グィファン
「コレ、美味しいわ」
ジンジャーをたっぷりと振りかけたショコラミルクティーに口をつけ、女性は微笑んだ。美しい黒髪の隙間に、真っ赤な石のピアスが色鮮やかに映えている。口紅も、アイラインも、この女性には赤がよく似合う。それも、華やかな明るい赤が。
「アタシ、グィファン。よろしく」
グィファンと名乗った女性は、たおやかで豊満、そして妖艶な笑みを見せる。この国では聞きなれない名前だ。異国からの旅人だろうか。
「よろしくお願いします」
マリアがペコリと頭を下げると、グィファンはもう一度ティーカップを持ち上げた。細く長い指がしなやかに、けれどゆっくりとした動作でカップに絡みつく。
(本当に、綺麗な人……)
マリアはほぅっと、グィファンの流れるような所作を見つめる。
どこか神秘的で、エキゾチックな魅力が漂う大人の女性。ディアーナとも、ソティとも違う美しさ。内側から色香があふれて出ているような気さえする。
「何かついてる?」
マリアの視線に気づいたのか、真っ黒な瞳をちらりとマリアへグイファンは向けた。少しなまりのあるたどたどしい言葉遣いが、本人の雰囲気とはかけ離れた可愛らしいギャップを生んでいる。
マリアが慌てて首を振ると、グィファンはその瞳を柔らかな三日月に変えた。
「アタシ、旅の一座で歌と踊りをやってるの。いろんな国を旅してまわってる」
だから、こんなに美しいのか。マリアはグィファンの口から飛び出た言葉に、一人うなずいた。
「国についたら、そこで一番人気の……あー……なんていうんだっけ、あなたみたいな人」
「調香師、でしょうか」
「そう。それよ。チョーコーシ。国で一番のチョーコーシさんに、舞台でつける香りを作ってもらうのが、アタシの楽しみなの」
グィファンはじっとマリアを見つめる。
「いろんな人に聞いたけど、みんな、あなたが一番だって言ってた」
すさまじいプレッシャーである。グィファンに悪気はないし、マリアを推薦してくれた人たちにも全く悪気はないが、マリアにとっては、胃が痛くなる思いだ。
「舞台用の香り、ですか」
「そう。アタシに、一番似合うものが欲しいの」
グィファンは満面の笑みを浮かべて、コテンと首をかしげる。男性であれば、誰しもが息を飲んでしまうだろう。
マリアは、なるほど、とうなずいて手元のメモにさらさらとペンを走らせていく。
「グィファンさんは、どういった香りがお好きですか?」
「スパイシーな香りが好き。花の香りも」
「今、つけてらっしゃるのは何の香りですか?」
グィファンは、マリアにはあまり馴染みのない甘い芳香を身に纏っている。お気に入りなのだろうか。
「ダァンウィよ」
グィファンの言葉に、マリアは首をかしげた。聞きなれない言葉、どころか、グィファンがなんといったかさえも聞き取れなかったのだ。マリアの反応に、グィファンは
「この国で、なんて呼ばれてるか分からない」
と首を横に振った。
「アタシ、ここよりもっと東の国の出身なの。かなり言葉は覚えたけど、さすがに、ダァンウィは分からないね」
「お花ですか?」
「そうよ。オレンジ色の花で、秋に咲くの。こっちじゃ、あんまり見ないわね」
「秋に咲く、オレンジの花……」
マリアがすぐに思いつくのはコスモスだが、その香りは微々たるものだ。チョコレートコスモスのようなものならまだしも、コスモス自体にはあまり強い芳香はない。
「マリーゴールド?」
マリアが尋ねるも、グィファンは首を横に振った。ほかにも、ダリアやエキナセア、ナスタチウムなど。近くにあった植物図鑑を見せたが、グィファンの言う花ではないようだった。
「木に咲く花よ。甘い香りがするの」
グィファンのヒントもむなしく、マリアは分からない、と首を振る。
(リンネちゃんなら、何か分かるかしら)
マリアはメモにペンを走らせる。
「後で、友人にも聞いてみます」
「えぇ。そうしてみて」
グィファンは、特にがっかりした様子もなく、ニコリと笑った。
「この香りに似せようとしなくていいわ。これは、普段使いのものだし、舞台用には特別なものを身につけたいから」
「そうですか。分かりました」
「とにかく、とびきり素敵な、私の歌と踊りに負けないくらいの香りを作って」
これまた難しい依頼である。が、マリアは力強くうなずいた。
「そうこなくっちゃ。気に入ったら、あなたを特別席にご招待するわ」
グィファンは流暢なウィンクを一つマリアに投げかけて立ち上がる。
「えぇっと……ホシマツリ、だっけ?」
グィファンは、店の商品を眺めながらくるりと優雅にステップを踏む。
「星祀り、ですか?」
マリアが正しい発音で尋ねれば、グィファンはうなずいた。
この王国には、十二月の下旬から十日間、一年の終わりを無事に迎えられたことを神に感謝し、そして周囲の人々にも同じく感謝を伝えあう風習がある。
仰々しく、星祀り、と呼んでいるが、単なる冬休みである。
仕事も学校も休みになり、普段お世話になっている人のもとに挨拶周りへ行ったり、家族との時間を過ごしたり、というのが実際に行われていることだ。
陽祝い、と呼ばれる一年の始まりを祝う休み期間とつながって、一年のうちで最も長い連休になる。
「その期間中に、アタシたち一座はこの国の中を巡行して、見世物をやるの」
グィファンは、楽しそうに香水瓶や精油瓶を見つめる。アロマキャンドルを持ち上げて、これは買って帰るわ、とマリアに差し出した。
「それまで城下町で練習しているから、遊びに来てちょうだい。あなたには、アタシがどんなことをしているか、見てもらわなくちゃ」
次から次へと商品を物色しながら話を続けるグィファン。マリアはポイポイと渡される商品を受け取りながら、彼女の後ろをついて歩く。
「一か月後にはアタシだけの、スペシャルな香りを完成させてね」
レジ前で立ち止まり、ピッときれいにかかとをそろえたグィファンが、マリアを見つめた。
会計をすませたグィファンは、ふわりとターンして、パルフ・メリエを後にした。後には、グィファンがつけていた香水の甘さだけが残る。
「それじゃぁ、また!」
マリアが大きく手を振ると、グィファンはマリアの方へ振り返って、美しく手を振った。グィファンのコートの裾は柔らかに揺れ、彼女の一挙手一投足は、見逃してしまうのが惜しいほどだった。
グィファンの姿が見えなくなり、マリアは店内に戻る。
「グィファンさんにぴったりの特別な香り、かぁ」
難しい調香依頼は、自然とマリアを奮い立たせた。早速、作ってみようではないか。マリアはメモを取り上げて、早速調香部屋へと足を向けた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回から、新章「クレプス・コーロ」編がスタートです♪
早速新キャラ、グィファンが登場しましたが、これからどうお話とかかわっていくのか、ぜひぜひお楽しみにいただけましたら幸いです。
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