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調香師は時を売る  作者: 安井優
思い出の香り編

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153/232

約束はオレンジの香りとともに

 秋の木漏(こも)れ日が心地よい。

 窓から吹き込む柔らかな風がマリアの髪をさらりと揺らす。睡眠時間を削って調香していたマリアが、ついうたた寝をしてしまうのも無理のない穏やかな昼下がり。

 カラン、と鈴の音が心地よく響き、マリアはびくりと体を揺らした。

「……すまない。起こしてしまったか」

 ガバリと目を開けたマリアの前に立っていたのはケイで、そのケイは神妙(しんみょう)な顔つきであった。


「ご、ごめんなさい!」

 マリアは耳まで赤く染め、慌てて頭を下げる。

(お客様が来ないからって寝ちゃうなんて!)

 あまりにも恥ずかしい失態(しったい)に、マリアはケイを直視できない。かくいうケイも、偶然とはいえ、好意を寄せている相手の可愛らしい寝顔など見てしまったのだ。簡単にマリアへ話しかけられるほど、気持ちの整理は出来ていなかった。


 しばらくの沈黙が二人を包んだのち、おずおずと口を開いたのはマリアだった。

「きょ、今日は! どうされたんですか?」

 いまだ頬には赤みが残り、声も上ずってはいるが、あくまでも店主と客。接客をしなければ、とマリアは曖昧に笑みを浮かべた。

「いや、その……茶葉が、増えたと聞いたから、買いに来たんだ」

 ケイは戸棚に置かれた商品に視線をさまよわせる。

「そうでしたか。それなら、こちらに」

 マリアはなんとか気持ちを(りっ)して、いつも通りの笑みを装った。


 ケイは茶葉を選んでからしばらく、マリアの方へ視線をやったり、かと思えばその視線をそらしたり、と(せわ)しなかった。

「その、疲れていたのか?」

 ようやくケイからしぼり出された一言に、マリアは、すみません、と頭を下げる。

「昨日、久しぶりに調香を張り切ってしまって……。仕事中に寝ちゃうなんて、本当にすみません」

「いや。俺は、かまわないが……。その……」

 何かを言いたげにするケイに、マリアはきょとんと首をかしげる。

「お時間があるなら、お茶をお入れしましょうか」

 ケイは、何か話したいようにも見えた。口下手なのに、隠し事は苦手で、さすがのマリアでも気づいてしまうほどに。


 ティーカップに紅茶を注ぐと、ケイはすぐさま口をつけ、一気に飲み干した。

「団長! シャルル、団長の家に、いるのか?」

 開口一番。ケイの口から飛び出たセリフに、マリアはまばたきを繰り返す。

「へ?」

「団長が、最近やけに帰りが早くて……つい、その話を聞いてしまったんだ」

 ケイは(くや)しそうに口を結ぶ。マリアはそんなケイの様子をポカンと見つめた。


「木曜日から土曜日までは、お家にお邪魔させていただいてますが……」

 マリアが答えると、その続きを聞く前にケイの表情があからさまに(くも)る。それがなぜなのかは、当然マリアも知る(よし)はない。

「そ、それは、その。つまり。なんだ」

 しどろもどろになったケイは、言葉を探しているのか、それともその言葉を口にしたくはないのか。身振り手振りが大きくなる。珍しいこともあるものだ。これほどまでにケイが動揺している姿をマリアは見たことがない。

「調香の依頼を受けたんです。それで、その関係で」

 マリアがさらりと続きを口にすれば、今度はケイがポカンとマリアを見つめた。


 依頼の内容は、プライバシーに関わることであり、シャルルからも口止めされているので話すことは出来ない。代わりに、どんな香りを作っているか、ということや、それで昨日はあまり眠れなかった、ということを話せば、ケイはようやくホッと胸をなでおろした。

