ケイの土産、マリアの香
マリアから作った香りを確認してほしい、と依頼されて早一週間。珍しく、自分から休みをとったケイは、緊張の面持ちでパルフ・メリエの前に立っていた。片手には、西の国で購入した服。仕事で立ち寄ったために仕方がないのだが、友人でもない男から、土産に服を渡されるというのはいかがなものか。
(気持ち悪いと思われないだろうか……)
ケイがうんうん、と店先でうなっていると、内側から扉が開いた。
「ケイさん?!」
まさかケイが外にいるとは思わなかったのだろう。マリアは目を見開いて、ケイを見つめる。ケイは覚悟を決めざるを得なくなり、おずおずとマリアに挨拶をした。片手にじょうろを持ったマリアは、これから裏庭の植物に水をやりにいくところだという。
「少し待っていてくださいね」
「俺も、裏庭を見てもいいか?」
中で、と言いかけたマリアを遮って、ケイが尋ねれば、マリアはにこりと微笑んだ。
店の裏庭は、見事なものだった。様々な植物がこれでもか、と育てられている。美しく咲き誇っている花はもちろん、まだ花をつけていないものや、ハーブの類も、綺麗に手入れが行き届いている。
「すごいな」
「お客様も少ないので、こうして花の手入れをする時間はたっぷりあるんです」
冗談めかしてマリアは言うが、ケイには時間があっても無理だ。素直に感心しているケイに、マリアは少し照れくさそうだった。
裏庭の水やりを終わらせたマリアに案内され、ケイはパルフ・メリエに足を踏み入れる。いつ来ても、香りを扱っている店とは思えないほど、穏やかな木々の香りだけが漂っている。
「どうぞ、二階へ上がってください」
マリアはそのままトントンと階段を上がっていく。ケイもその後に続くが、何度、訪れても緊張してしまうのだった。
リビングに腰かけ、持ってきた紙袋をおろす。いつ渡そうか、と考えていると、お茶を入れていたマリアが振り返る。
「大きな荷物ですけど、何が入っているんですか?」
純粋な興味が勝ったのだろう。まさか、中身が自分への土産だとは知らず、マリアはその瞳をケイに向ける。ケイは、う、と言葉を詰まらせた。今日は、どうにもタイミングが合わないらしい。ケイが少し苦い顔をすると、マリアが慌てて
「お気を悪くしてしまったなら、すみません」
と頭を下げたので、ケイも慌てて、違うんだ、と声を上げた。
「……その、これは……マリアに渡そうと思って……」
ケイがおずおずと紙袋を差し出せば、マリアは驚いたようにケイを見つめた。
「深い意味はない! 西の国へ行ったときに、たまたま仕事で用事があったんだ」
慌てて付け加えたケイの言葉に、マリアは紙袋を受け取って中を見る。
中に入っていた、シックな赤が目を引くワンピース。秋らしいその色合いに、マリアは、
「素敵です……とっても……」
と声を漏らした。
普段、あまり自分では選ばない色合いだ。ミュシャがこういった色合いの服をデザインすることが少ないことも、その要因の一つだが。それでも、マリアは素直にその色を綺麗だと思ったし、上品なデザインが大人っぽく、洗練された雰囲気も気に入った。
「ありがとうございます、ケイさん」
マリアがとびきりの笑顔をケイに向ければ、ケイは視線をふいと逸らして、あぁ、とぶっきらぼうにうなずいた。ケイの手痛い出費も、マリアの笑顔の前では安いものだ。
(喜んでもらえてよかった……)
ケイはホッと胸をなでおろし、ようやく肩の荷が下りた、と深く息を吐いた。
「そ、そういえば、香りの方はどうだ」
話題を変えようと、ケイは声を上げる。
「何種類か、調香してみたんです! 少し香りの種類も変えて……以前よりは、近づいていると思います」
マリアは紅茶を注ぎながら答える。パーキンから譲ってもらったタバコの葉の香りも、思っていたよりうまく香りに馴染んだ。正解はわからないが、こればかりはどうしようもない。目に見えないものを探るのも、また調香の醍醐味だ。
紅茶を飲み終え、二人は調香部屋へ移動する。机の上には、十本近くの瓶が並べられており、それぞれには小さなタグがつけられている。
「さすがに、微妙な配合量の違いで、レシピが覚えられなくて……」
机の上に同じく重ねられたメモ用紙には、植物の名前らしきものと、その量が細かに記されていた。マリアの努力の証である。
「ん……?」
ケイは、そのメモの中から、良く知る香りを見つける。
「タバコの香りなんてのもあるのか」
タバコ、といえばその煙から香りがすることは知っているものの、それをどうこの液体と混ぜるのだろうか。まさか、煙を瓶の中に入れるわけではあるまい。
「タバコの葉を、パーキンさんから譲っていただいたんです。その葉から、香りが取り出せるんですよ」
「へぇ……」
意外と身近なことで知らないものはたくさんあるものだ。マリアの解説に、ケイは再び感心するのだった。
「では、よろしくお願いします」
マリアがペコリと頭を下げ、左端の瓶を手に取る。香りは弱いものから確認するのが鉄則らしい。濃いものを最初に嗅いでしまうと、薄い香りが分からなくなるのだそうだ。ケイは、差し出されるままに、その瓶へと鼻を近づけた。
「これも、少し違うな……」
ケイの反応を確認しながら、マリアはメモへペンを走らせる。どのように違うのか、何が足りないか、細かく質問を繰り返せば、ケイもそのたびに、必死に考え、言葉にした。本当に律儀な男である。
「これはどうですか?」
「甘みが薄いような……ここまでスパイスの香りは強くない」
「これは?」
「これは……近いが……もう少し煙たい香りだったと思う。もっと、残り香まで濃かった気もするな。この香りは、残り香がスッキリしている気がする」
瓶も残り三本。マリアとケイの間には、いつしか、自然と緊張が走っている。
「それじゃぁ、次はこちらを……」
マリアが差し出した瓶に、ケイはごくりと唾を飲んだ。だんだんと匂いに慣れてきている。似たような香りなのだからしょうがないのだが、答えを知っている自分が曖昧では、マリアの努力も泡となって消えてしまうのだ。予断は許されない。
ケイは深呼吸を一つして、その瓶に鼻を近づけた。
――瞬間。
ケイの脳内に、情報屋の顔がよぎった。続いて、ケイの体をやたらとまさぐってきた女たちの猫なで声が頭に響く。眩暈を覚えるような気だるい甘さと、頭がぼんやりとするどこか淀んだ空気。娼館に差し込む薄暗い光、それに反射する埃や塵。フッと情報屋が煙管をケイの顔の前に吹きかけ……。
「ケイさん?」
ケイはマリアの声で我に返る。思い出した。ケイは、目の前でキョトンと首をかしげるマリアの手を思わず握る。
「これが……時を売る仕事、か」
ケイの言葉に、マリアが目を見開いた。
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いよいよ「娼館の香」が完成です!
ケイを西の国へと連れ戻すほどの完成度……。トーレスは喜んでくれるのか、次回をお楽しみに。
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