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調香師は時を売る  作者: 安井優
ガーデン・パレス編

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14/232

提案

 店の扉が開いたのは、次の日の正午を過ぎたころだった。二階で片付けをすすめていたマリアは、カラン、という鈴の音に一階へと駆け降りる。

「やぁ、マリアちゃん」

 店先に立っていたのは、マリアの想像していた人物だけではなかった。


「シャルルさん!」

 ケイの隣に立ち、柔らかな笑みを浮かべた騎士団長、シャルルがそこにいる。昨日のケイの話では、昨晩、隣国から帰ってきたばかりだと思うのだが、シャルルの顔に疲労の色は見えない。


「ケイから聞いてね。何か手伝えることはないかと思ってさ」

「すみません。お二人ともお忙しいのにわざわざ来ていただいて」

 マリアがそういうと、ケイは首を横に振る。

「いや、俺たちが勝手に来たんだ。気にしないでくれ」

「そうだよ、マリアちゃん。それに、俺たちも王妃様にお願いされた以上は断れないしね」

 シャルルは軽く笑って見せるが、マリアにはそう簡単に笑い飛ばせるものではない。

「そうですよね、すみません」

 マリアがそう言って頭を下げると、シャルルはその頭をくしゃくしゃと撫でて

「大丈夫。僕もケイもいるしね」

 そう言った。ウィンクをするシャルルが、こんなにも頼もしく見えるとは。マリアは、シャルルが騎士団長を務めている理由が少しわかった気がした。


「それで? マリアちゃんは何に困ってるの?」

「実は……私事で大変申し訳ないのですが、別の香りを作り出しているところだったんです。新しい香りを調香するには、最低でも後一週間ほどお時間をいただきたくて」

「ライラックだね?」

「団長、わかるんですか」

「この間、マリアちゃんとその話をしたし、それに……」

 シャルルは腰をかがめてマリアの髪をすくうと、顔に近づけて

「この間と同じ、ロマンチックな香り」

 と微笑んだ。ケイは複雑な顔で団長の姿を見つめ、マリアは顔を真っ赤にした。先日も同じことをされたとはいえ、早々慣れるものでもない。


「……とにかく、そのライラックの香りが消えるまでは、調香がうまくいかない、と」

 ケイがそう言って助け舟を出す。マリアは我に返り、小さくうなずいた。

「香りの抽出は明日には終わると思うんですが、香りを完全に消すのに時間がかかるんです」


 マリアの言葉を聞いて、シャルルは困ったように顔をしかめた。そして、昨日マリアがケイから受け取った箱を指さす。

「それは困ったね。その箱の中身はケイから聞いた?」

「極東の国から仕入れた珍しいもの、と……」

「うん。その箱の中に入っているものは、開封から一週間程度しか香りがもたないらしくてね。王妃様が一度開封して、その箱へいくつか分けたから、あまりゆっくりはしていられないんだ」


 マリアはシャルルの言葉にうなずいた。確かに、一度日光や空気に触れた香りは時間とともに劣化していく。香水のようにある程度量がまとまっていて密閉された瓶に入っていれば話は別だが、取り分けられるということは、香りを固めた固形物か、花そのものだろう。


 マリアが顔をしかめると、シャルルは努めて明るい声色で話を変えた。

「ライラックの香りは取り出せそう?」

「はい、おかげさまで」

「それは良かった」

 シャルルはもう一度マリアの頭をなでて、それから、ふむ、と何かを考えるように口に手を当てた。


「香りを消すのに時間がかかる、か……」

 そう呟いて、シャルルは黙りこむ。そして、しばらくして良い案が浮かんだのか

「そうだ」

 と声をあげた。よっぽど名案が浮かんだのだろう。ニコニコと微笑んで

「僕に心当たりがあるんだ。マリアちゃん、ガーデン・パレスはわかるよね?」

 そう言った。


 ガーデン・パレスは、王家直轄(ちょっかつ)の植物園だ。王立図書館に隣接しており、その敷地面積は一つの森ほどにもなるという。植物園の名を冠してはいるが、植物の育成や生物についての研究機関という立ち位置の方が近いかもしれない。図書館と違って、施設に入れるのは許可された一部の人だけだ。園内には季節に関係なく様々な植物が生えており、珍しい植物もあるという。一般人は立ち入ることができないため、その全容は不明だが、マリアのような人間にとって、一度は行ってみたい憧れの場所である。


「ガーデン・パレスの研究宿舎にいくつか空きがあるらしくてね。マリアちゃんさえよければ、そこを特別に使わせてもらうことくらいはできるかもしれない」

「私が、ですか?」

 マリアの驚いた顔には、嬉しさがにじみ出ている。もちろん、シャルルはそれを見逃さなかった。


「もちろんだよ。王妃様の命令とあれば、誰も文句は言わないだろうし。それに、僕はマリアちゃんには十分あそこへ入る資格もあると思うよ」

 シャルルにそう言われては、マリアもこれ以上断る理由がない。

「ガーデン・パレスの研究宿舎も片付けをするのに明日一日は必要だろうし、明後日にでも迎えにくればちょうどいいんじゃないかな?」


 マリアにとって、これは願ってもない提案だった。もちろん、ライラックの香りを商品化するところまで至らなかったことは悔しいが、抽出方法は分かったし、来年また挑戦すればよいことだ。それよりも、ガーデン・パレスへ入れるまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。王妃様からの調香の依頼を受けられることも、プレッシャーはあるが、調香師として良い経験になることは間違いない。


「わかりました。ぜひ、お願いします」

 マリアは決意を固め、深く頭を下げた。

「うん、こちらこそ。王妃様のために、素敵な香りをよろしくね」

 シャルルは今日何度目か、マリアの頭をなでて微笑んだ。


 マリアの店で、試作中だというママレードカモミールティーを飲んだ後、シャルルとケイの二人は帰路についた。


「それにしても、良かったんですか。あんな約束」

 ケイは、シャルルの提案——ガーデン・パレスの研究宿舎をマリアに一部屋貸し出すという、言ってしまえば国の騎士団長の権限を越えたような発言に顔をしかめた。


「問題ないよ。マリアちゃんに調香を依頼したのは紛れもなく王妃様だからね」

 シャルルはニコリと微笑む。

「……それに、あそこの所長には昔、貸しがあるから」


「……何か言いました?」

 後ろを歩いていたケイにそう尋ねられ、シャルルは首を横に振る。

「ううん、なんでもないよ」

 シャルルの独り言は、風にさらわれて消えた。


 ——翌日。王妃様御用達の調香師がやってくるらしい。ガーデン・パレス中がその噂で持ち切りとなったことは、言うまでもない。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。


本日より、最新話の投稿時間が21時に変更となります。

更新頻度は変わらず、1日1話お届けしますので、これからもよろしくお願いします。


20/6/21 段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回は、主には、マリアのところにお客さんが来て、おしゃべりをするというお話です。 【以下は、私個人の見解です=著者の意図とは限りません】 そのため、地の部分はテンションが極力おさえられ…
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