二人からの調香依頼
アーサーはため息を吐くと、まるで仕方がないというように表情をどこかやわらげた。
「まぁ、シャルルが言うなら、やってみる価値はあるのかもしれないな」
そのままティーカップへ口をつけると、湯気とともに、優しいアールグレイの香りがふわりと立ち込める。
「お手並み拝見といこうじゃないか」
シャルルと同じ髪色の隙間から、これまたシャルルと同じブルーがマリアを見据えた。
「兄さんにそう言ってもらえてよかった。改めて、僕からマリアちゃんに依頼を説明するね」
「え、えぇ……」
二人のやり取りをぼんやりと聞いていたマリアは、突然話を振られて我に返る。目の前に、端正な顔立ちが並んでいることになんとも言えない緊張を覚える。
「僕らの母の記憶を、取り戻してほしいんだ。すっぽりと抜け落ちた、父との大切な思い出をね」
美しい笑み。家の雰囲気と相まって、まるで絵画の中に迷い込んでしまったようだった。
「母が、父のことを思い出した時、どんな反応をするのか分からない。父を失ったあの日のように、悲しみを抱えるかもしれない。けれど、僕はそれ以上に、幸せだったころのことを思い出してほしいんだ」
シャルルも、ティーカップを口へと運んだ。
「私も、その意見には賛成だ。ただ、今までいろんなことを試してはきたが、どれも良い結果は得られなかった」
悔しいよ、とアーサーが呟く。医者であれば、なおさら、その気持ちは募るだろう。
だから、とアーサーは顔を上げてマリアをまっすぐに見つめる。その瞳は真剣そのものだ。
「医者にできなかったことを、調香師のマリアさんが、どうやって?」
その口調には純粋な興味と、祈りにも似た強い思いが入り混じっていた。マリアが逡巡すると、代わりにシャルルが口を開く。
「調香師は、時を売る仕事なんだそうだ」
「時を売る?」
不思議そうにシャルルを見つめたアーサーの言葉に、シャルルは穏やかに続ける。
「香りは、人の記憶と密接につながっていると、医者の兄さんなら聞いたことがあるだろう?」
アーサーは、目を見開いた。なぜ今まで気づかなかったのか、という思いと、弟が調香師を連れてきたことへの納得。アーサーは、目の前に座る少女を見つめる。
大人の女性というにはあどけなさの残る可愛らしい顔立ち。どこか人を引き付ける雰囲気。だが、彼女のすっと伸びた背筋や、品の良い服装、身にまとっている洗練された美しい空気感は、あの、弟が認めるだけのことはありそうだった。
「なるほど」
アーサーは独りごちる。対して、まじまじと見つめられたマリアは、思わず肩を縮めてしまうのであった。男性から、これほどまでに値踏みするような視線を受けたことは初めてだ。納得した表情を見せているところから、決して悪いようにはとられなかったのだろうが、それでも落ち着かない。
「依頼を引き受けてくれるかい?」
シャルルの問いに、マリアは、どうしたものか、と考えを巡らせる。シャルルには、命を助けてもらった恩もある。引き受けたいのは山々だ。だが、記憶喪失に陥った人間を、香りで救うなどとは前代未聞であった。祖母でさえ、そんな依頼を受けたことはないだろう。
(調香師は時を売る仕事。……でも)
無責任に引き受けてよい仕事ではない。香りは、薬ではないのだから。
「お引き受けしたい気持ちは山々ですが……」
「わかってる。ごめんね、急にこんな話」
マリアが眉を寄せると、シャルルもふっと笑みを浮かべた。どこか儚い雰囲気に胸が締め付けられる。
「でも、もしよかったら考えてくれないかい。僕と、兄と……母のために」
シャルルが丁寧に頭を下げた。同時に、アーサーも同じように深く頭を下げる。
「私からも、お願いしたい。どうか、私たち家族の思い出を、大切な時間を、もう一度取り戻してほしい」
「……わかりました。もう少し、詳しくお話を聞かせていただけませんか。それから、正式にお引き受けするか回答させてください」
