ガーデン・パレス
ライラックの香りを取り出した精油を小瓶につめ、マリアはそのフタをしっかりと閉めた。ガーデン・パレスでの生活が一体いつまでかかるかは分からないが、その間にせっかく作った香りが消えてしまわぬよう、精油を保管しておくための特別な箱にしまいこむ。店の商品もすべて片付け、戸締りを確認する。実験をしていた部屋だけは、香りを消すために換気扇を回した。マリアは火の元や鍵、貴重品などを確認して、トランクを持ち上げる。
トランクの中身は、調香のための道具と、数日分の着替えだけだ。洗濯などは宿舎で出来るし、宿舎への出入りも基本的には自由に可能とのことなので、何かあれば実家へ戻ればよいだろう、とマリアが出来る限り荷物を減らした結果がこれだ。そして、調香の道具に関しては、使い慣れているものを持って行った方が良いだろうと、詰められるだけ詰めたのだ。研究所内にもあるとのことだが、その詳細までは分からなかったので、マリアはそれで手を打つことにしたのだった。
そして最後に、マリアは王妃様からの箱をそっとトランクへとしまった。
店にしばらくの間休業する旨の張り紙を終えたマリアを迎えに来たのは、シャルルでもケイでもなく、騎士団に所属する別の男だった。
「マリアさんですね。ガーデン・パレスまでお送りするよう言われて参りました」
シャルルよりもずいぶんと年上に見えるその男は、ピンと背筋を伸ばして一つ敬礼する。マリアも慌てて頭を下げた。
「道中は、私からガーデン・パレスについて説明するよう、シャルル団長より仰せつかっております」
「はい、ぜひよろしくお願いします」
マリアはもう一度頭を下げる。男は、荷物をお持ちします、とマリアのトランクを軽々と持つ。男の所作は無駄がなく、それでいて物腰は柔らかで、マリアの道中は快適だった。
男は、昔、ガーデン・パレスにて研究員として働いていたという。動物の扱いにたけており、その功績が認められ、数年前に騎士団にスカウトされたとのことだった。
「今は、騎士団の馬の調教や、体調管理をするのが主な仕事です」
馬車の中で男はそう言った。本当は馬車に乗るのではなく、馬車を走らせるほうが好きなのかもしれないな、とマリアは男の横顔を見て思う。
ガーデン・パレスの基本的なルールや、環境などを簡単に教えてもらい、道中の話題は尽きなかった。男も、調香師という職業に興味があるようで、マリアの話をいくつかすると
「マリアさんのお店にも、いつか妻と行きたいものです」
そう言って微笑んだ。
しばらく男と会話していると、いつの間にか見慣れた街の広場を抜けていた。王立図書館へと続く道のりを馬車は走る。そして、マリアが、窓から王立図書館を眺めていた数分後には、馬車は止まっていた。
「つきましたよ」
男にエスコートされ、馬車を下りたマリアは、思わず口を開けた。
王立図書館の入り口も荘厳だが、それに引けを取らない豪華さだ。大きな鉄製の白い門には繊細な動植物の装飾が施されており、『ガーデン・パレス』と金色の文字で書かれた看板がまぶしい。門の奥には広大な庭が広がっており、さらに奥に見える建物の入り口までは数百メートルはあるように見える。建物のつくりもまるで宮殿のようだ。一目見ただけではとても研究所とは思えない。
王立図書館に隣接している、とは言っても、正門まではかなりの距離があるので、マリアがきちんと建物の全貌を見たのはこれが初めてだった。
マリアが驚いている間に、男はすでに正門の衛兵(騎士団の者が交代で務めているらしい)に挨拶をすませていた。
「さ、こちらです」
正門の隣に申し訳程度につけられた通常サイズの門を開き、男はマリアを手招きする。マリアは衛兵たちに会釈して、その門をくぐった。
「わぁっ……」
マリアは目の前に広がった景色に声を上げた。色とりどりのバラの花が咲き誇り、アーチ状に植えられたそれがずっと奥まで続いている。
(まるでお姫様になったみたい)
マリアはその目をキラキラと輝かせた。もちろん、庭園に咲いているのはバラだけではない。花壇にはたくさんの花が綺麗に植えられている。低木も手入れが行き届いており、木々の剪定にも力が入っている。どこかに香草も植えられているのか、ハーブの香りがほんのりとあたりに漂っていた。
「この庭は、植物を研究する者達が代々手入れし、使用してきたものです。といっても、私は動物のことばかりで詳しいことは分かりませんが。このバラも、ただ植えているのではなく、色や種類を交配し、新しい種を作り出すために配置されていると聞いたことがあります」
「へぇ……すごい。素敵なところですね」
男の話に、マリアがうっとりと庭園を見つめていると
「あなたがマリアちゃん?!」
突然、マリアの名を呼ぶ若い女性の声が聞こえた。マリアと男はその声に後ろを振り返る。
そこには、白衣の女性が立っていた。白衣の胸元には研究所の紋章が入っている。
「今日、ここに新しい調香師の女の子が来るってきいて、いてもたってもいられなくって。あ! 私、リンネ! ここの研究所で薬草を研究してるの。よろしくね!」
リンネ、と名乗った彼女は、マリアと男が口を開く前にペラペラと話し始めた。
「ね、所長のところに挨拶へ行くんでしょう? 私が案内するわ!」
リンネはそう言って、白衣を翻して駆けていく。案内する、という割には今にも走り出しそうなくらい軽やかなステップで、マリアと男は思わず顔を見合わせた。
リンネに半ば連行される形でマリアと男が連れてこられたのは、所長室だった。広い庭園を抜け、建物に入り、その造りをゆっくりと満喫することもないまま階段を上り……。所長室へ着いた頃にはすっかりマリアの息はあがっていた。
そんなマリアと、困り顔を浮かべている騎士団の男。そして笑顔のリンネを見つめた所長が、はぁ、とひとつ溜息を吐く。
「リンネ……。まったく、君は……もう少しマナーというものをわきまえなさい!!」
所長はリンネを一喝し、そしてそのまま所長室の外へとリンネを放りだした。そして、こちらへと振り返り、所長は深々と頭を下げる。
「大変ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ない。マリアさん、君のことはシャルルから聞いておるよ。我々もできる限りの協力はしよう。困ったことがあったら迷わず言ってくれ」
「ありがとうございます」
「それじゃぁ、我々は少し話がありますので、マリアさんは先に荷物を置いてきてはいかがでしょう」
騎士団の男の言葉に、所長もうなずく。
「そうだな。今日は長旅で疲れただろう、ゆっくり部屋で休むと良い。案内は……」
所長は少し考えて、
「すまないが、リンネにしてもらってくれ。あの子は少々爛漫すぎるところもあるが……。年も近くて話しやすいはずだ」
そう言った。マリアは所長がそういうのであれば、とうなずいて一礼し、所長室を出た。
その後、マリアが再び建物中を走るように移動させられたことは言うまでもない。
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20/6/21 段落を修正しました。




