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調香師は時を売る  作者: 安井優
クレプス・コーロ編

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167/232

薔薇姫

 美しい調べだった。

 グィファンのしなやかな体がしゃなりと空を舞い、グィファンの(うれ)いを帯びた声がゆらゆらと宙に響いた。

 歌詞は異国の言葉で、マリアにはその意味は分からない。だが、どこか悲しく、切なく、胸を締め付けて離さなかった。


 グィファンの歌と踊りが終わると、続いて別の人々が物語を(つむ)ぎだす。時にアクロバティックに、時に人形劇のように繊細に。サーカスでも、ミュージカルでも、演劇でもない。様々なものが組み合わさった、一種の新しいエンターテインメント。クレプス・コーロの魅力だ。

 物語は、一人の女性の数奇(すうき)な運命をたどる。それは、シンデレラストーリーとも違う、もっと力強いものであった。


 物語の終盤、グィファンは最初に見せたもの悲しい姿ではなく、躍動的(やくどうてき)で、どこか野性的で、それでいて人々を魅了(みりょう)する素晴らしい歌と踊りを見せた。

 最後に、明るく、幸せそうな曲を歌い上げたグィファンを見て、

(香りを、作り直さなきゃ……)

 マリアは、自然とそんなことを思う。確かに、今回作った香りは十分グィファンには似合うものかもしれない。だが、この演目とはずれている気がする。


「どうだった?」

 汗をぬぐいながら、グィファンがマリアへ視線を投げる。通し稽古(げいこ)を終えたばかりだというのに、グィファンは苦しそうな表情一つ見せない。

「今から、それぞれの幕ごとに練習するから、私もしばらくは見学」

 グィファンはそういうと、マリアの横に腰かける。ふわりと甘い、『ダァンウィ』とグィファンが言った花の名前がする。


「すごく、素敵でした。とっても……」

「ふふ、ありがとう。本番はこれよりもっと素敵なものになるから楽しみにしてて」

 グィファンはパチンとウィンクをして見せる。自信に満ち(あふ)れている姿はきらめいて見える。マリアとしては、このグィファンをより一層美しく輝かせたい、と思う。

「グィファンさんに、相談があるんです」

「何?」


「グィファンさんに合う香りではなく、この演目に合う香りを、作らせてはいただけませんでしょうか」

 マリアの言葉は、ある意味、一度受けた依頼を反故(ほご)にするというものだ。失礼極まりないことは重々承知しているが、やはりマリアにはどうしても我慢できなかった。グィファン本人に似合う香り、というだけでは、マリアが満足できないのだ。


 マリアの言葉に、グィファンは少し驚いたような、それでいて、嬉しそうな表情を見せた。

「あはは! あなた、何を言い出すのかと思ったら。ふふ、もちろんよ。むしろ、そんなことを言ってくれたのは、今までであなただけ」

 グィファンはおかしそうに目を細めて、マリアにそっと耳打ちした。

「実はね、この演目は、私の人生をもとに作られたの。だから、この演目に合う香りこそが、私に似合う香りなのよ」


 マリアは目を丸くした。

 隣に座る美しく、気高い今のグィファンとは、とても物語の中の女性がつながりそうもない。悲しみや、苦しみというところから、最も遠い場所にいる人。グィファンには、そう思わせるだけの力があった。

「本当、ですか?」

「嘘をついてどうするのよ。あ、でも、この話は内緒ね。私は人気スターだから」

 グィファンは茶目っ気たっぷりにそういうと、マリアの口元に人差し指を当てた。


「今日の夜、空いてる?」

 練習を見終え、去ろうとするマリアをグィファンが引き留めた。

「はい。この後、少し寄るところがあるので、遅くなってしまうかもしれませんが」

「いいわ。それじゃ、七時にここで待ち合わせでもいいかしら?」

「わかりました。それでは、その時間に」

 マリアが頭を下げると、グィファンは満足げにひらひらと小さく手を振った。


 マリアは、ガーデン・パレスへと向かう道中で、先ほど見たばかりの演目について考える。

「始まりは、悲しい歌……」

 歌詞の意味が分かれば、もう少し香りを作るヒントになるかもしれない。後で、グィファンに聞いてみようか、とマリアは思う。

(祈りに近いような、そんな雰囲気だった……)

 マリアはぼんやりと、グィファンの歌声を思い出す。


 それ以外の物語は、マリアでも理解できる内容である。

 生まれつき美しく、傾国(けいこく)の美女とも(しょう)された女。言い寄るものは数多く、だが、女は誰にもなびかない。そんなある日、女は一人の男と出会い、恋に落ちる。だが、身分の違いから、周囲には反対され、そして、男も殺されてしまう。女は国を飛び出し、放浪(ほうろう)し……(ぞく)や追手と戦いながら、女は強さを手に入れる。いつしか、そんな女を(した)った人々がやがて女の周囲には集まるようになり、女は幸せに暮らす……。


 それが、まさかあのグィファンと重なるわけもない。全てを手に入れているように見える。いくら脚色(きゃくしょく)されているとはいえ、それでも、グィファンとは縁遠い話のように思えた。

「あ」

 マリアは外を流れていく景色に、見覚えのある広告を見つめる。

『薔薇姫』

 と(めい)打たれたその広告は、先日クレプス・コーロの名前をでかでかと載せていた新聞広告のものによく似ていた。


「薔薇姫、かぁ」

 口に出してから、マリアは、そういえば、と思う。

(トゲのない、バラはない……)

 よく耳にすることわざである。誰にでも弱点はあるものだ、という意味だったと思うが、まさか、グィファンの愛称にはそんな意味が込められているのだろうか。赤の似合う美しい女性、という意味だとばかり思っていたが、もしかして。

 マリアがそんなことを考えていると、路面電車は目的の駅に到着し、マリアの思考はそこで一度中断せざるを得なかった。


 マリアの続いての目的地、ガーデン・パレスが見えてくる。

「マリアちゃん!」

 ガーデン・パレスから勢いよく飛び出したのは、収穫祭ぶりのリンネである。

「リンネちゃん!」

「そろそろ来るころだと思って、待ってたの!」

 リンネは相変わらずの快活(かいかつ)さで、マリアにブンブンと手を振った。


 ガーデン・パレスに来たのは、リンネに『ダァンウィ』について、調査をお願いしたからだ。これと同じ香りを作る必要はない、とグィファンは言ったが、調香師として、マリア自身が気になっていた。

 もしも手に入るのであれば、ぜひ使ってみたい。

「ごめんね、急に」

「ううん。マリアちゃんのためならいつでもいいよ!」

 リンネは満面の笑みを浮かべて、マリアの手を引いた。


 ガーデン・パレスにいたころのことが懐かしい。もう半年ほど前になるのか。マリアはリンネに手を引かれながら、そんなことを思う。ガーデン・パレスの中を、いつも走り回っていたように思う。

 そう、こんな風に。

「リ、リンネちゃん! 早いっ……!」

「ごめん! でも、もうちょっとだから!」

 リンネはそういって、そのスピードをさらに早めた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

おかげさまで、35,000PVを達成しまして、日々読んでくださる皆様には感謝が尽きません。

本当にありがとうございます!


今回は、ついにグィファンの実力、そしてクレプス・コーロの公演内容が明らかになりました。

そして、次回はいよいよ謎の植物『ダァンウィ』に迫ります。お楽しみに♪


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