干し草と太陽
シャルルの家の庭先で、ソティとカフェを営みながらも考え抜いたレシピ。
マリアはそれを目の前に、パルフ・メリエへと戻るやいなや、調香を開始した。机の上に、必要な精油瓶を並べ、少しずつそれらを加えながら香りを確認していく。オレンジをベースに、レモングラス、サイプレス、サンダルウッド……。マリアは、それぞれの精油を丁寧に瓶の中へ滴下した。
「うぅん。何か、もう少し……」
出来上がった香りを確認して、マリアは首をひねる。爽やかなグリーン調の香りが心地よいが、先日シャルルと村で感じたあの深い緑の香りには、何かが足りない。
(決して、重い香りじゃなかった。もっと、柔らかくて、温かい感じの……)
マリアは精油瓶のフタを閉め、一度換気しようと調香部屋の窓を開ける。ふわりと森の香りが入り込んでくる。
パルフ・メリエがある森の香りとも違う。深い緑の香り、と一口に言っても、その種類は様々だ。渋み、苦み、フレッシュさ。
「枯草みたいな香りって、何を使うのかしら」
マリアは側に置かれている祖母のレシピをパラパラとめくる。祖母が残したお宝だ。困ったときや、何かヒントが欲しい時に使っているものだが、あいにくと枯草の香りは見つからない。あまり使う機会もなさそうなので、当然といえば当然か。
マリアはかたまった体をうんと伸ばして、他にも何かないか、と備え付けられた書棚を見つめる。植物や精油についての本がぎっしりと詰まっている。
「シャルルさんのお父様も、植物がお好きだったのかしら」
ぼんやりとそれを眺めながら、マリアはそういえば、とつい独り言をこぼしてしまう。
木彫りの柔らかな植物たち。モチーフとして扱いやすく、老若男女問わず好ましいそれは、家具の装飾にも向いている。
「あのデザインなら、ガラスを埋め込んだりしてもきっと綺麗よね」
宝石、とまでは言わないが、ガラス玉をはめ込んで、色を付けても映えるだろう。マリアにそういった方面の芸術的センスはないが、ミュシャが喜びそうだ。今は独立にむけ、絶賛準備中である。もしも、シャルルの父がまだ生きていたならば、マリアは、ミュシャに紹介していたかもしれない。
調香とは関係のないことをとりとめなく考える。いつの間にかマリアの鼻もリセットされ、調香部屋の空気もすっかり入れ替わっていた。
だが、まだ良いアイデアは浮かばない。
マリアはうぅん、と再びうなり声をあげ、仕方がない、と頭を切り替える。パルフ・メリエで扱っている香りの補充もしなくてはならない。先に別の香りを作ってから、もう一度なにか考えよう、とマリアは止まっていた手を動かした。
マリアにアイデアが突如として降ってわいてきたのは、浴槽に身を沈めた時だった。まさしく、天啓というにふさわしい。
「アンバーとバニラを入れたら、もっと柔らかくて、少し干し草みたいな香りにならないかしら」
マリアは慌てて浴室を飛び出す。ポタポタと全身から滴るお湯を気にする間もなく、忘れないように、と慌ててリビングのメモにペンを走らせた。
バスオイルの柔らかなジャスミンとバニラ、そして甘酸っぱいラズベリーの香りが、浴室には漂っていた。
月の穏やかな光が、窓から調香部屋に差し込む。そんな中、マリアは繊細なバランスに集中力を切らさぬよう、ソティへの香りづくりを続けた。特に、娼館の香づくりでバニラの威力は嫌というほど思い知っている。あくまでも少しずつ、瓶に滴下していく。アンバーも、注意が必要だ。入れすぎると、爽やかさが失われる危険性がある。あくまでもこれはアクセント。くすぶったような、枯草の香りを演出する隠し味、ならぬ隠し香である。
今日は徹夜しなくてすんだ、とマリアは完成した精油瓶を目の前にして、ホッと胸をなでおろした。あくまでも調香に夢中になった結果、徹夜してしまうことが多いだけで、マリア自身、徹夜したくてしているわけではないのだ。眠れるならぐっすりと眠りたい。
