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調香師は時を売る  作者: 安井優
思い出の香り編

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書斎

 マリアは、目の前でおいしそうに料理を口へ運ぶシャルルを見ながら、自らもスープに口をつけた。

 ソティはシャルルが帰宅したことを知ると、一人で食べると言い張った。マリアをリビングへ戻るよう(うなが)し、嬉しそうに扉を閉めてしまったのだ。どうやらなんとしてでも息子との距離を縮めて欲しいらしい。


「マリアちゃんは、今日は何をしてたの?」

「ソティさんと、お話を。あとは、香りもいくつか試していただいて」

「どうだった?」

 器用にオムレツを正方形に切り分け、シャルルはそれを口へ運ぶ。もぐもぐと咀嚼(そしゃく)する姿は、いつもよりも幼く見える。自分の家にいると、自然と心も(ゆる)むのかもしれない。

「とても楽しまれているようでした。残念ながら、記憶を思い出すきっかけは得られませんでしたけど」

 マリアの答えに、シャルルは小さくうなずいて、次のオムレツを口へ放り込んだ。


 なんとも不思議な気分だ。シャルルの自宅で、彼と一緒に食事をとるなどと。一体だれが想像しただろうか。シャルルへ好意を寄せている女性が知ったら、卒倒(そっとう)されてしまいそう。

「何かついてる?」

「い、いえ。シャルルさんが、思っていたより早いお帰りだったので」

「西の国の件も落ち着いてきたし、早めに帰らせてもらったんだ。それに、マリアちゃんが家で待ってるって思ったら、早く帰りたくもなるよ」

 笑みがまぶしい。マリアは自らに向けられたドキリとするような言葉に、思わず視線をそらした。


 夕食を終えると、シャルルがお茶くらいは、とマリアの分まで注いでくれた。騎士団長にそんなことをさせるわけには、とマリアは思うのだが、流れるように押し切られては、マリアとしても手が出せない。

「そういえば、シャルルさんのお父様って、香水は身につけられていたんですか?」

「そうだね。シトラスの香りは好んでいたように思うよ」

 マリアが思い出したように口を開くと、予想通りの答えが返ってくる。

 やはり、ソティが好んでいる香りは、亡き夫のものだったのだ。


「もしよかったら、父の書斎を案内しようか。何か手掛かりがつかめるかも」

 シャルルの提案に、マリアは大きく首を縦に振る。願ってもない申し出だ。

「しばらく誰も入ってないから、(ほこり)(くさ)いかもしれないけど。ついてきて」

 シャルルは早速立ち上がると、ちょうどマリアの背中側にあった扉を開いた。


 古い紙の匂いと、木々のあたたかな香り。シャルルの言うように、埃臭(ほこりくさ)さもあるものの、部屋の中はきれいに整頓されていた。

 だが、ソティ同様、部屋主を亡くして、書斎の時も止まっているようだった。

「すごい数の本ですね」

 マリアは天井まである大きな本棚と、そこにびっしりと詰められた本に目を見張った。マリアでも馴染みのある物語のタイトルが並んでいたかと思えば、そのすぐ隣には、小難しい論文のようなもの、建築に関する書籍や、デザイン関係の本まで。ありとあらゆるものが雑多に詰め込まれている。

「父は、読書家でね。仕事柄、建築に関するものが多いけど」

 シャルルも久しく足を踏み入れていなかったのか、その光景を懐かしんでいる。


 書斎は、ほとんどがその時のままだ、とシャルルが言う。様々なものが無造作に置かれたまま。机の上には、何かの建築物をデザインしている最中だったのか書きかけの線と、その上に転がる鉛筆、定規。

「片づけてしまうのも、なんだかためらわれてね」

 それくらい突然のことだったのだろう。そのままにして置いても、誰かに迷惑がかかるわけでもあるまい。

「お部屋を、もう少し見てもかまいませんか?」

「うん。もちろん」


 シャルルは、母親の様子を見に行くといって、書斎を出ていった。マリアは、一応断りを入れながら、書斎にあるもの一つ一つを丁寧に確認していく。

「どこかに香水がまだ残っていると良いけど」

 ごめんなさい、と小さく謝罪して、机の引き出しを開ける。製図用の道具や、文房具、書類、何に使うのかわからない木の棒まで。まさしく建築家らしい机の中身だ。


「あら?」

 最後の引き出しを開けると、そこには大きな箱が入っていた。

「何かしら」

 マリアはゆっくりとその箱を持ち上げ、軽く振ってみる。ゴロン、と中で重たいものが転がる音が聞こえた。


 箱に鍵はかかっていないが、開けて良いものだろうか。

「今更、よね」

 引き出しを開け、勝手に物色しているのだ。善人ぶったところでもう遅い。

 マリアはゆっくりとその箱を開く。使い古された木箱は。取り付けられた蝶番が(きし)む。

「香水瓶と……写真?」


 中に入っていたのは、香水瓶と数枚の写真乾板(かんぱん)だった。ソティが持っていたものとは違う。家族写真のようなものもあれば、ソティと二人で映っているものもあった。今もそうだが、当時はさらに値が張ったはず。それでも、写真をこれほど撮っているということは、建築家として相当名を()せたに違いない。

「香水は……」

 マリアは瓶のフタを開ける。かなり年月が経っているので、もう香りもあまり残っていないかもしれないが、確かめずにはいられない。


 爽やかな香りが鼻を抜ける。

(シトラスだ)

 やはり、ソティの体に染みついた記憶も、シャルルの言っていたことも、間違いなかった。甘みよりも酸味が際立っていて、普段マリアが作るシトラスの香りとはまた少し違う。それも、数分のうちに消えてしまうような薄い香りで、再現できるほど鮮明ではなかった。だが、まずはこれを作ってみるのがよさそうだ。

「ん?」

 マリアが声を上げたのはその時だった。


 香水瓶の底に、見覚えのある刻印が()られている。だが、どこで見たのかは思い出せなかった。

「どこかのお店のものだってことは間違いないはずだけど」

 自分の覚えの悪さに辟易(へきえき)してしまう。シャルルか、アーサーなら何か知っているだろうか。この香水を売っている店が分かれば、同じものを購入することもできそうだ。

「少し、お借りします」

 誰に言うでもなく、マリアは頭を下げ、香水瓶を握りしめた。


 マリアの視線は再び写真へと戻る。どの写真に写っているソティも、そして隣の男性も、にこやかな笑みを浮かべていた。幸せだったことが、見ているほうにも伝わってくる。

 外で撮られたものもある。映っているのは、どこかの田園風景だ。どちらかの故郷かもしれない。


「この場所は、いったいどこなんだろう」

 写真をわざわざ撮るような、特別な場所とは言い難い。時間も、金もかかるのだ。どうしてあえてこんな所で、とマリアが思ってしまうのも無理はなかった。

「これも、お借りします」

 マリアはもう一度頭を下げると、その写真を抜き取った。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回は、いよいよソティの記憶を蘇らせるための「思い出の香り」に進展が……!

そして、香水瓶の刻印は一体何なのか。続きをお楽しみにいただけますと幸いです。


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