マーク
香水瓶の底に見つけた、刻印と同じマーク。
「これ!」
マリアは勢いよくシャルルのほうへ視線を向ける。
「多分、父さんのつけてた香水を売った店のものだと思う」
シャルルもうなずいて、でも、と言葉をつづけた。
「姉さんにも聞いてみたんだけど、港町の方じゃないかってことしか分からなかったよ」
「港町……」
マリアはふむ、と手を当てた。
一体どこで見たのだろうか。港町、といえば、夏休みに行ったディアーナの別荘地であるが、そこでは香水を扱っているような店はなかったはずだ。少なくとも、見つけていれば訪れているだろうし、忘れるなどとは考えにくい。
「マリアちゃんなら、何か知ってるんじゃないかと思ってさ」
「実は、このマークには見覚えがあるんです。でも、どこで見たのか思い出せなくて……」
マリアの言葉に、シャルルも困ったように眉を下げた。
「そっか。それじゃぁ、地道に聞いてみるしかないね」
とにかく、夕食にしよう。深い思考の海へと潜り込みそうになったマリアを、シャルルの言葉が引き上げる。
「そうでした。すみません、つい」
夢中になると、寝食を惜しんででも没頭してしまうのはマリアの癖だ。
「温めるだけでいいなら、僕でも出来るし、マリアちゃんは座ってて」
シャルルはクスクスとほほ笑むと、マリアをリビングに残してキッチンへと向かう。いまだ、頭の片隅でマークについて考えているマリアを気遣ってのことかもしれなかった。
シャルルが食事を運んでくるまでの間、マリアはそのショップカードを見つめ続けた。
十字の中心に丸があり、その十字の隙間には放射状に雫がちりばめられている。十字架の後ろに光が差しているようにも見えるし、四枚の花弁を持つ花と、それを取り囲む花びらのようにも見えた。
「港町だから、海のような青色なのかしら」
美しい群青は、色あせてもなお、まるで水面のようである。
シャルルが皿を並べ始めても、マリアがその気配に気づく様子はない。すっかり、視界も思考も、目の前のカード一枚に注がれている。
「マリアちゃん」
シャルルが声をかけたところで、ようやくマリアは我に返った。
「す、すみません!」
騎士団長に給仕させる人間が、この国のどこにいるというのだろう。マリアが慌てて頭を下げると、その頭はゴツンと机にぶつかり
「はぅっ」
とマリアは情けない声を上げることになった。
だんだんと冷え込むようになってきた秋の夜。そんな日の晩御飯は、牛肉のトマト煮込みシチューである。
トマトのさわやかな酸味と、パプリカの触感。タマネギのほんのりとした甘さと牛肉のうま味が、口の中ではじける。
「ん~~~~!!!!」
自ら作った料理ではあるが、マリアは思わず声を上げた。なかなか上手にできたのではないだろうか。シャルルもパンを浸しては口に運び、美味しそうに表情を緩めた。
アーサーも、マリア達がご飯を食べている最中に帰宅した。いつもより早い。
「噂になってるんだ。私に、ついにガールフレンドができたらしいと。それで、院長が早く帰れとうるさくてね」
アーサーはうんざりしたようにため息を一つついて、ネクタイを緩めた。
「旨そうだな」
漂うシチューの香りに、アーサーはシャルルの皿をのぞき込む。
「よそってきますから、アーサーさんはお座りになってください」
マリアが慌てて立ち上がると、アーサーもふっとその瞳を柔らかに細め、
「よろしく頼む」
と椅子に腰かけた。
三人で夕食を囲むのは初めてだ。二人の帰りが遅いうえ、時間もまばらなので、むしろこうして揃うのは奇跡に近い。
「ソティさんも、いらっしゃれば良かったんですけど……」
マリアがアーサーの前に皿を並べれば、アーサーが
「母さんは?」
と首をかしげた。残念ながら今日はもう休んでいるのだ。いつか、四人でこうして食事を囲みたい。マリアはそう思う。
「そういえば、ショップカードはどうだった?」
「マリアちゃんも、見覚えはあるけど思い出せないらしい。地道に、いろんなひとに聞いてみるしかないね」
「それで済むなら好都合じゃないか。マリアさんは、井戸端会議も慣れたものだろう?」
アーサーは正面に座ったマリアをちらりと見やる。
「アーサーさんは、意地悪です」
マリアがげんなりとして見せると、アーサーもシャルルもおかしそうに笑っていた。
翌日。
昨日のこともあり、ソティの体調は不安だったが、どうやら問題ないようだった。
「ふふ、今日はカフェ風なのね?」
庭先で、パラソルを一つ、テーブルを三つ、椅子をそれぞれに四つずつと配置したマリアの背後から、楽しそうなソティの声がする。
理由については、まさか、マリアの口から語ることは出来ない。曖昧に微笑んでその場を濁し、ソティの前でティーカップを置いた。
「茶葉も扱ってるんです。こちらは、中にジンジャーが混ざっていて、体も温まりますよ」
話題をそらすようにマリアが言えば、ソティの瞳が輝いた。
早速の客人。それも、カフェのようなくつろげるスペースがあるとなれば、奥様方の足は止まる。貴族街の駅前は確かに店が並んでいたが、このあたりは完全に住宅地。こういったカフェは珍しいようだ。あっという間に席は埋まり、おしゃべりに花を咲かせる。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「ありがとう。これ、とっても美味しいわね。家でも主人に飲ませてあげたいわ」
「茶葉も扱ってますので、よろしければ」
「マリアさん、こちらのクッキーはあるの?」
「もちろん、それもございますよ」
マリアとて、商売ばかりしているわけではない。隙を見てはショップカードを客に見せ、何か情報はないかと聞き込みをする。すっかり探偵気分だ。
「綺麗なカードね。でも、ごめんなさい。分からないわ」
「うぅん……港町の方へはあまり行かないから……」
「見たことないわ」
しかし、なかなか手がかりはつかめず、マリアも肩を落とすばかりである。
「パラメーラ?」
最後の客は会計を済ませながら、記憶を辿るように視線をさまよわせた。
その客人は、井戸端会議には参加せず、一人ゆったりと夕暮れのティータイムを楽しんでいた老婆であった。クリスティよりも年上。ちょうど、マリアの祖母と同じかそれ以上である。
「王妃様の、調香師さんのお店じゃないかい」
「え?」
「王妃様がご結婚されたころだったんじゃないかね。ちょっとした香りが流行ったのよ。オレンジのコロンでねぇ」
マリアは、衝撃の事実に言葉を失った。
(まさか……でも……)
老婆を見送ったマリアは、慌ててカードに描かれたショップのマークを見つめた。
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さて、今回はショップカードと香水瓶の底に彫られた刻印のマークを手がかりに、ソティとその夫の思い出をたどってきましたが……最後の最後に、まさかの展開です。
続きはぜひ、次回をお楽しみいただけましたら!(笑)
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