「香りが馴染むにも時間がかかるし、今日はもう寝なくちゃ……」
マリアはふわぁと大きくあくびをして、精油瓶のフタをしっかりとしめた。
翌日。マリアは自らが昨晩作った香りにうっとりと目を細めた。
トップに香る爽やかなオレンジとレモンバーム。心地の良いフルーティーさと、草木のフレッシュな香りが鼻をくすぐる。少し土っぽい湿った香りが、シャルルの父親が身に纏っていたオレンジを活かしていた。
追いかけるように、サイプレスの香りが身を包み込む。永遠に生きる、というその名にふさわしい豊かな緑の香り。思わず深呼吸をしてしまいたくなるような、新鮮で、澄み切った空気感。
村の香りを演出するのは、サイプレスだけではない。ゼラニウムのほのかなフローラル調の甘みと、若草のような、瑞々しい香りもまた、村の丘陵を吹き抜ける風を現している。
最後は、サンダルウッドの深い木の香りと、バニラ、アンバーが作り出す穏やかな枯草のような香り。
「分かった……これ、干し草の香りだわ」
マリアは独りごちる。ずっと枯草だと思っていたが、太陽に包まれた干し草の香りだ。
サンダルウッドがもつほのかなスパイシーさや、アンバーのもつくすぶった革のような独特な香りを、バニラの甘さが柔らかく包みこんでいる。
――太陽の香り。
木漏れ日の差す、特別な場所。
ソティと、そしてその夫が過ごした、二人の特別な時間。
きっと、これなら。
マリアの中には、そんな思いが募っていた。うまくいく確証はないし、本当に記憶がよみがえるのかどうかも分からない。だが、少なくとも、この間のように、ただ喪失感だけを思い出させるようなことはもうしない。
「今度は、ちゃんと、喜んでもらいたいな」
ソティが時折見せる切ない笑みではなくて、美しくて穏やかな優しい笑顔が見たい。写真の中で見せる、眩いばかりのそれを。
マリアは自らの手の中で輝く小さな瓶を見つめ、
「そうだわ」
と声を上げた。最後の仕上げだ。ソティへのとびきりのプレゼントにしたい。もしも、二人の記憶を取り戻せなかったとしても、ソティが少しでも喜んでくれるように。
マリアは、調香用の机下から一つの箱を取り出した。
箱の中に、綺麗に並べられた美しいガラス瓶たち。通常の飾り気のない瓶ではなく、色ガラスが使われていたり、レースが織り込まれていたり、美しい装飾を持つ、少し特別なものだ。どれもマリアが見つけて少しずつ収集したもので、少々値が張るものばかりだが、特別感を演出するにはぴったりなのである。
「これなんか、ぴったりだわ」
マリアはその中から一つ、オルモル装飾の施されたガラス瓶を取り上げた。
四角い透明なボトルを、底から半分ほどを覆うようなツタと、儚げな花かごの飾りが美しい。オルモル装飾の柔らかな流線形が、シャルルの父親が使っていた木彫りのモチーフによく似ている。フタにつけられたリボンの装飾も可愛らしい。派手過ぎず、ソティにもぴったりだ。
マリアは、作った香りをその瓶に移し替えて、しっかりとフタを閉める。薄まった琥珀色の液体が、装飾の落ち着いた金メッキの色とマッチし、瓶はさらに美しさを増す。
収穫直前の、黄金色の小麦畑。ソティとその夫が見たであろう光景と同じ色にも見える。
「綺麗……」
作ったマリアも、思わずその出来に自画自賛してしまう。
(今度の木曜日、直接ソティさんに渡そう)
どうか、ソティさんの幸せな思い出が少しでも蘇りますように。マリアはそっと願いを込めて、丁寧に香水瓶を梱包した。
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今回は、いよいよソティの記憶を取り戻すための香り、第2弾が完成しました。
今度こそ、ソティの記憶が無事によみがえるのか、お楽しみに♪
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