タバコの葉
ようやく本来の定休日が訪れ、マリアはキングスコロンへと向かっていた。馬車に揺られながら、過ぎていく街並みを横目に、娼館の香に思いを馳せる。
「タバコの香りって……そういえば、男性用の香水に使われることもあるって聞いたことがあるけど、実際に使ったことはなかったな」
マリアは一人呟く。街の広場を過ぎ、キングスコロンはもう目前だった。
キングスコロンでマリアを出迎えたのは、美しい女性だった。
「初めまして、マリアさん。パーキンの妻です」
女性は上品な笑みを浮かべ、マリアに頭を下げる。パーキンと同じ、ブルーブラックのショートヘアがさらりと揺れた。
「は、初めまして! パルフ・メリエのマリアと言います。いつも、パーキンさんにはお世話になって……」
マリアも慌てて頭を下げると、パーキンの妻はクスクスと微笑んだ。
「そんなに緊張しないでちょうだい。お世話になっているのは私たちの方よ」
行きましょう、と彼女はくるりと身をひるがえした。
「旦那から話は聞いているわ。彼が直接対応できなくてごめんなさいね」
「いえ、お忙しいのは承知しておりますし、急に押しかけたのは私なので……」
「もっといらしてくれてもいいのよ」
冗談めかしてクスリと微笑むパーキンの妻に、同性であるマリアもつい見惚れてしまう。出来る女、というのはこういう感じなのだろうか。どこかアイラにも似た雰囲気がある。ヒールを鳴らし、キングスコロンの中を優雅に歩くその後ろ姿が格好良かった。
「さ、ついたわ。ここよ」
パーキンの妻は、工場の中にある部屋の前で足を止めた。部屋の脇にはたくさんの箱が無造作に置かれている。
「散らかっていてごめんなさい。この扉の先は倉庫になっているのよ。物の出し入れが激しくって」
パーキンの妻はそう言うと、扉をガチャリと開けた。
「わぁ……!」
ずらりと並ぶ棚と箱。まるで迷路のように所せましと入り組んでおかれたそれらに、マリアは声を上げる。一度に大量に仕入れることで安くする、という話はパーキンに聞かされていたが、まさかこれほどの量とは思わなかった。
「すごいでしょう? 在庫の管理が大変なのよ」
言われてみれば、確かにその通りだ。マリアは想像して、少しげんなりしてしまう。この箱の中を確認して、精油の量を想定し、足りなければ補充しなければならないのだ。一人でやろうものなら、それだけで一日が終わってしまいそうだった。
「マリアさんから頼まれていたものは確か……」
パーキンの妻はわきに抱えていた紙の束をパラパラとめくり、ある一ページで手を止めた。そして、マリアについてきて、と声をかける。棚の数を数え、右に、左に、棚と棚の隙間を縫って歩いていく。
(一人だったら、迷子になっていたかも……)
マリアはそんなことを考えながら、パーキンの妻の後ろを追った。
「あった! これね」
パーキンの妻が立ち止まり、棚から一つ箱を取り出す。やや大きめの箱だったが、中身は軽いのか、パーキンの妻は一人でそれを持ち上げた。
「お手伝いしましょうか?」
「大丈夫よ、ありがとう。見た目だけで、大した重さじゃないわ」
パーキンの妻はそう言うと、箱を抱えて、再び来た道を戻った。
倉庫を出ると、いつもの商談ルームへと通された。パーキンの妻はようやく箱を商談ルームの机に下ろし、よし、と声を出す。
「少し休憩にしましょうか。コーヒーは飲めるかしら?」
マリアが頷くと、彼女は息をつく間もなく、商談ルームを後にした。テキパキとした動作も、あのパーキンの妻らしい。夫婦そろって優秀な経営者であることは疑いようもない。マリアは見習わなければ、と思うのであった。
「お待たせ」
コーヒーを二つ手に持って、パーキンの妻が戻ってきた。マリアが頭を下げると、彼女はニコリと微笑んで、コーヒーカップをマリアの前へ置く。おずおずとマリアがそれに手を伸ばせば、パーキンの妻も同じようにカップへ口を付けた。
「マリアさんがこんなに若くて可愛らしい子だなんて思わなかったわ」
一息ついたところで、パーキンの妻が口を開く。マリアが謙遜すると、パーキンの妻は
「あの人も言ってくれればいいのに! 知ってたら、もっとおしゃれな服を着たのよ!」
と冗談半分にため息をつく。スーツを着こなす彼女は、マリアにとっては、十分すぎるほど魅力的だったが。
パーキンの妻が気さくに話しかけてくれたおかげか、世間話にも花が咲き、マリアの緊張もすっかりほぐれていた。カップに入っていたコーヒーがなくなったところで、パーキンの妻が口を開く。
「そういえば、これはどうするの?」
彼女の指は先ほどの箱を指していた。
箱の中には、タバコの葉が入っている。今日の目的だ。タバコの香り、と考えた時に真っ先に浮かんだのがパーキンであり、そして、それをいくらか売ってはもらえないか、とマリアが頼んだのである。
「マリアさんもタバコを吸われるの?」
パーキンの妻にとっては、何事か、というところだろう。
「いえ、タバコは吸いませんが……調香に使おうかと」
マリアの答えに、パーキンの妻は興味をそそられたのか、マリアの方へ熱い視線を向けた。
マリアの話を聞いたパーキンの妻は、キラキラと目を輝かせた。
「西の娼館のお香だなんて! また面白いものを作るのね!」
「まだ、うまくいくかも分からないですが……」
「ふふ、なんだってチャレンジしなくちゃ始まらないものよ」
パーキンの妻はパチン、とウィンクをして見せる。思わぬところから勇気づけられたマリアは、にっこりと笑みを浮かべて、大きくうなずいた。
「はい! 頑張ります!」
マリアが今考えている香りについて、パーキンの妻と話をしていると、商談ルームの扉がノックされた。
「あら」
パーキンの妻が扉を開けて、声を上げる。扉の向こうに立っていたのはパーキンで、マリアの姿を見るなり、軽く手を挙げた。
「会議は良かったの?」
「思っていたより早く終わった。それより、面白そうな話をしているじゃないか」
メガネの奥の瞳がキラリと光っている。パーキンの妻と同じような反応に、マリアは思わず微笑んだ。似たもの夫婦である。
「タバコの香りを使った、新しい香り、か……」
パーキンも興味深そうにマリアの話を聞き、相槌を打った。マリアの考えはやはり間違っていなかったようで、パーキンも、娼館の香を作るなら同じような調香を試す、といった。
「残念ながら、これは売り物にはなりませんけど……」
とマリアが付け加えれば、パーキンと妻は顔を見合わせて、
「それは残念」
と声をそろえた。
それから、パーキン達と話が盛り上がり、あっという間に時間は過ぎていった。意図せずして、娼館の香を作るための新しいアイデアもいくつかもらうことが出来たマリアは、タバコの葉とアイデアを胸に抱え、キングスコロンを去るのであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、久しぶりにパーキンの登場でした~!
そして、パーキンの奥様も登場しましたが、少しでも、「できる女感」みたいなものが伝わっていたら、嬉しいです……!(笑)
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