ソティと止まった時
シャルルの母親は、マリアにキラキラとした瞳を向けた。それはまるで少女のようで、同性であるにも関わらず、マリアはドキドキしてしまう。
「初めまして。パルフ・メリエの調香師、マリアです」
「まぁ! 調香師さんなんて、素敵ね! 私もよく、シャルルから香水のプレゼントをいただいているのだけど……もしかして、マリアちゃんのところのものかしら」
シャルルの母親はそういうと、ベッドの奥に備え付けられていた小さな棚へ目をやった。
「ふふ、そうだよ。マリアちゃんの店で買ったものは、どれも質がいいから」
シャルルがニコリとほほ笑むと、母親はますます顔を輝かせる。
「マリアちゃん、シャルルと結婚するつもりはない!? 年は少し離れているけど、シャルルは騎士団長だし、賢くて、それにとっても優しいのよ。マリアちゃんさえその気なら、私は大賛成よ! あんなに素敵な香りを作れる、こんな可愛らしいお嬢さんがお嫁さんに来てくれるなら……」
「母さん」
再びのマシンガントークをシャルルがやんわりと遮ると、母親はハッと我に返ったようだった。
「ごめんなさい。私ったら、本当にもう……」
「い、いえ」
マリアも思わず苦笑を浮かべる。マリアにとっては、それこそ勿体ない人物だ。もっと他に良い相手はいくらでもいるだろう。自分がシャルルの嫁になどとは、シャルルにも申し訳ないような気持ちになってしまう。
「そうだわ! 自己紹介がまだだったわね、私はアーサーとシャルルの母親、ソティ。お母さんと呼んでくれてもいいのよ」
「母さん……」
今度はアーサーがげんなりとした視線をソティに向ける。
「冗談よ」
ソティは肩をすくめ、ぷいと顔を窓の外へやった。
シャルルに椅子を用意され、マリアはソティのベッド脇に腰かける。そろそろ本題へ入らなければならない。
「ソティさん。本日は、シャルルさんからご依頼を受けてまいりました。そのために、お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
マリアが改まって言うと、ソティは柔らかに微笑んだ。
「もちろんよ。なんでも聞いてちょうだい」
世間話を交えながら、ソティの好きなものや苦手なもの、アレルギーなど、細かなところまでマリアはメモを取っていく。
「まるで医者さながらだな」
と隣で感心したようにアーサーが口を開けば、シャルルもそれに同意した。
ソティは基本的には素直に、全てのことを話した。もともとおしゃべりが好きなのだろう。話は尽きることがなく、逆にマリアへ質問をすることも多かった。
「勝手ながら、ソティさんは記憶を一部、失われているとお聞きしました」
場も和んできたところで、マリアが核心をつくと、ソティは表情を露骨に曇らせた。
「えぇ、そうよ。どうしてだか、三年以上前のことは、記憶があやふやで……。大切なことが、思い出せないの。彼の……私の夫のことよ」
ソティは小さな棚から、一枚の写真を取り出した。その乾板には、ソティと、夫と思わしき男性が映っている。
「この方を見ると、胸が締め付けられる。どんな人だったのか、私と彼はどのように過ごしてきたのか、そんなことは全然思い出せないの。でも、彼はよく、私の頭を撫でて……それしか思い出せない」
ソティは自らの髪に指を絡め、ポツリとつぶやいた。
シャルルとアーサーはそんな母親の様子を黙って見つめていた。マリアは、ソティの言葉を一言一句聞き逃さぬよう耳を傾け、いくつかの質問を重ねた。ソティの話を聞くうちに、だんだんとマリアの心にも、強い思いがわいてくる。
香りで失っていた記憶が取り戻せるという確証などどこにもない。ただ、それでも、何かをせずにはいられないのだ。自分でも力になることがあれば、どうにかしたい。そう思うのがマリアである。
「旦那様のことを、少しでも思い出せるよう、ソティさんだけの特別な香りをご用意したいです」
マリアが出した結論。その言葉に、三人は目を合わせてほほ笑んだ。
ソティの部屋を出たマリアは、再び客間でティーカップに口をつけていた。
「引き受けてもらえて良かったよ」
アールグレイのほのかな甘みと酸味を楽しみながら、ホッとしたような笑みを向けるシャルルに、マリアは視線を落とす。
「正直なところ、お力になれるかどうか」
「かまわない。香りは、薬ではないのだろう」
不安そうなマリアの言葉を遮ったのはアーサーだった。
「私たちは、今まで何度もこういったことを繰り返してきた。うまくいかなくても、また次を探せばいいさ。それに、記憶が戻らなくても、母も、私たちも、君を恨むようなことはしない」
生きているだけでも、幸せなんだ。アーサーはそう付け加え、遠くを見つめた。
「母は、もともと病気がちでね。それもあって、私は医者になった」
「そうだったんですか」
それで、ずっとベッドに。マリアはソティを思い出す。美しい白い肌や細い腕は、外に出ていない証拠だった。
「今でこそ、色々な薬を試したりして、調子も良くなっては来ているが、ひどいときには三日三晩、熱で寝込むこともある。だから、例え、父親の記憶をなくしてしまっても……私たちには母親が生きているだけでも幸せなことなんだ」
「もちろん、本音を言えば記憶を取り戻してほしいが……、今までも散々できなかったことだからな」
アーサーはどこか、諦めているようだった。医者として、彼もまたこの三年間、いやそれ以上に母親に尽力してきたのだろう。何度も失望し、絶望を与えられ、苦しみぬいてきたのだ。これ以上、何を信じればよいのかもわからなくて当然だろう。
「記憶を取り戻すことは、想像以上に難しい。子供だましのお話のようにはうまくいかないものだ。マリアさんように、自分を過信していないくらいがちょうどいいよ」
アーサーは静かに微笑んだが、その表情は悲しいものだった。
マリアもまた、ソティへ思いを馳せる。突然に夫を亡くし、そしてその記憶までもを失ってしまった彼女は、今何を思うのだろうか。シャルルたち、子供たちが側にはいるが、体も弱くて外には出れない。あるはずのものが、ぽっかりと心の中から消え、埋めるものもない。それがどれほどのものなのか、三年という時間がどれほど長く感じられるか。
彼女の時は止まったよう、ではなく――まさしく、止まっているのだ。
マリアはぎゅっと手を握る。
「少しでも、お役に立てるよう、頑張ります。これからも、時々、ソティさんにお会いしたいのですが、かまいませんか?」
「もちろん。いつでも、遊びに来てよ。マリアちゃんなら大歓迎だ」
シャルルとアーサーは同時にうなずく。
「部屋も余っているし、なんならずっといてくれてもかまわないが」
からかうような笑みを浮かべたのはアーサーで、メガネの奥に光る瞳が好奇心に満ちている。
「それはさすがに……」
「名案だね!」
マリアがやんわりと断りを入れようと浮かべた笑みが固まる。
「早速手配しよう。しばらくの間、パルフ・メリエは出張店舗なんてどうかな。もちろん、お金はきっちり、払わせてもらうよ」
ブルーの瞳は驚くほど美しかった。
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今回は、シャルルの母親、ソティにフォーカスを当てたお話となりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
そして、最後の最後に再び急展開?!
しばらくドタバタが続きますが、何卒よろしくお願いいたします。(笑)
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