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調香師は時を売る  作者: 安井優
思い出の香り編

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151/232

マーク

 香水瓶の底に見つけた、刻印と同じマーク。

「これ!」

 マリアは勢いよくシャルルのほうへ視線を向ける。

「多分、父さんのつけてた香水を売った店のものだと思う」

 シャルルもうなずいて、でも、と言葉をつづけた。

「姉さんにも聞いてみたんだけど、港町の方じゃないかってことしか分からなかったよ」

「港町……」

 マリアはふむ、と手を当てた。


 一体どこで見たのだろうか。港町、といえば、夏休みに行ったディアーナの別荘地であるが、そこでは香水を扱っているような店はなかったはずだ。少なくとも、見つけていれば訪れているだろうし、忘れるなどとは考えにくい。

「マリアちゃんなら、何か知ってるんじゃないかと思ってさ」

「実は、このマークには見覚えがあるんです。でも、どこで見たのか思い出せなくて……」

 マリアの言葉に、シャルルも困ったように眉を下げた。

「そっか。それじゃぁ、地道に聞いてみるしかないね」


 とにかく、夕食にしよう。深い思考の海へと潜り込みそうになったマリアを、シャルルの言葉が引き上げる。

「そうでした。すみません、つい」

 夢中になると、寝食(しんしょく)を惜しんででも没頭してしまうのはマリアの癖だ。

「温めるだけでいいなら、僕でも出来るし、マリアちゃんは座ってて」

 シャルルはクスクスとほほ笑むと、マリアをリビングに残してキッチンへと向かう。いまだ、頭の片隅でマークについて考えているマリアを気遣ってのことかもしれなかった。


 シャルルが食事を運んでくるまでの間、マリアはそのショップカードを見つめ続けた。

 十字の中心に丸があり、その十字の隙間には放射状に(しずく)がちりばめられている。十字架の後ろに光が差しているようにも見えるし、四枚の花弁を持つ花と、それを取り囲む花びらのようにも見えた。

「港町だから、海のような青色なのかしら」

 美しい群青(ぐんじょう)は、色あせてもなお、まるで水面のようである。


 シャルルが皿を並べ始めても、マリアがその気配に気づく様子はない。すっかり、視界も思考も、目の前のカード一枚に注がれている。

「マリアちゃん」

 シャルルが声をかけたところで、ようやくマリアは我に返った。

「す、すみません!」

 騎士団長に給仕(きゅうじ)させる人間が、この国のどこにいるというのだろう。マリアが慌てて頭を下げると、その頭はゴツンと机にぶつかり

「はぅっ」

 とマリアは情けない声を上げることになった。


 だんだんと冷え込むようになってきた秋の夜。そんな日の晩御飯は、牛肉のトマト煮込みシチューである。

 トマトのさわやかな酸味と、パプリカの触感。タマネギのほんのりとした甘さと牛肉のうま味が、口の中ではじける。

「ん~~~~!!!!」

 自ら作った料理ではあるが、マリアは思わず声を上げた。なかなか上手にできたのではないだろうか。シャルルもパンを(ひた)しては口に運び、美味しそうに表情を(ゆる)めた。


 アーサーも、マリア達がご飯を食べている最中に帰宅した。いつもより早い。

「噂になってるんだ。私に、ついにガールフレンドができたらしいと。それで、院長が早く帰れとうるさくてね」

 アーサーはうんざりしたようにため息を一つついて、ネクタイを緩めた。

(うま)そうだな」

 漂うシチューの香りに、アーサーはシャルルの皿をのぞき込む。

「よそってきますから、アーサーさんはお座りになってください」

 マリアが慌てて立ち上がると、アーサーもふっとその瞳を柔らかに細め、

「よろしく頼む」

 と椅子に腰かけた。


 三人で夕食を囲むのは初めてだ。二人の帰りが遅いうえ、時間もまばらなので、むしろこうして(そろ)うのは奇跡に近い。

「ソティさんも、いらっしゃれば良かったんですけど……」

 マリアがアーサーの前に皿を並べれば、アーサーが

「母さんは?」

 と首をかしげた。残念ながら今日はもう休んでいるのだ。いつか、四人でこうして食事を囲みたい。マリアはそう思う。


「そういえば、ショップカードはどうだった?」

「マリアちゃんも、見覚えはあるけど思い出せないらしい。地道に、いろんなひとに聞いてみるしかないね」

「それで済むなら好都合じゃないか。マリアさんは、井戸端会議も慣れたものだろう?」

 アーサーは正面に座ったマリアをちらりと見やる。

「アーサーさんは、意地悪です」

 マリアがげんなりとして見せると、アーサーもシャルルもおかしそうに笑っていた。


 翌日。

 昨日のこともあり、ソティの体調は不安だったが、どうやら問題ないようだった。

「ふふ、今日はカフェ風なのね?」

 庭先で、パラソルを一つ、テーブルを三つ、椅子をそれぞれに四つずつと配置したマリアの背後から、楽しそうなソティの声がする。

 理由については、まさか、マリアの口から語ることは出来ない。曖昧に微笑んでその場を(にご)し、ソティの前でティーカップを置いた。

「茶葉も扱ってるんです。こちらは、中にジンジャーが混ざっていて、体も温まりますよ」

 話題をそらすようにマリアが言えば、ソティの瞳が輝いた。


 早速の客人。それも、カフェのようなくつろげるスペースがあるとなれば、奥様方の足は止まる。貴族街の駅前は確かに店が並んでいたが、このあたりは完全に住宅地。こういったカフェは珍しいようだ。あっという間に席は埋まり、おしゃべりに花を咲かせる。

「お茶のおかわりはいかがですか?」

「ありがとう。これ、とっても美味しいわね。家でも主人に飲ませてあげたいわ」

「茶葉も扱ってますので、よろしければ」

「マリアさん、こちらのクッキーはあるの?」

「もちろん、それもございますよ」


 マリアとて、商売ばかりしているわけではない。(すき)を見てはショップカードを客に見せ、何か情報はないかと聞き込みをする。すっかり探偵気分だ。

「綺麗なカードね。でも、ごめんなさい。分からないわ」

「うぅん……港町の方へはあまり行かないから……」

「見たことないわ」

 しかし、なかなか手がかりはつかめず、マリアも肩を落とすばかりである。


「パラメーラ?」

 最後の客は会計を済ませながら、記憶を辿(たど)るように視線をさまよわせた。

 その客人は、井戸端会議には参加せず、一人ゆったりと夕暮れのティータイムを楽しんでいた老婆であった。クリスティよりも年上。ちょうど、マリアの祖母と同じかそれ以上である。

「王妃様の、調香師さんのお店じゃないかい」

「え?」

「王妃様がご結婚されたころだったんじゃないかね。ちょっとした香りが流行ったのよ。オレンジのコロンでねぇ」


 マリアは、衝撃の事実に言葉を失った。

(まさか……でも……)

 老婆を見送ったマリアは、慌ててカードに描かれたショップのマークを見つめた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

おかげさまで、6,300ユニークを達成しまして、本当に日々、嬉しい限りです。


さて、今回はショップカードと香水瓶の底に彫られた刻印のマークを手がかりに、ソティとその夫の思い出をたどってきましたが……最後の最後に、まさかの展開です。

続きはぜひ、次回をお楽しみいただけましたら!(笑)


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