 ケイが安堵(あんど)した理由に、マリアは首を傾げつつ、

「その、オレンジの香りは、作れたのか?」

 というケイの質問に、うぅん、と曖昧な笑みを浮かべる。

「おそらく、作れたとは思うのですが……分量がわからないところがあって。使ってくださる方に喜んでもらって初めて、作れたということになるのでしょうね」


 試しにケイにも、三つほど分量を変えた試作品を楽しんでもらう。

「オレンジの香りか。いいにおいだ」

 ケイはようやくそこでふっと柔らかな笑みを浮かべた。本日初の笑みである。

 二人の間に(ただよ)っていたなんとも言えない空気も和らぎ、ケイの口数も少しだけ増える。

「マリアの香りは、いつも落ち着く」

 マリアの作った香水に向けられた言葉だが、マリアの心臓がドクン、と跳ねた。マリアが驚いたような瞳を向ければ、ケイも自分の言ったことに気づいたのか(あわ)てて弁明(べんめい)するのだった。


 おかわりを()いだはずだったが、ケイのティーカップはいつの間にか空になっていた。そろそろ帰るのだろうか。マリアがそんなことを考えていると、ケイが何やら口を開いては、ややあって、再び口を閉じる。まだ何か、言いたいことがあるようだ。

「マリアは、甘いものは好きか?」

「え? えぇ、まぁ」

 突然の質問に、マリアが不思議そうな視線を向けると、ケイは小さな声で続けた。


「オレンジの香りで思い出したんだが……。以前、ランチをした店があっただろう。あそこの店主が、新商品で、オレンジのケーキを開発したらしくてな。味見を頼まれたんだが、こういうのは、女性の方がいいだろう」

 つまりは、またランチにでも行きましょう、というデートのお誘いなのだが、不器用ゆえ、ケイには理由が必要なのだ。

「空いてる日があるなら、一緒に、どうだ」

 後半はもはや消えかかってしまいそうな勢いで、ケイは視線を(そむ)ける。


 マリアはマリアで、どういうわけか、ケイのこういった態度に、つられて恥ずかしくなってしまう。甘いものには目がないので、当然、行かないという選択肢はない。

「それじゃぁ、今度の木曜日なんていかがでしょう」

 声に出してから、さすがに急すぎだ、とマリアは思う。これではまるで、我慢のできない子供のようで恥ずかしい。

「本当か!」

 しかし、そんなマリアの思いをかき消す勢いでケイが目を輝かせるので、マリアの気持ちも素直に晴れやかなものになった。


 ケイを見送るついでに、マリアも作った香水をシャルルの家へ送ろうと村へ向かう。村まで続く森の小道を、ケイと歩くのは初めてではなかろうか。

「そういえば、このあたりを一緒に歩くのは初めてだな」

 隣を歩いていたケイも、同じことを考えていたのかポツリと言葉をこぼす。

 シャルルよりも背の高いケイには、少し森の小道は窮屈(きゅうくつ)そうだ。頭のあたりにまで()れ下がった枝を時折よけながら、木漏(こも)れ日を気持ちよさそうに感じている。

(なんか、いいな……)

 マリアの顔には、ケイによってできた陰が落ち、鮮やかな紅葉が視界には広がる。

 ――まだ、この気持ちの名前を、マリアは知らない。


 村までの道のりは、かかった時間以上にあっという間に感じるものであった。

「それじゃぁ、ケイさん。お気をつけて」

「あぁ。マリアも。仕事、頑張りすぎて眠らないようにな」

 冗談めかしたケイはふっと柔らかな笑みを浮かべ、そして、ごく自然にマリアの頭をふわりと撫でた。


「ふぅん……。ついにマリアにも彼氏かい?」

 マリアの後ろから揶揄(やゆ)するような郵便屋の青年の声が聞こえる。マリアがびっと背筋を伸ばすと、

「まだ冬も来てないってのに、先に春が来ちゃうとはね」

 郵便屋がニヤニヤと笑みを浮かべた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

なんと! この度、ついに30,000PVを達成しました!

多くの方々に読んでいただけていること、本当に感謝が尽きません。ありがとうございます!


オレンジの香りを完成させたマリアに、まさかの来客でした。

「大切な思い出」編もいよいよ折り返しですが、最後までお楽しみくださいますと幸いです*


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