迷った末、マリアはゆっくりと口を開いた。マリアは、調香師であり、医者でも、ましてや魔法使いでもない。できることと、できないことがある。
「もちろん、僕は構わないよ。兄さんは?」
「あぁ。私もかまわない。私にできることなら、どんなことでも協力しよう」
二人の麗しい紳士は、マリアに穏やかな笑みを向けた。
「実際に会ってもらうのが、手っ取り早いね。母の好みや、苦手なもの。どんな人間で、今はどういう状態なのか。母も、マリアちゃんを紹介すれば、きっと喜ぶよ」
シャルルは、ケーキスタンドにのった小さなマカロンを口に運ぶ。ペロリと指をなめとって、爽やかな笑みをたたえ、よし、と立ち上がる。
「反応が読めるだけに、正直、私は勘弁したいところだが」
アーサーは、シャルルとは対照的にげんなりとした表情を浮かべた。
二階へと続く階段を上り、四つ目の扉をシャルルがノックする。
「はい」
「母さん、シャルルです。入っても良いかい?」
「もちろんよ」
まるで、鳥のさえずりのような美しい響きだった。シャルルやアーサーを生んだ母親なのだ。見目麗しいお姫様のような女性でもおかしくはない。マリアは無意識に背筋を伸ばしていた。
案の定、というべきか。部屋の中、ベッドで本を片手にこちらへと視線を向ける女性は、美しい人だった。シャルルたちの母親なので、マリアの母親よりも年上か、若くても同い年くらいだろうと思うのに、彼女だけはまるで時が止まったかのようだ。
陶磁器のような白い肌。カーディガンからのぞくすらりと伸びた細い腕。長く伸びた前髪が柔らかに揺れ、その隙間から、シャルルとアーサーのものよりもっと薄く、グレーがかったブルーがのぞく。その神秘的な瞳は、見たものの心臓をわしづかみにしてしまうのではないかと思うほどだ。目元にはアーサーと同じホクロが浮かんでいた。
「こんなお昼に、あなたがいるなんて珍しいわね」
コロコロと鈴の音が鳴るように、シャルルの母親は微笑んで見せた。シャルルの笑い方は、母親にとても良く似ている。うっとりしてしまう心地のよい声が、マリアの耳にも吸い込まれる。
「今日はどうしたの? お仕事は……」
色素の薄い瞳は、シャルルの後ろにいたマリアを見つけ、シャルルの母親は言葉を切る。
「あらあら、まぁまぁ……。こんなに可愛らしいお客様がいるなんて」
どうして最初に言ってくれないの、と彼女は手で口元を抑える。恥ずかしそうにシャルルとアーサーを見比べた後、何かを思い立ったように、はっと顔を上げた。
「アーサーの彼女? それとも、シャルル? 結婚するなら、お母さんが元気なうちにしてちょうだいね。二人とも、仕事熱心なのは良いけれど、お母さんは心配なのよ。特に、アーサー。あなたはもう良い年なんだから、うかうかしていたら、婚期を逃してしまうわ」
突然のマシンガントークに、マリアはパチパチと数度瞬きを繰り返す。隣に立っていたアーサーが深いため息を一つつくと、マリアにそっと耳打ちする。
「すまないな。どうも、私たちに女っ気がなさ過ぎたせいか、この手の話題になると人が変わってしまうんだ」
「は、はぁ……」
「母さん、紹介するよ。彼女はマリアさん。残念ながら、兄さんの彼女でも、僕の彼女でもないよ。……今のところはね」
含みのあるシャルルの紹介に、マリアとアーサーが顔を見合わせる。シャルルの言葉に目を輝かせたシャルルの母親は、にっこりとほほ笑んだ。
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前代未聞の調香依頼に、シャルルの母親登場に、としばらく怒涛の展開ですが、お楽しみいただけておりましたら大変嬉しいです♪
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