれば、リンネは可愛らしくはにかんだ。
砂利道を踏めば、石と石のこすれる音が心地よく響く。あまり見慣れない木も、マリアの興味をくすぐる。観賞用ではなく、研究用の庭だ、と考えれば、全て納得だ。どこか雑然とした雰囲気もリンネらしい。
「どう?」
「面白い植物がたくさんあるのね」
「そうでしょう! 東の国からいっぱい仕入れてもらったんだ~」
雑草のように見えても、ここではきちんと意味がある。マリアは生えている植物をどれもしげしげと見つめた。
「それでね、マリアちゃんからお願いされてたダァンウィなんだけど」
リンネはちょいちょい、とマリアを手招きした。呼ばれるがままに、マリアがリンネの方へ駆け寄ると、そこには青々とした低木が植わっている。
「これ?」
一見なんの変哲もない木だ。当然、見たことはないが、花が咲いていないせいか、グィファンが言うような甘い芳香はしない。
「キンモクセイっていうんだって。今の時期は、花が咲き終わった後だからって、安く仕入れたらしいよ」
リンネは、所長もケチだよね、と呟く。
「どうせなら、花が咲いてるところが見たかったよ~」
「そうね」
グィファンのあの芳香を想像していただけに、マリアも少しがっかりしてしまう。
「でも、花はすっごくいい匂いだって。この木を持ってきてくれた人が言ってたよ」
「やっぱり、お花はそうなのね」
手が届きそうで、届かない。もどかしい感じ。マリアがうなだれると、リンネは、また来年見に来てよ、と笑った。
「それにしても、どうしてキンモクセイのこと、マリアちゃんが知ってたの?」
「お客様の香水が、この花の香りだって聞いたの」
「へぇ。それじゃぁ、その人は、東の国の人なんだね」
まさか、今話題の薔薇姫様だとは言えない。マリアは曖昧に会話を濁して、もう一度キンモクセイを見つめる。
「キンモクセイも、漢方か何かに使われるの?」
ふいにマリアはそんなことを口にする。リンネが買った、ということは何かそういった効果があるのだろう、と思ったのだ。リンネは、
「さすがマリアちゃん、するどい」
と笑った。
「実はね……」
リンネはにんまりと子供のような笑みを浮かべて、マリアに耳打ちした。
リンネに再び手を引かれ、マリアはガーデン・パレスを走る。マリアを知っていると思われる研究員とすれちがうたびに、不思議そうな視線がマリアに向けられたが、マリアは目の前のリンネを追うのに必死だ。
「リンネちゃん!」
「マリアちゃん、頑張って!」
運動不足が否めない。いや、リンネが元気すぎるだけだろうか。マリアは息を切らしながらも一生懸命に足を動かした。
マリアが連れてこられたのは食堂で、キッチンからひょっこりと顔を出す男は、マリアも見覚えがあった。
「あ!」
「リンネ……って、あれ? チェリーブロッサムの嬢ちゃん?」
以前、チェリーブロッサムの香りを作った時にお世話になったシェフ。マリアが頭を下げると、シェフは不思議そうに首をかしげた。
「あれを取りに来たの」
リンネはふっふっふ、とあくどい笑みを浮かべる。シェフも、それを聞いてピクリと眉を動かすと
「まだ、昼間だぞ」
とリンネに忠告する。リンネはマリアをずいとシェフの方へ押し出して
「マリアちゃんのためなの」
とシェフをじとりと見つめた。
間に挟まれたマリアは、まったくなんのことだか分からない。シェフにじぃっと見つめられ、思わず眉が下がる。
「あのぅ……」
「そういうことなら仕方ねぇな!」
シェフも、リンネ同様あくどい笑みを浮かべて、くるりと体を翻した。
「ありがとう!」
リンネは厨房へ入っていく。マリアは完全に置いてけぼりだ。ポカン、とリンネの後ろ姿を見つめていると、シェフがマリアを手招きした。
「実はなぁ、収穫祭から、所内での飲酒が禁止になったんだよ」
「飲酒?」
「そ。収穫祭の時にはめを外しすぎたやつがいてな。ちょっとしたボヤ騒ぎになっちまって、所長もお怒りってわけさ。それでしばらくは所内飲酒禁止令が発動されてるってこと」
シェフは肩をすくめた。
「だから、内緒ね。マリアちゃん!」
リンネは、小さなボトルを取り出してマリアの方へ向ける。いまだ状況の飲み込めないマリアは不思議そうに首をかしげた。
「はい、どうぞ」
リンネは、ボトルから薄黄色の液体を少しだけグラスへ注いで、マリアの方へと差し出す。
「これは?」
「キンモクセイのお酒」
「お酒?!」
マリアが声を上げると、リンネがマリアの口をふさいだ。
「しーっ! ばれるとまずいんだから!」
「ご、ごめん……」
シェフのグラスにも少しだけ注ぎ、そしてリンネは自らのグラスにもそれを注ぐ。
「これで、共犯ってことで」
シェフはニヤリと笑うと、グラスを持ち上げた。
「乾杯」
持ち上げられたグラスの液体は、光に透けて美しい黄金色に輝いた。
マリアがそっとグラスに口をつければ、華やかで甘い香りがぶわりと広がった。
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今回は、ついに『ダァンウィ』の正体が明らかになりましたが、皆様の予想は当たっておりましたでしょうか?
次回はキンモクセイのお酒についてのお話です~* お楽しみに!
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