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調香師は時を売る  作者: 安井優
思い出の香り編

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オレンジ

 マリアを出迎えたのはソティだった。ソティの顔色は良く、彼女は晴れやかな表情を見せた。

「マリアちゃんが来るのをずっと待ってたの」

「ありがとうございます。あ、そうだ、これ……」

 マリアがお土産に、と城下町で買ったサブレの包みを差し出すと、ソティはますます顔をほころばせた。


 リビングでソティとお茶会をしながら、マリアはこの数日で作ったいくつかの香水を取り出した。

「また、新しい香りをいくつか調香してきました。旦那様がつけていたと思われる香水瓶があったので、その香りに近いものを試したんです」

 実際、再現できるほどの香りではなかったので、あくまでも似たようなものであるが。

「本当!? それは嬉しいわ。彼のことはあまり思い出せないけれど……きっと、良い香りなんでしょうね」

 ソティはうっとりと目を細める。それはまるで、恋する乙女の表情、そのものだった。


 香水瓶のフタを開けると、軽やかな甘みと酸味が広がる。夏を思い出させるようなフレッシュさと瑞々(みずみず)しさと、気分が明るくなる混ざり気のない清々(すがすが)しさ。

「オレンジね」

 ソティはたっぷりとその香りを堪能(たんのう)しながら、穏やかに微笑む。

「とっても落ち着く香りだわ……」

 例え脳が覚えていなくとも、体が覚えているらしい。ソティにとってはやはり、シトラス系の香りは、最愛の人との大切な香りなのだ。


「なんだか、外にいる気分だわ」

 少し湿(しめ)ったような、しっとりとした香りはアンジェリカだ。甘く、ハーブ調の香りでありながら、土に似た独特な香りがする。

「ふふ。日向ぼっこしている猫ちゃんってこんな気分なのかしら」

 なんとも可愛らしい想像である。マリアが思わず笑みを浮かべると、ソティはクスクスと笑って肩をすくめた。

「良い年をしたおばさんのセリフじゃないわね」


 一つ目の香水を堪能したソティが、マリアを見つめる。

「ごめんなさいね。やっぱり、何も思い出せないわ。この香りはとても素敵だけれど」

「謝らないでください。まだ香りもありますし、これからですよ」

 困り顔のソティに、マリアはブンブンと首を大きく横に振った。一つ目でうまくいくなどという都合の良い話があるわけがない。娼館の香の時もそうだったが、何度も試してみるしかないのだ。


「それじゃぁ、二つ目の香りをお願いします」

 マリアが香水瓶を丁寧に差し出せば、ソティは

「もちろんよ!」

 となぜか腕まくりをして見せる。やる気十分、ということだろうか。子供のような可愛らしい仕草が、ソティをより魅力的に見せる。人形のような見た目とのギャップもあるかもしれなかった。


 二つ目の香りは、オレンジとライムの組み合わせがメインの香りである。先ほどのものより苦みや渋みが混ざっていて、シトラス系の中でも少し大人っぽい香り。男性でも使いやすい、甘さ控えめな香りになっている。

「これはなんだか少しすっきりしてるのね」

 ソティは面白そうに香水瓶を見つめる。どうやら、これも夫がつけていたものとは違うのか、まったく何かを思い出したような素振りはなかった。


 三つ目のオレンジとシトロネラの香りにも、ソティは反応しなかった。

 シトロネラの爽やかなグリーン調は気に入ったらしく、今までの中では一番好きな香りだと言った。

(やっぱり、男の人がつける香水だからあんまり甘みが強くないものだったのかも……)

 マリアはソティの言葉をメモに書き留めながら、思考を(めぐ)らせる。シトラス系と一口に言っても、甘さが強いものや、爽やかさが売りのものもある。そもそも、シトラス系は相性の良い香りも多く、渋みや苦みなどと複雑に組み合わせることが出来るのだ。


 四つ目、五つ目、と試し、ソティが

「あら」

 と声を上げた。

 五つ目の香りは、オレンジとレモングラスを混ぜ合わせた香りで、爽やかな秋の風にも負けない豊かな草木の香りがする。

「なんだか、懐かしい香りだわ。この、少しだけ甘さが残るような感じも……」

 後ろ髪を引くように、オレンジの甘さがほんのりと香るのもポイントだ。


 ソティは眉間にしわをよせ、その記憶を辿(たど)ろうとしているようだった。

「不思議な気分だわ」

 胸のあたりがザワザワする、とソティは呟いた。胸元にあしらわれた美しいレースのリボンを指でなぞって、そっと窓の外へ視線を向ける。どこか寂し気なその瞳は、失われた時間の、そのぽっかりとした空白をさまよってる。


「そろそろ自室へ戻ろうかしら。どれも素敵な香りだったわ。ありがとう、マリアちゃん」

 美しく微笑んだソティの表情は、いまにも泣き出しそうに見えた。

「夕食は、今日はいらないわ。早めに寝てしまうから、マリアちゃんは自分の家だと思って、気にせずくつろいでね」

 ソティはそう言い残すと、リビングを出て行った。

(ソティさん……)

 マリアはそんなソティの後ろ姿を見送る。


 夕食の用意を済ませたところで、帰宅したのはシャルルだった。マリアがいると帰りが早い、というのは、どうやら本当だったらしい。

「ただいま」

 シャルルを玄関先で迎えている違和感も、マリアの中からは少し薄れつつある。

「おかえりなさい、シャルルさん。お邪魔してます」

「自分の家だと思って、くつろいでくれていいのに」

 先ほどソティが言ったことをそっくりそのまま言うあたり、親子である。


「母さんは?」

「今日はもう、お休みになられるそうです」

「そう。何かあった?」

 騎士団長の目は(あざむ)けない。少しではあるが、マリアの表情が(くも)っているのをシャルルは見逃さない。

「香りをいくつか試してもらったんですが……思い出せそうで、思い出せない、そんな感じでした。余計に、辛い思いをさせてしまったのかもしれません」

 マリアがポツリとこぼすと、シャルルのあたたかな手がマリアの頭に触れる。

「そっか。ありがとう。マリアちゃんにも気を使わせてしまったね」


 シャルルはしばらくマリアの柔らかな髪を堪能(たんのう)し、そうだった、と声を上げた。

「僕らも、父さんの書斎を整理して見つけたものがあるんだ。マリアちゃんに見てもらいたい」

「何か分かったんですか?」

「いくつかね。でも、核心じゃない。マリアちゃんならわかるかも、と思ってさ」

「わかりました」

 夕食前に、そちらを先に確認したほうが良さそうだ。


 マリアとシャルルは書斎へ向かい、そして、マリアは書斎に置かれた一枚のカードに目を見開いた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回は、マリアがシャルルの父がつけていた香水を再現しました。

いろんなタイプのオレンジの香りをお楽しみいただけていたら幸いです♪

ソティが記憶を無事に思い出せるのかも、ぜひぜひ続きをお楽しみに。


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